少女の象徴なの
高い位置で結んだツインテールは、風の影響を受けやすいらしい。
まるで別の生き物みたいにうねうね動く髪を見ていると、ばちりと視線が絡まった。少し不思議そうな顔をしてから眉をひそめて、奈美ちゃんはすぐに窓の外を見つめる。
僕たちが学校の外で話すからと言って、教室でもそうとは限らない。
わざわざ約束を交わしたわけではないが、放課後の空いているときは奈美ちゃんと会うことが多かった。学校では話さないというルールがあるわけではないけれど、あれだけ人懐っこい笑顔を見せる奈美ちゃんが学校ではずっと眉間にしわを寄せているのだから、話しかけようという気にはならなかった。彼女としても、突然僕と話し出して何かを疑われるのは迷惑なはずだ。
大きなため息を吐いた美美ちゃんがこめかみを押さえる動作をすると、それを見ていた女子がクスクスと笑った。焦げ茶色の髪を肩くらいまで伸ばして巻いている、黒髪ツインテールの奈美ちゃんとは対照的な女子だ。多分、一般的な女子高生というのは、奈美ちゃんではなくこっちのことを言うのだろう。
笑われたことに気が付いた奈美ちゃんは一層不快そうに眉間のシワを深くした。
「なあに、その顔」
奈美ちゃんを笑った女子がにやけながら言うと、教室の視線が奈美ちゃんに集まる。
強引に僕を連れ出した彼女なら文句の一つも言いそうなものなのだけれど、静かに外を見ているだけだった。
こういうときの不満は放課後、僕にぶつけられる。
「どういう神経してんの。人のこと笑っておいて、なあにその顔ってなによ。おかしいと思わない? あんたのダマになったマスカラのほうがなあにその顔って感じ」
「言えば良かったのに」
僕がそう言うと、奈美ちゃんは心底嫌そうな顔をした。
「私の立場だったら言えるわけ?」
想像しただけで、僕の心臓は少し小さくなった。
言い返したそのときはきっとすっきりするだろう。けれども、その後も同じ教室で生活するなんて、僕には難しいはずだ。
「僕が悪かったよ」
「わかればいいのよ。お茶でもいれる?」
すぐに機嫌をなおした奈美ちゃんがボロボロのキッチンを指さした。
「ガス、つくの?」
「ううん、つかない」
「じゃあいれられないじゃん」
奈美ちゃんの秘密基地だというプレハブ小屋は、最初は入るのもためらわれるほど自然に還りかけていた。中には可愛らしい絨毯が敷かれ、どこから拾ってきたのかわからないソファーが置かれている。ソファーで隣同士に座って何気ない話をするのが、日課になっていた。
「来週から、どうする?」
「森山くんは夏休みどっかいくの?」
ここに来るのか、ということをたずねたのだが、奈美ちゃんからは返事の代わりに質問が返ってきた。それに小さく首を振ると、彼女は嬉しそうにはにかむ。
「じゃあ、私はここに来るかな」
「暑そうだね」
「扇風機拾ってこなきゃ」
「落ちてるかな?」
「さあ?」
「電気通ってないじゃん」
「あ、ほんとだ」
夏場に暑さを凌げるものがないなんて死活問題だと真面目に言うと、奈美ちゃんはおかしそうに笑った。夏休みが遠い未来の話みたいに。
奈美ちゃんはだいたい、着替えてランドセルを背負ってくる。時々このプレハブ小屋にランドセルを置いていくこともあったけれど、毎回ランドセルを見るとホッとしたような表情を浮かべていた。僕はその理由を、尋ねられずにいる。
「んん……」
少しうなった奈美ちゃんがこめかみを押さえて目を瞑る。
「頭、痛いの?」
「男の子にはあんまりわかんないかな」
「どういうこと?」
「髪ってさ、きつく結んだらだんだん頭が痛くなるの」
そう言われて思い返してみれば、奈美ちゃんはよく辛そうな表情を浮かべてこめかみを押さえている。
「下ろしたらいいのに」
彼女なら、ツインテール以外の髪型も似合うだろう。下ろして巻いてみてもいいし、ポニーテールもいいかもしれない。ああ、ポニーテールも次第に頭が痛くなってしまうか。とにかく、なんだって似合いそうだ。そういう意味を込めて言った言葉だったのだけれど、なかなか返事がこない。
「奈美ちゃん?」
心配になって顔を覗き込むと、彼女は寂しそうにはにかんでから口を開いた。
「少女の象徴なんだよ」
「少女?」
「そう。この髪型でいる間はね、私が少女でいられるの」
「どういうこと?」
奈美ちゃんは僕の問いかけに答えることなく立ち上がる。
「そろそろ行かなきゃ」
「バイト?」
「うん、そんなとこ」
奈美ちゃんは、日が沈みだすとバイトに向かうことが多かった。そういう日は、プレハブ小屋にランドセルを置いていく。
「森山くんはどうする?」
「あー、もう少しここにいるよ」
窓から入る西日は、まどろむのに最適で居心地が良い。
「そう、じゃあ私行くから」
「頑張って」
「……うん」
奈美ちゃんが手を振ってプレハブ小屋をでていく。ランドセルを背負っていない彼女は、時々すごく大人な表情をすることがあった。帰り際も、いつもそうだった。
「なんのバイトしてんだろ」
僕の声は反響することなく低い天井に吸い込まれていく。
そういう踏み込んだことを聞いたことはなかった。
聞けば答えてくれるのだろうが、わざわざたずねるほどのことじゃないと思っていた。これが普通の友達なら何気ない世間話で意識することなく聞けたのだろうが、奈美ちゃんが相手だとそうもいかない。
「なんでかなあ」
答えのわかっている疑問を抱えて目を瞑ると、いつもより少し強めの眠気が襲ってくる。そういえば昨日は遅くまでゲームをしていたっけ、なんて思う間もなく僕は意識を手放した。
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