1-3 見捨てられている母と娘

「あの間抜けな数学教師は帰ったのね?」


授業を終え、部屋の換気をしていると母が部屋へ入って来た。母は分厚い本を抱えている。


「はい、帰りました。」


母はいつも前触れも無しに、ノックもせずに部屋へ入って来る。子供の頃はそれでも構わなかったが、もう私は18歳だ。ノック位はして欲しいが、そんな事を言えば母がヒステリックに叫ぶので黙って置く。

 私の母、エレクトラと父は政略結婚だった。学者の両親に育てられた母は厳格な家庭で育てられ、恋愛とは切り離されて生活をしていた。そこへ父との結婚の話が持ち上がり2人は結婚する事になった。母は結婚生活に夢を持っていたが、父の態度は冷たいものだったと言う。母を顧みる事が一切なく、会話すら無い。存在を否定されて生きてきた。その証拠がこの私だ。どうしても子供が欲しかった母は泣く泣く父に頼み込み、結婚5年目にしてようやく私が誕生した・・・という話を使用人達の陰口で知る事になった。こうして生まれた私は当然一人っ子だった。

私が生まれると、父はこれで自分の役目は果たしたと言わんばかりにますます母を遠ざけ、私の存在をずっと無視してきた。

しかし母は、それでも父の愛情を欲し・・・私にも必要以上に関わる事を拒んできた。それは父に嫌われている私を構うと、自分迄父にますます嫌われてしまうのでは無いかという恐怖心があったからに違いない。結局母が子供を欲しがったのは・・子供さえ生まれれば、夫の愛情を得られるだろうと思っていたからに過ぎなかったのだ。

そして私が10歳のある日、父が両親を事故で無くしてしまったカサンドラを家に連れて来た。そこから私の扱いが今まで以上に酷くなっていった・・・。



「ライザ、何をぼさっとしているの?すぐに勉強を始めるわよ。」


「あ、も・申し訳ございません。」


声を掛けられ、我に返った。


「分かったならすぐにそこへ座りなさい。」


「はい。お母さま。」


席に着くと、母はドサリと重そうな本を机の上に置いた。


「今日は歴史の勉強をするわよ。その後は数学の勉強をしますからね。前回の続きのページを開きなさい。私はドアの鍵を掛けてきますからね。」


そして母は鍵をかけに行った。そう、私が母と一緒に勉強をしているのはこの屋敷では誰一人として知る者はいない。何故かは分からないが、父は私が必要以上に勉強する事を嫌っている。それは恐らく私の頭が母に似て良いのを気付いているのかもしれない。

しかし、カサンドラは頭が良くない。それなのに分不相応だとは思わないのだろうか?その時、母が声を掛けてきた。


「ライザ、勉強に集中しなさい。お前は優秀な先生から教えて貰える立場にないのよ?だから頑張って勉強しなさい。カサンドラに負けてもいいの?」


母はイライラしながら言う。実は私だけでは無く、母もカサンドラにはイラついていた。それは父がカサンドラにだけ贔屓をするからだ。彼女にだけはプレゼントを買ってきてあげたり、優しい笑みを浮かべて話しかけている。それは私や母にも見せない仕草だ。なので母は父の愛情を独り占めしているカサンドラにあろう事か嫉妬しているのである。

兎に角私は一生懸命勉強して、この家を出て立派な職業婦人を目指すのだ。

そしてノートにペンを走らせて私は勉強に集中した。



たっぷり3時間集中して勉強した私は紅茶を飲んで休憩を挟んでいた。


「ライザ。来月公爵邸でダンスパーティーが開催されるわよ。参加するんでしょう?」


母は紅茶にたっぷり砂糖を入れ、スプーンで掻き混ぜながら尋ねてきた。


「いえ、参加するつもりはありませんが。」


紅茶を一口飲むと返事をした。


「何故なの?!貴方には縁談の話が入って来ないのだから、そういう社交辞令の場へ行って素敵な殿方を見つけなければ、一生誰とも結婚できなくなるわよ?」


母は乱暴にカチャンとカップを置くと言った。


「いえ、そんな事はありません。ですが・・・ドレスがありません。」


「私が若い頃来ていたドレスがあるでしょう?」


「お言葉ですが・・・時代遅れです。周囲から馬鹿にされてしまいます。大体お父様は・・私に何一つ買ってくれた事は無いではありませんか?」


「ライザッ!お父様の悪口を言うのはおよしなさいっ!」


母は父に蔑ろにされているくせに私が父の悪口を言うのを許さないのだ。


「ですが・・・。」


「それなら、今着てもおかしくないように自分でドレスを工夫してごらんなさい!」


「工夫・・・。」


そうか、その手があったか・・・。

母の提案が後に私の運命を大きく変えるきっかけになった瞬間であった―。







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