第5話 恋の魔力(その①)
その夜、二宮は彼女にLINEを送った。
相当悩んでいたみたいだし、ごく短いメッセージだったけど。
――今日はごめん。無神経だった。
きみの気持ちも考えないで。
いろんなことで、まるで自覚がなくて。
本当にごめんなさい――
夜だといつも十五分以内に返ってくるという彼女からの返信は、残念ながらそのときは違ってた。ベッドの中でスマホを握り締め、興味のないニュースや課金なしでたまにするゲームの画面を眺めて待っていた二宮がついに寝落ちしてしまうまで、メッセージの着信を知らせる通知が現れることはなかった。
まあ、仕方ないってとこだね。
そして翌朝、アラーム音で目覚めた二宮が画面を確認すると、彼女からの返信が来ていた。夜中の二時過ぎに送られてきてたそのメッセージは、
――わたしの方こそごめんなさい。
すごく思い上がってたし、失礼だった。
しーくんはやっぱり、忙しいんだものね。
だから、引越しの準備とかでも、あんまり無理しないでね。
わたしに手伝えることがあったら、遠慮なく言ってください――
ベッドの端に腰かけてスマホを見つめたまま、二宮はしばらく動かなかった。たぶん、思ってた反応と違ったからだろうね。いったいどんな言葉を期待してたのか知らないけど、これってまだ全然いい方なんじゃないのかな。確かに素っ気ない感じはするけどね。
ってなわけで、仕事中のテンションにもモロに影響が出た。その日はほぼ終日聞き込みに回るという、そこそこの体力となかなかの忍耐力を使う作業をこなさなきゃならない日だった。バディはもちろん警部さん。彼女が主導権を握り、二宮はサブに回るという体制はいつもと変わらないのだけれど、二宮は正直まるで役に立たなかった。
もちろん、警部さんはそんな二宮を見逃してはくれない。昼休憩に入ったうどん屋で、買った食券をスタッフに渡して席に着くなり彼女の詰問が始まった。
「――いったいどうしたの。体調でも悪い?」
「いえ、大丈夫です」
「引越し準備はひと通り終わったのよね。問題でも?」
「何もないです。すみません」二宮は首を折った。
「ひょっとして、彼女と喧嘩でもした?」
二宮は今度は黙って頭を振った。声を出したら動揺を見抜かれてしまうとでも思ったのかな。
「……黙秘か」と警部さんは腕組みして左手を顎に添えた。「分かってるの? 仕事に支障が出てること」
「そんなことはないつもりです」
「そんなことあるから、訊いてるのよ」警部さんは身を乗り出した。「そろそろ
ボクなんてまだまだです、と二宮は小声で言った。
警部さんはため息をついた。「……いつまでも通用しないわよ。そんなひよっこキャラ」
そこへ注文した料理が運ばれてきた。特盛りの冷やしごまだれうどんにどっさりの天ぷらの盛り合わせを二宮の前に置こうとしたスタッフに、二宮が「いえ、そっちで」と警部さんに手を差し伸べると、スタッフは目を見開いて警部さんを見た。警部さんはスンと頷く。自分の前に手をかざして、さっさと置きなさいとでも言うようにスタッフを上目遣いで見た。――いや、恐れ入ったね。で、二宮の前には並盛りの冷やしきつねがひっそりと置かれた。
「そんなのでお腹いっぱいになる?」警部さんが言った。
「じゅうぶんです」と二宮は答えた。「だから、警部が特別なんですって」
警部さんはふうん、と首を捻ると、いただきますと合掌をして山高に盛られたうどんをほぐした。そして結構な量を上手に啜ると、竹輪の天ぷらをこれまた器用に箸でぶつ切りにしながら言った。
「わたしの勘が正しければ、今のあなたを悩ませているのは、奈那さんとのこと」
「……違います」
二宮は重い声で言った。おそらくもう、これ以上誰かにプライベートを話すのはやめようと思ってるんだと思う。ヘタに話すから、関わってこられる。それが嬉しいときもあるけれど、結局は煩わしいことの方が断然多いって考えてるんじゃないかな。ずっと前に彼が仲間とのチャットでそんな感じのことを話してたことがあるんだ。何の話題でかは忘れたけど、人との関わりに臆病になってるって言ってたように思う。
それと、彼女より先に警部さんに引越しの件を話したことで、それを知った彼女が気分を害したのだから、もう警部さんにはこれ以上のことは言わないと決めたんだろうね。至極当然だよ。
「図星ね」と警部は笑った。「でもいいわ、深くは訊かない。言いたくないんでしょうし」
二宮は黙っていた。否定しないことで認めていた。
「――わたし、思うんだけど」
警部さんはえび天を食べながら言った。「あなたはもっと、思ってることを相手にぶつけた方がいいと思う」
「えっ?」
「遠慮してるんでしょ。誰に対しても」
「別にそんな――」
「相手によりけりよ、そんなことは」警部さんは言った。「だけど彼女には、思ってること正直に言った方がいい。それで少しくらいギクシャクしても、またもっと話せばいいだけ。遠慮して黙ってると、思いは伝わらないのよ」
二宮はまた黙り込んだ。
「いいわよ、相槌打たなくても。わたしが一方的に話すから」
すると警部さんはバッグから財布を取り出し、「失礼」と言うと立ち上がって食券機のところへ行った。そして買った食券をスタッフに渡して戻ってきた。
何を注文したんですかと問うような眼差しの二宮に対し、警部さんは「とり天。うっかり忘れてた」と答えた。いやはや、どれだけ食べるんだろ。
「何を遠慮してるのか知らないけど、そういう気遣いって、嬉しくないからね」
二宮はまた俯いた。
「迷ってること、不安なこと、したいこと、したくないこと――思ってること全部言えばいいのよ」
すると警部さんはパッと目を開いた。「あっそうだ、一人だけその例外がいたわ」
二宮はえっという感じで顔を上げた。警部さんはしたり顔で続けた。
「あなた、芹沢にはいろいろ言うんですってね」
「巡査部長……ですか?」
警部さんの旦那だね。
「彼が言ってたわ。ずけずけ、耳の痛いこと言われるって。具体的な内容は教えてくれなかったけど」警部さんは片眉を上げて二宮を見た。「言い返しても、一歩も退かないんだって」
「……そんなことないと思いますけど」
そうなの? と警部さんは首を傾げた。すると二宮は苦笑して気をつけますと言った。
「いいのよ、何だかちょっと嬉しそうだったし。これからも遠慮なく言ってあげて」
「……心に留めておきます」
警部さんは満足気に頷いた。うどんと天ぷらをきれいに平らげ、そこにタイミングを合わせたように運ばれて来たとり天に塩を振ると、箸を伸ばしてぱくぱくと食べ始めた。
「――そうやってね、思ったことを全部本気でぶつけたら――ちゃんと伝わるのよ。たとえ相手にとって耳の痛い辛辣な言葉だったとしてもね」
二宮は黙って頭を下げた。うどんを食べ終えると、「ボクもとり天、食べようかな」と立ち上がった。
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