第67話:罪に罪を重ねる…

 現在執筆中の【林檎喫茶のお姫様】なのですが、若干の誘拐みたいな表現があったと思うんですよ。

 なので、紹介文の所にも『犯罪を助長する意図』がないことを記載しています。

 数年前から、作品の影響を受けた犯罪というのはニュースで拝見しますし、出版していないとはいえ自分の作品もそういう事になりかねない。


 それって、超絶プラス思考に考えれば読者に影響を与えたことになる。

 どっちみち犯行をするつもりだった行動に手助けやアイディアを与える事になってします。

 でも、そんなこと言い出したらミステリー小説はこの世から消えてしまう。

 それはよろしくない。

 それでも、やはり本人にどういう意図があったかわからないけれどそういう報道にはなってしまう。

 だからこそ、配慮は必要なのかなって思うわけです。


 読者に配慮した文章や内容に変更する…というのは、一見簡単かもしれません。

 でも、それってなんか違うなって思うわけです。

 あ…これは勿論個人差がある話で、『売れたい!書籍化したい!』という場合はまた違うと思います。

 私は、年収200万にもならないであろうお給料で生きています。

 そのことを考えたら、書籍化してご飯食べたい気持ちはめちゃくちゃあります。

 ただ、有難い事にお給料を頂けているのです。

 だから、今は書きたいように書きたい。

 もし、書籍化のお話を頂けることがあったら、その際はWeb版と書籍版の二種類があってもいいのかな…。

「詳しくはWebで!」

 みたいなね(笑)


 なんでそんなに犯罪行為に固執しているか…固執……してるかな。

 登場人物の思考を優先してあげたいんですよね。

 犯罪には理由がある。

 だから、その理由を『書籍化控えてるから書き換えるね』っていうのは違うかなって。

 作者の脳裏で登場人物達を自由に行動させて、そのレポートを文章にまとめたものを“小説”というのなら…。

 登場人物達の行動を誘導する際に、彼等の意思に反する方向へは導けないのです…。

 もしも、私が人を殺める時。

 その時、犯罪の計画を立てるかもしれませんが『この犯行が第三者(この場合は読者)に悪影響を与えてしまうかもしれない』なんて考えないですよね?

 自殺を考える時に、『残された人達の事』を考える事はあるのかもしれませんが…。

 そういう理性的な考えができるのであれば犯行はしないと思いますから。

 だから、私の作品に出てくる子達は少しひねくれていて…それでも生に執着せず彼等なりに生きているのです。

 強いて言うのなら、『生と死を自由に選べる権利』をあげたいのです。

 第三者の目の気にすることなく自由に。


 私が気にしている『残酷描写』は、物理的な表現ではなく精神的な影響なのかもしれません。

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