第37話:作品のノイズ

 原作が存在する作品が、アニメ化や実写化になる際に発生する『解釈違い』ってあるじゃないですか。

 正直、『解釈違い』っていうのは当たり前だと思うんですよね。

 なぜなら、元々無音声の状態で読んでいた作品に、ある日突然『声』が付くんですもの。

 読んでる時に、きっと無意識に脳内再生していた『声質』ってあると思うから、それと違った時に感じてしまうんじゃないかなって思うんですよ。


 映像作品って、良くも悪くも影響力がすごいですからね。

 ただ、正直作品に正解ってないと思うんですよね。

 あ…。

 勿論、原作者様の考えが正しいとは思うのですが、それはあくまで“作品を作る側”にとっての問題であって、“作品を受け取る側”の問題ではないと思うんですよ。

 同じ作品でも、10人が読書なり視聴なりすれば、少なくとも3~6通りぐらいの解釈にはなると思うんですよね。

 それが、舞台になった途端無限大に増えるんですよ。

 観劇したお客さんの数だけ解釈が増えるのは、座席によって変化する景色だったり視線で追っている人物によって、感情移入のしかたも変化していくので当り前だと思うんですよ。

 けれど、それゆえに舞台って少し頭を使うというか…。

 あ、でもそれは私が所謂考察厨だからかもしれないんですけど。

 でも、そうやって色んな解釈が出てくる作品というのは、自分が気づけなかった角度から作品に触れることができるので、私個人としては大好きなんですけど…。


 アニメや映像媒体での実写化が先に行われている作品(特に漫画原作)の舞台化って、なぜか映像作品と比較しようとする人達が多い印象なんですよ。

 勿論、媒体によって得意不得意な表現方法ってありますから、アニメだからこその良さ・映像作品だからこその良さ・舞台だからこその良さっていうのを比較するのはいいと思うんですよ。

 でも、そうじゃなくて…。

 アニメや映像作品を“原作”と同等と言っても過言じゃない位の位置づけにしていて、違いを楽しむというよりも批難している…場面をちらほら見かけたことがありました。

 感じ方は人それぞれですから、それこそ私がどうこう言う問題じゃないんですけど…。


 そう。

 作品が作品のノイズになってしまっている事があるんですよ。

 私はなんだか…そういう意見とか感想を見聞きすると寂しいなって思います。

 直接言ったりはしないですけどね。

 でも、せめて相乗効果というか表現方法の違いとして受け取ってくださる方々が増えてくれたら嬉しいな…。

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