3-5 頼れる友人は様子がおかしい。

 それからの五日間、僕はなんにもしていない。


 あまりにも普通に日々を過ごした。

 毎日、気付けば深夜と言える時間帯になっていたので、身を清めて眠るだけ。


 その翌朝に自分がどうにも夕食さえとっていなかったのだと腹の虫に教えられて、ぼそぼそと朝食をとり、学校へ通う。


 放課後は足早に家に帰って、また気付けば深夜で、眠って、翌朝に夕食をとっていなかったことを思い知らされる。


 魔女に探偵業を任せている五日間、やけに体がだるく、なにもかもが手につかないほど疲弊していた。


 きちんとベッドにでも横になれればいいのだが、あいにくと僕は横になって眠ることができず、それを加味して部屋に布団のたぐいはない。


 少し高級な椅子だけが僕の寝床だった。

 ……こればかりはもう、なんていうか、治ることのない後遺症みたいなものなのだと思う。


「お前、放課後はなにをしてるんだ?」


 あまりにも疲れた様子がひどかったらしく、友人にはそんなふうに気遣われてしまった。


 ……めざとい彼のことだから、きっと、僕の疲弊ひへいには早々に気づいていたが、切り出すタイミングをうかがっていた、というところなのだろう。


「まあ、今の状態ももうすぐ終わると思うよ」


 なにせ今日が五日目だ。


 魔女は五日で猫を探してみせるとのたまった。

 僕はそれを信じて魔女にすべてを任せた。


 というか、そもそも、すべて魔女の言う通りで、僕はアルバイトの助手でしかなく、おまけに魔女からの給料もまだ未払いだ。

 僕が熱心に働く必要性は本当にどこにもない。

 なんなら給料が振り込まれるまでストライキを決め込んで、家で惰眠だみんを貪っていたっていいぐらいだ。


 だが、それはできなかった。


 僕はどうにも、『信じて任せる』ということが大の苦手らしい。


 魔女の猫探しは失敗したところで僕の人生になんら関係のないことではあるが、それでも、僕が引き受けてしまった責任感みたいなものはある。


 感じる必要のない責任。


 ……姉が亡くなった時、その死を姉が惚れていたこの男に知らしめる責任が自分にあるのだと感じた。


 その結果、僕はどうにも、勝手に責任感を覚えて、勝手に突っ走るタイプなんだなということを思い知らされた次第だ。


 わかってる。責任感なんか背負ったって、なにもいいことは起こらない。


 わかってはいるんだが、『だから、無責任でいきます』とすぐさま切り替えられるやつが、こんなふうに悩んだりはしないのだった。


「……はあ」


 第一校舎と第二校舎をつなぐ渡り廊下は、左右が落下防止の金属製の手すりで塞がれている。

 そこに両腕をあずけて突っ伏すと、鼻に古い金属特有のにおいがツンと入り込んでくる。


 昼休みの渡り廊下は通行人こそいるが、こうして足を止めているのは、僕と友人ぐらいなものだった。

 なにせまだまだ寒い。

 おまけに建物と建物のあいだにあるこの場所には、ブレザー姿でしのぎきるには厳しい強風まで吹き付けている。


 僕らがこんなところで足を止めている理由は、これがぜんぜん、まったくなかった。


 友人が唐突に僕に話を切り出して、僕がその答えにちょっと窮して足を止めたとか、そういう程度の偶然だ。


 足を止めるにはさしたる理由はいらなかった。

 けれど、この身にある疲労はどうにも本物で、足を再び動かすには、こんな寒々しい強風の中でさえ、なにかしらの理由を捻出しなければならなかった。


 肩でもゆすって促してもらえたら、きっと僕はすぐに歩みを再開するだろう。


 けれど友人はじっと黙って立ち尽くしている。

 それはなにかを思案するような時間だったようで、しばしあと、友人は再び口を開いた。


「そういえば、バイト、辞めたみたいだな」


「え? あ、ああ……」


 歯切れが悪くなってしまったのは、その情報が古かった上に、友人もすでに知っている情報のはずだったからだ。


 僕は色々あって一人暮らしをしているのだが、その暮らしを賄う資金について、さほど困窮していない。

 まとまったお金があり、それを手にできるように尽くしてくれた親戚がいたからだ。


 ただし有限には違いなく、降って沸いたお金で生活をしていくというのはどうにも座りが悪かったため、学校に許可をもらってアルバイトをしていた。


 それを辞めたのは魔女のところで探偵助手を始めるためで……

『魔女探偵の助手をやっている』なんていう人生の恥部を、友人にさらさないように僕はひどく気を払っていた。


 つまり友人は僕がバイトを辞めたことは知っているが、違うバイトを始めたことは知らないのだ。


 さぁて、話がまずい方向に転がりかけているぞぉ、と顔を手すりに伏せたまま、腋のあたりから友人の表情をこっそりのぞき見れば、思ったより真剣な顔がそこにあった。


 思ったより、というか。


『昼休み、高校の渡り廊下』というシチュエーションからは想定しようがないほどに、深刻な表情だった。


 さすがにそちらへ向き直る。


「……どうしたんだよ、そんな険しい顔して」


 状況に不釣り合いな真剣さがにじむと、つい、笑ってしまいそうになる。

 そこまで大真面目な顔をするような文脈が思い当たらない。


 僕らの会話は『最近疲れてるな』『まあその原因も、もう終わるよ』ぐらいのもので、そのどこに、あそこまで真剣な表情を引き出す要素があったのかがさっぱり見当もつかなくて、僕はひくつく口角の動きを抑えきれなかった。


 友人は険しい顔のまま、言う。


「お前、変なことに巻き込まれてないか?」


 ……否定しにくい。


 魔女探偵の事務所なんていうのは、おおよそ僕みたいな普通人が巻き込まれる『変なこと』の中では筆頭にあたるだろうし、そこの助手として働いているのも変なことに間違いなければ、しゃべる猫の依頼で猫探しをしているというのも、言い訳のしようがないぐらい変なことだ。


 どれも口に出したら正気を疑われるので、つまびらかに説明してやれない。


 だから僕はちょっと考えて、


「巻き込まれてはいない。望んで身を置いてる。まあ、危険なことじゃないよ」


「危ないバイトはしてないだろうな?」


「……ああ、そういう心配か。知ってるだろ? 僕は言うほどお金には困ってないんだ。バイトは精神的に必須だけど、金銭的にはそこまでじゃない。定期的に母方の実家に顔を出す義務はきついけど、それもまあ、犯罪に手を染めるほど理性を損ねるものじゃないよ」


「犯罪、というか……なあ、その、俺は気になっていることがあってだな」


「なんだよ。言い淀むなんてらしくないな」


「…………お前が、お前の姉の死を俺に宣告した日があっただろう」


 その話を改まって切り出された時、僕は悲鳴を挙げそうになった。


 あの件はなにからなにまで恥ずかしい空回りで、僕とこいつの中では『触れない』という紳士協定めいたものがあると勝手に思っていたのだ。

 それを取り沙汰されると僕はのたうちまわりたくなる。


 ……ああ、だから言い淀んだのか。


 促したのは僕だった。しょうがない。


「あったな。それが?」


 努めて平静をたもって応じれば、友人はいっそう深刻そうなシワを眉間に刻んで、


「お前、あの日から、なにかおかしいよな。こう……表現が適切かはわからないんだけど……お前さ――」


 ――楽しそうだよな。


 友人は言いにくそうに、申し訳なさそうに、そんな所感を語る。


 楽しそうなのが、不自然だ――そう考えているのだと読み取るしかなかった。


 だから僕は、たぶん友人が想定しているであろう切り返しを、きわめて冗談めかして告げることにした。


「おいおい、僕が楽しそうだとなんかまずいのかよ? いいだろ、別に」


「いや、それはもちろんなんだけど……っていうか。こういう言い方は不本意なんだけど、危ない薬にでも手を出してるんじゃないかってぐらい、唐突にハイになってないか?」


「不本意なのはこっちだよ。……いや、薬? ないない! 僕のことそういうコネクションがありそうだとでも思ってるのか? 僕が薬を持ってるとしても、それは薬局で処方箋を提出してもらえる、遵法のドラッグだけだよ」


 実際。

 僕が母方の実家を定期的にたずねることを義務付けられているのは、きちんと定められた薬を服用しているかの確認という意味合いがある。

 あるっていうか、ほぼすべてそれだ。


 だから僕は行くたびにひどく疲弊するし、祖父母のいかめしい顔立ちを思い出すだけで胃が重くなるような心地だし――

 今さらどのツラ下げてそんなまっとうな気遣いをするんだ、と不満もある。


 ところで僕はセリフに『遵法ドラッグ』とかのツッコミどころを用意して、この話をちょっとした笑い話として着地させることに気を払っている。


 けれど友人はいっこうにツッコむことはなく、その顔はますます深刻そうで、この寒々しい渡り廊下から移動しようと促す気配さえない。


 だから僕は、友人ではない誰かが、僕の移動を促してくれるのを待った。


 そうしたらあまりにもタイミングよくスマホが振動した。


 すでにポケットに伸びていた僕の手はよどみなくスマホを取り出し、友人に「悪い、ちょっと」と断ってから電話に出た。


『猫、いたよ』


 電話の向こうの相手は、簡潔にそれだけ告げると、通話を切った。


 けれど僕は、今の状況を動かすために、まだ通話が続いているフリをする。


「わかりました。はい。はい。……ええ。では、学校が終わったらすぐに向かいます」


 通話をしながら歩き出す。


 友人も押し流されるようについてくる。


「あの、わかっているとは思いますけど、『いた』のを確認するだけじゃなくて、確保もきちんとしておいてくださいよ」


 わかってると思いますけど、と言いながら、わかっているとは全然思っていなかった。

 なにせ魔女だし。


 まあ、もう通話は切れているので、言っても意味がないけれど。


 そうやって渡り廊下を抜けて校舎内に戻るまで話が続いているフリをして歩きつつ、校舎に入ったタイミングで通話を切ったフリをする。


「……電話か? 今の」


 友人は不審そうに首をかしげていた。

 ……後半の『話してるフリ』がバレたのかもしれない。


「教室に戻ろう。思ったより時間を食ったからさ」


 強いて話を続ける理由もないのであからさまに誤魔化す。

 友人はそれ以上追求しない。


 追求しないどころか、無言で険しい顔をしたままだ。


 だから僕は強いて冗談めかして、ボケてみた。


「そういえば、僕ら、なんで昼休みに渡り廊下にいたんだっけ?」


 友人は信じられないものを見るように、こちらを見た。


 ダメだ。今はなにを言っても深刻に受け止められる。そっとしておく時なのだろう。たぶん。

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