2-1 私は魔女に出迎えられてしまった。
「来てしまった」
エレベーターもない五階建てアパートの最上階には、マジでこんな表札が貼り付けてあったのだった。
『魔女の探偵事務所』
「絶対やばいよ……どうしよう……」
宅配の人をぎょっとさせるためだけのイタズラみたいなそれはたしかに目の前にあって、私がドアをノックしようと持ち上げた手を、なんらかの強い力で止めていた。魔法かもしれない。
でも、私は吸い寄せられるようにここに来たのだった。
ホームページを見た瞬間に笑った。しかも失笑。
探偵という職業の収入の不安定さには多少なりとも理解を示すことができる。
できるけれど、いくら客引きに強いキャッチが必要だからと言って、さすがにこう、魔女はないだろう、と笑った。
猫探しでも依頼しようものなら、猫がしゃべるようになって帰ってきそうなその事務所のホームページをつらつらと見て、その依頼料金の探偵事務所(興信所)に不釣り合いなほど――というかちょっとしたカラオケぐらいに良心的なのに真顔になった。
たまたま住所が学校のある地域だったのに嫌な運命を感じて、ちょっと寄って、外観ぐらいは見てみようと思った自分に『おいおい』とつっこんだ。
歩いている最中も『いや、行くわけないでしょ。建物だけ。建物を見るだけ』と思いながら半笑いだったし、エレベーターがないのを見て『うわーただでさえコレなのに階段で五階までのぼるとか、絶対に誰も利用しないわ』と顔が引き攣った。
階段をのぼりながら、蜘蛛やらよくわからない虫の死体やらがその段差の端っこに目につくのに心底怖くなった。
五階までのぼりきるころには疲労だけでは説明のつかない息苦しさを覚えて『絶対に入らない。ドアを見るだけで終わり』と決意を新たにした。
そしてドアの前に立った私はその表札が本当に掲げてあるのを見つつ、やっぱり変な笑顔がこぼれ出るのを感じつつ、ノックのために、拳を持ち上げていた。
「ないない……いくらなんでも、ここで、引き返すよ」
今さらながら、たった一人で、しかも制服だなんていう身分があきらかになりそうな格好でここまで来たのにひどく後悔している。
私はよく度胸があるとか男っぽいとか言われるけれど、それはあくまでも高校のクラスメイトの間での話だ。
社会という大きな場所に出てしまえば、どこにでもいる女子高生の一人にしかすぎない。
特別な力はないし、特殊な背景もないし、反社会組織にからまれたら普通に怖くて泣く。
だから、こんなあからさまに怪しいドアをノックすることだけは、さすがに、ありえない。
導かれるようにここまで来てしまったけれど、さすがに私の大冒険はここで終わりだ。
……そう思っていたのに。
私の拳がドアを叩こうとちょっと引かれたそのタイミングで――
ドアの方が、勝手に開いた。
…………そこから顔をのぞかせた人を見て、ひどく納得してしまう。
たしかにここは、『魔女の探偵事務所』だ。
出てきたその人はたぶん、女性だと思う。
きっと女性だ。だって、服装が、そうだもの。
半開きのドアからのぞくのは、ゴシック調ドレス。ふくらんだスカートと真っ黒なストッキングに包まれた細い脚。
完全無欠のゴシック調。ただし、安そうな青いストライプのスリッパだけが、統一感をぶち壊している。
女性だ、と私の頭は判断している。
だというのに心の方は、性別をうまく認識できていなかった。
……その人の、容姿が、原因だ。
綺麗なのだ。
綺麗なだけ、なのだ。
中性的な美貌ではなかった。
幼くて性別がわかりにくい、という話でもなかった。
たぶん私とそう変わりない、高校生ぐらいのその人の容姿は、無性別的だった。
人体というよりは物体という印象で、見事さにため息をつきはするけれど、鑑賞以上の干渉をしようと思うと、話かけかたとか、そういうものが、うまく想像できない。
ただ、綺麗なだけ。
服装のせいもあって、まるで人形が――それも、ぬくもりのない、陶器の人形が動いているかのように不気味な人。
……魔女だ。
おそらく、そんなファンタジーな名称を看板に掲げるのは、こんな、性別がなくて、でも綺麗で、どこか浮世離れしていて、総じて恐ろしい、こういう存在なのだろうと、ものすごく、納得してしまった。
その人は、私の姿を上から下まで見たあと、一瞬、微笑んで……
ドアを閉めて中に入った。
「………………えええ⁉︎」
出迎えるためにドアを開けたんじゃないの⁉︎
しばしあって、よっぽど薄いらしいドアから足音が近づいてくるのがわかる。
するとまたドアが開いて、出てきた女の子がちょいちょいと手でなにかのジェスチャーをする。
……そこで私は、私がドアに近い場所にいすぎて、ドアを全部開けないのだということに気付いた。
一歩下がる。
落下防止用の壁に背中が触れた。
ドアが開く。
現れたのはやっぱり女の子のようだった。
背が高くてちょっと骨っぽい感じがするけれど、一部の隙もないゴシック服の着こなしと、それから綺麗すぎる顔面、あと動作の一つ一つからどことなく女性らしさが感じられた。
その人は片方の手にスケッチブックを持っていて、それを私に示してみせる。
私はそこにある、油性マジックであらかじめ書いてあったと思しき文字を見た。
『帰った方がいいですよ』
「ええええええ⁉︎」
女の子はページをめくり、
『今、先生は外出中です。この隙に逃げてください』
「い、いや、ここ、探偵事務所でしょ? お店でしょ? 私、お客のつもりで来たんだけど⁉︎」
……と。
思ってはいたけれど、決して明かす気のなかったことを、ぽろりと口からこぼしてしまう。
私は探偵を探していた。
正しくは、私の抱えている事件を解いてくれる誰かを、探していた。
女の子は私の様子を見て、私が逃げ出さないのを見て、それから、肩を落として、ため息をついて……
スケッチブックのページを、めくる。
あらかじめ書かれていた文字は、こうだった。
『中へ。私がお話をうかがいます』
すっごい嫌そうな顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます