1-7 僕は魔女への支払いを済ませていなかった。
「もしも君が使命感に酔わずにお姉さんのことを真に理解しようとつとめていたなら、お姉さんは君や君を通してしか見えない世界に見切りをつけたと理解できたはずだ。お姉さんはくだらない世界を捨てたんだよ。つまり」
姉を殺した犯人は、姉自身だった。
僕に生み出されてしまったばかりに僕の肉体を使うしかないという状況も、その肉体ゆえに恋に敗れたことも――
なんなら実在を確信されてさえいなかったことですらも、姉にとっては、数ある『世界を見捨てる要素の一つ』にしか過ぎなかった。
僕もあいつも、姉にとってすれば、ほんの小さなその他大勢だった。
姉の死因なんか名乗れないほどに、ちっぽけな存在だった。
そういう救いのない結論が、どうにも、正解だと思われた。
つまり僕がしたのは、女装をして学校をさぼり、親友を呼び出してその姿を見せつけ、首筋に刃物を当てたが当てただけで、なにかを成すことは一つもなかったのだった。
巻き込まれた親友の立場でものを考えてみると、いたたまれないにも程がある。
僕の自己満足のために不当に心労を重ねただけなのだから。
だというのに、
「お前がこんなに思い詰めてるとは思わなかった」
あいつは、反省を口にした。
僕の肩をしっかりつかみ、真剣な顔で、
「俺、うまくできないかもしれねーけどさ。……ちゃんと、お前の姉さんのこと、弔うよ。墓とか作って……お前のことを理解できるようにがんばるよ」
姉が惚れるのも無理がない、いい人っぷりを発揮する。
僕の姉はなんていうか、趣味が悪いのだ。
『非実在聖人っぽくていいよね。善意と倫理で作った狭い箱に自分を押し込めるのが大好きっていうのを地でいってて、しかも今のところ成功してる。いやあ、あいつの人間らしくないところが好みだわ』
姉さんの評価は間違っていない。
人類平等、他人に優しく、自分に厳しく、救える人がいるならすべて救う。なぜならそれが命をもって生まれた意味だから――
なんていう信念を持ってしまっている彼は、当然のように僕らに優しかった。
彼は僕らを弱者と述べたことはないけれど、それは弱者に対する態度だった。
社会の思う『善性』を一人の人間に押し込めるとこんな歪な化け物が生まれるのだ、という見本が僕らの親友なのだった。
僕はこいつのことを気味が悪いと思っている。
こいつもきっと、僕らのことを気味悪いと思っている。
……こうして、なにも変わらない日常が続くと約束された。
姉は死んで、僕は一人になったけれど、それは、僕にしか観測できない。
聖人の理論では『そのようにふるまう』ことはできたって、本当にそうなのだと確信にいたることはないだろう。
……きっと僕が目の前で自殺を完遂しようとも、こいつは姉の死を理解できなかったんだろうな、と今さら思う。
僕の姉の死は、やっぱり誰にも観測できない。
僕と、魔女以外には。
◆
後日のことだ。
気持ち悪いぐらいに『なにもなかった』という態度で接してくる大事な親友と会話をしていると、スマホに覚えのない番号からのコールがあった。
普通ならばまず受け取ることがないのだが、コールが長くて間違い電話の可能性を感じたし、なによりその時は昼休みだったし、この親友との会話には異常な疲労感が伴うので、気まぐれで出てしまった。
すると、電話の相手は開口一番にこんなことを言った。
『君は運命という大いなる流れを信じるかい?』
もちろん一瞬で切ったのだが、またかかってくる。
無視したかった。絶対に無視すべきだった。即座に着信拒否リストに叩き込むべきだった。
しかし僕にはこの電話の相手を無視できない事情がある。
『ちょっと』と断って席を立ち、人のいないあたりを探した。
昼休みの高校だというのに、階段をのぼった先にある屋上への入り口前がやたらとすいていて、嫌な運命を感じつつ、電話に出る。
そして、
「……魔女さん、電話をかけた時は、名乗った方がいいですよ」
すると電話の向こうでしばしの沈黙があり、
『いや、君は声でわかるでしょ?』
「わかりましたけれど。……それで、依頼料の話ですか?」
そう、僕はまだ、あの調査の依頼料を納めていないのであった。
そして依頼料がなんだったのかも確認していない。
……まあなんていうか、二度とかかわりたくない想いが強過ぎて、あの魔女の存在を少しでも感じられるところには立ち寄らないようにしていたのだ。
ほら、魔女に関係する場所をうろうろすると、切れかけた縁がまた結ばれてしまうような、不気味な感じがあって。
しかしこうして僕らはまたつながってしまった。
年貢の納め時というのは、こういう心境になるのだろう。
魔女はむやみにヘラヘラした声で話を続ける。
『実はバイトを辞めまして、探偵業を本職にしようかなというところなのです』
「いや、あの、どういう反応をすればいいかわからないんですけど」
『社会人が仕事を辞めた時の正しい応対は「おめでとうございます」だよ』
「……おめでとうございます」
『うん。それで、依頼料の徴収をと。まあほら、君からの依頼は達成できたかどうか怪しかったんだけれど、このままだと私、死ぬじゃない?』
「なぜ?」
『え? そりゃあ、仕事を辞めて収入がない上に、私の探偵事務所には資格がある人しか来ることができないからだけど。言ったでしょ、需要がないんだ』
「それは僕がいると解決できる問題なんですか?」
たとえ魔女としての『直視できない』という特性がなかったとして……
あのオンボロアパートの五階まで階段でのぼり。
『魔女の探偵事務所』と書かれた表札前で引き返さず。
扉のノック音が想定より大きくなるのに怯えて逃げず。
さらにあの狭い廊下を歩んで魔女に依頼を持ちかける人など、いないだろう。
僕が呑み込んで言外に伝わってほしいなと思っていたそれらの要素について、魔女はこう述べた。
『立地に問題があることは認めるけれど、今はインターネットがあるからね。君が私を探偵と定義してくれれば、直視できない人も減るよ』
「………………まあ、そうかもしれませんね。それで? 定義しろっていう話なんですか? つまりそれは、僕に伝わる言葉で言うと?」
『君には探偵助手をやってもらいたい。無料で』
「今時分の高校生にも、労基に駆け込むぐらいの知恵はあるんですよ」
『それが支払いだと言っても?』
「……ああ、労働で返せということなんですか」
どうだろう、その支払いはやっぱり労基案件のような気もするのだが……
魔女に依頼しておいて支払いさえないという状況もそれはそれで不気味なので、そんなことで借りを返せるなら、まあいいかという気持ちもあった。
しかし、
『労働で返す、というのは少し違うな。君が私に支払うのは、言ってみれば将来だよ』
「跡を継がせる気なんですか……?」
『だって君、依頼料を払う義務があるからね。いや、あの依頼は解決できたか怪しいから徴収は迷ったんだけど、背に腹が変えられない状況になってしまったから』
「すいません、あの、僕に理解できるような話運びをお願いします。まず、僕が支払う依頼料はなんなんですか?」
『ええ⁉︎ まだ確認してないの⁉︎』
これは本当のおどろきのようだった。
まあ、うん。
排水溝の汚れみたいなもので、処理せずに済ませられるならそうしたかったという意思がこちらにはあった。
なので、僕はか細く「すいません」と謝った。
魔女は、
『いいかい少年、私の事務所にはね、魔女になる素養がある人しか来ることができないんだよ。つまり、私への依頼料は「魔女になること」さ』
最初に確認しておけばよかったと心の底から思った。
『まあ、素養があったのは、君よりお姉さんの方っぽかったし、迷ってたんだけど……でも思い返してみたんだよね。そうしたらさあ、気付いたことがあって』
「なんですか……怖いので言葉を濁さないでくださいよ」
『いや、君……女の子の格好、めちゃくちゃ似合うじゃん?』
「……」
『いけそうだと思ったんだよね』
…………基準!
いいのか魔女⁉︎ そんなことで⁉︎
『というわけで、君は私の内弟子になり、私を手伝う義務が発生しました』
「僕は労基と警察に電話一本で連絡をとることができる立場なんですよ」
日本国民は全員そうだが。
すると魔女は慌てたように、
『わかった! わかりました! 給料は支払います! 住み込みでなくてもいいです! シフト制にしよう! どう⁉︎」
少し叩いただけでこうまで譲歩が引き出せるので、このまま叩き続けたら依頼料の支払いもなかったことにならないかな、と思った。
けれど、それは、あまりにも恩知らずだ。
僕のあの、姉の死をめぐる一連の奇行は、なにも成せず、なにも変えなかった。
けれどたしかに、僕はすっきりした。
魔女探偵は現実に起きた事件はなんにも解決していないけれど。
心の中で起きた事件には、たしかに自殺だというラベルを貼り付けてくれた。
この解決法は魔女にしかできない。その一点だけで、彼女を頼ったのは正解だったとさえ思える。
それは内面の変化でしかない。第三者からすればわからないことだ。
……でも、僕にとって、第三者からすればわからない変化というのは、命を懸けるに値するものだった。
「……わかりました。あとで、シフトと給料の相談にうかがいます。諸事情あって一人暮らしなので、時間の融通は利くと思います」
『そういえば君、遺産生活なんだっけ』
「……そうですね。遠縁の親戚がずいぶん憐んでくれて、うまく調整してくれましたから」
『ふぅん。じゃあ、そういう感じで。待ってるよ』
「はい、はい。わかりました」
『女の子の服はこっちで用意しておくから、心配しないでね』
「え“っ⁉︎」
ぶつん、と電話が切れた。
しばらくスマホを片手にかけなおそうかどうか迷っていたのだけれど、あの存在と建設的な会話をしようと思うとどうしても徒労感が予想されて、けっきょく、そのままスマホをポケットにしまって教室へ帰った。
僕を出迎えた親友は弁当に手をつけないまま僕を待っていたようで、その周囲にいるクラスメイトも、そんな親友に付き合わされるかたちで食事を中断していた。
この状況を作られて、僕は開口一番に謝罪するしかない。「ごめん、待たせた」という言葉には、なんの心もこもっていないと自分でもわかった。
「どうした? 誰からなんだ?」
親友はこうやって人の事情にずけずけ踏み込む癖がある。
そしてその追及がしつこいので、慣れないとかわすことも難しく、そんな感じで僕は彼に姉の存在をつまびらかにする羽目になったわけだが……
さすがにもう、慣れている。
だから僕は、あの魔女からの電話であることをもっとも穏当に示す表現を探して、
「……バイト先」
短く、そう答えた。
それは意外なほどにしっくりくる表現だった。
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