山中にて

@ZKarma

事件記録No.■■■


これは、生存者の証言を元に現場を再現した記録である。



地元の人間が崖から滑落した。救助の為の応援が欲しい。


付近でコテージを経営する熊村氏にそういう知らせが飛び込んできたのは、そろそろ日が沈み始める頃であった。


彼が駆け付けた時には、すでに警察官や救助の人材が集まったあとであり、大型の照明器具やロープなどの準備が慌ただしく進められている状況だった。


一際目を引くのは、おおよそ40代くらいと思われる女性であった。


ヒステリックな声を上げながら、警官に掴みかかる勢いで何かを訴えるその姿を見た熊村氏は、彼女が滑落した人物の親族であろうことが容易に想像できたと言う。



季節は冬。

救助の為に集まった人々の吐く息は一様に白く、分厚い防寒具越しでも山風が堪える。

屋外ヒーターで暖を取りながら地形情報の確認や救助計画について話し合う彼らに「休憩を取っている暇があるなら、一刻もはやく夫を助けて下さい」とがなり立てる女性の取り乱し様が、酷く印象的であったと言う。



照明器具の設置が終わり、強力な光が崖下を照らし始まった時、熊村氏は崖際で救助隊員と協力しながら崖下に目を凝らしていた。


サーチライトの円状の光は、深く険しい崖壁と谷底を這い回り、やがて一点で止まった。


誰も、言葉が出なかった。


崖際より、目測四十メートルは下るまいという場所。

棚のように突き出した平らな場所に、それは転がっていた。


あれは、間違いなく手遅れだと一目で分ったと言う。


照明の光は、手足を奇妙な方向に捻じ曲げて横たわる人影を煌々と照らしていた。


大丈夫ですか、というメガホン越しの呼びかけにも、ピクリともしない。


おそらく即死であったのだろうと、熊村氏は述懐した。


遺体を回収せねばならない。

しかし視野は悪く、下手をすると遭難救助の専門家であっても第二第三の犠牲者となりかねない程危険な地形である。


朝を待つか、どうするか。


それを相談し始めた救助隊らに、遺体発見より沈黙していた女性が突如として掴みかかってきた。



「はやく引き上げてやって下さい!あの人が呼んでいるんです!!」



遺族の反応としては真っ当なものであるように見えた。

しかし、こちら側にも事情はある。


危険な地形故慎重を期さねばならない旨を伝えても、火に油を注ぐように彼女は逆上していく。


それからは、どうどう巡りであった。


「あの人が呼んでいる」

「待って欲しい」


何度となくそのやり取りを繰り返した後に、それは起こったという。



「あなた達には聞こえないんですか?あんなに助けを呼んでいるのに!!」


女性はその場から身を翻らせ、崖底へと落ちていった。

止める間もない、一瞬のことであったと言う。


崖底より響く鈍い落下音に我に返ると、現場は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。

崖下を覗き込むと、ちょうど彼らが照らしていた光の環の中で、夫に寄り添うように倒れる女の姿があったという。


数十メートル下の崖棚にぴったりと並んで事切れるその夫婦の姿は、あまりにも奇妙であり、魔的であった。

誰もが絶句する中、ふと背後より車のエンジン音が聞こえて振り返る。


そこには、一人の大柄な青年が車から降りてこちらに駆けよってくる光景があった。


彼は開口一番に言った。

「親父が崖から落ちたって、本当ですか…?」


拙いと、誰もが直観的に理解した。


――すぐに引き上げます。夜も遅いので一旦救助隊の事務所に行ってくれませんか。


この場から遠のける為に、そう提案した瞬間であった。


「出来ませんよ。だって、父さんと母さんが呼んでる声が聞こえるじゃないですか」


崖際に駆けよる青年を、熊村氏は取り押さえようとしたという。


また、連れていかれる。

誰もがそう思い、何人かが同様に青年を取り押さえた。


「何すんだよ!こんなことしてる暇があったら父さんと母さんを助けてくれ!!あんたたちには二人が呼んでるのが聞こえないってのか?」



そうして揉み合っている時、偶然にも誰かの足が大型照明に当たり、そのまま明りが大きな音を立てて倒れた。

怯んで熊村氏が青年を掴む手を放す。


それがいけなかった。


バランスを崩した青年は、彼を掴んでいた救助隊の一人を連れて、崖の底へと落ちていった。


「北村…!」


隣の救助隊員が落ちた同僚の名前を叫ぶ間、熊村氏は茫然と立っている他なかった。


何が何だか分からなかった。その場に居合わせた者たちは混乱の極みにあった。

倒れた照明はひび割れ、点滅している。

崖の底がどうなっているのかを知ることは出来なくなったのだ。


何をどうすべきかを考えられるほど場が落ち着くのも待たず、だしぬけに救助隊の一人がこう言った。



「おい、今崖下から北村隊員の声が聞こえなかったか?」






【199x年 二月xx日 ■■山中腹にて】

【死者、83名】

【生存者、1名】※1



※1【熊村信彦 57歳男性】

備考:親族、事件より12年前に死去済。天涯孤独。

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