りんご飴と高嶺の花と海

犬丸寛太

第1話りんご飴と高嶺の花と海

 私は高校に入学してすぐ引きこもりになった。勉強についていけないとか、新しい環境に馴染めないとか、色々と理由はあったけれどもう忘れてしまった。

 両親も干渉してくるタイプでは無かったのでひねもす毎日を怠惰に過ごしていた。

 インターネットにのめりこんだり、ゲームに没頭したり、初めのうちはそれなりに楽しかったけれど、結局飽きてしまった。

 何もせず、じっとしている。そんな日々を送っている私だが生活リズムだけは乱れていなかった。

 理由は部屋の窓から見える海だ。正確には海で釣りをしている少年。

 ある日の事だった、いつものようにぼーっと何を見るでもなく海の方向を眺めていると遠くの方で少年たちの騒ぐ声が聞こえた。気になって声のする方を見てみると、一人の少年が大きな魚を釣り上げたらしい。

 めったに釣れない魚のようで港にいた人たちが続々と集まってくる。

 なんという魚かは分からないけれど確かに立派な魚で少年の顔二つ分くらい大きかった。

 なんだかこっちまで感動してしまって私も港の人たちに混ざったつもりで少年にこっそりと拍手を送ってみた。

 終始照れ笑いをしていた少年は遠くの私を見つけると満面の笑みで私に向けて魚を掲げて見せてくれた。

 それ以来、朝晩毎日釣りにやってくる少年を見ることを習慣にしていた。

 薄暗い部屋から毎日少年を見つめる女なんて傍から見て結構アブナイけれど、それでも少年は魚を釣り上げる度に私の方に魚を掲げ、それを見た私も小さく拍手を送る。

 言葉も無く、距離も遠いけれど、それだけが私の外への興味の全てだった。

 ある夏の暑い日の夕暮れ、いつも通り少年は釣りに来ていたがいつもより早めに帰ってしまった。

 どうしたのだろうかと考えていると、遠くの方からお囃子のような音楽が聞こえる。

 そうか、今日って夏越祭の日だっけ。

 私も昔は浴衣を着て両親だったり、友達だったりと一緒に出掛けていた事を思い出した。

 りんご飴を食べながら、海辺で花火を眺めるのがいつもの恒例だった。

 昔を懐かしんでいると少年は彼の友達に連れられて祭へと向かってしまった。

 去り際に私の方へニカっと笑顔を見せてくれた。

 彼が去り、日も暮れて私はまた一人、暗い部屋の中に取り残されてしまった。

 いつもの光景だけれどなんだか今日は少し悲しい気分だ。

 私はおもむろに部屋のクローゼットの奥にしまってある浴衣を取り出してみた。

 淡い朱色に朝顔がちりばめられた昔ながらの浴衣。

 だんだんと大きくなるお囃子に乗せられてか私は浴衣に袖を通してみる。

 何年も着ていない浴衣は少しすえた匂いがしたけれど、ほのかに夏の匂いがする。

 海風の匂い、草いきれの匂い、お祭りの屋台の匂い、花火の火薬の匂い。

 どうしようもなく悲しくなった私は浴衣を羽織ったまま泣き崩れてしまった。

 どれくらい時間が経っただろうか。突然部屋の中でボトリと鈍い音がした。

 びっくりして音の方を見てみると、薄暗い部屋の中でもわかるキラキラと真っ赤な色をしたりんご飴が落ちていた。

 少し怖かったけれど不思議に思って近づいてみる。

 すると、それは確かにりんご飴でひらひらと一枚紙切れが張り付けられていた。

 手に取ってみると「高嶺の花子さんへ」と書いてあった。

 ちんぷんかんぷんな頭でりんご飴の方も手に取ってみる。

 するといきなりりんご飴が窓に向かって引っ張られた。

 私もなんでか知らないけれど離すまいと必死にりんご飴を握りしめる。

 長らく外に出ていなかったためか、私はだんだんと窓の方へ引っ張られ、ついには窓から落ちそうなところでりんご飴を離してしまった。

 一体、どういう事かと呆気に取られていると窓の下から少年の声が聞こえる。

 「花火を見に行こう!」

 どうやら私はまんまと少年に釣り上げられてしまったようだ。少年はいつもと変わらない笑顔で、いや暗がりだからわかりづらいけれど少し顔を赤らめて私に言い放った。

 久しぶりに人と話すので言葉が上手く出てこない。でも、今しかない。そんな気がしたから私は大きく頷いた。

 さて、頷いたは良いものの部屋の外に出るなんて何年ぶりだろう。どんな格好で出ればいいのか。やっぱり浴衣だろうか。でも着付けは母親に任せていたし、それに何を話せばいいのか。

 焦る私の後ろで最初の花火が上がった。

 たった今だけれど少年と花火を見に行く約束をしたのだ。とにかく見様見真似で浴衣を着て急いで玄関へと向かう。

 外へ出る間際私は後ろから帯を引っ張られる。

 「あんなに教えたのに全然ダメじゃない。」

 母親は慣れた手つきで私に浴衣を着つける。

 「随分とかわいらしいお友達じゃないか。」

 父親まで出てきて冷やかしてくる。

 私は居てもたってもいられず行ってきますとだけ言い残して家を出た。後ろから行ってらっしゃいと声が聞こえる。懐かしい。

 家をでてすぐに少年が私の手を掴んで走り出す。

 少年はお祭りの会場とは逆方向のいつもの海へと私を連れ出した。

 港の堤防の先まで全力で走る少年に引っ張られながら私はもう満身創痍だ。

 やっとのことで少年が立ち止まり、息を切らせてうなだれていた私は顔を上げた。

 その瞬間、大輪の花火が鼓膜に響く音と、心臓を打つような衝撃とともに夜空に弾け、キラキラと豪華に輝きを放った。

 「ギリギリセーフ!」

 最後の花火だったようで、チラチラと輝きを残す夜空に照らされた少年の顔は実に満足気だった。

 久しぶりに外に出て、思いっきり走って、家から港までの短い道のりだけで色んな思いが込み上げてくる。

 何とか息を整えて、私たちは鎮まりかえった堤防の先に腰を下ろした。

 海風が優しく私たちを通り抜けていく。夏の暑さの中全力で走った私の火照った体に心地いい。

 落ち着いたところで少し緊張してきた。相手は年下だけど男の子だし、この場合どうしたらいいのかな。やっぱり年上の私が話しかけた方がいいのだろうか。

 何もかも久しぶりだし、なんでりんご飴を私の部屋に投げたのかもわからないし、そもそもなんで私なのかもわからないし、頭の中であたふたと考えていると少年が話しかけてきた。

 「ここが一番きれいに花火が見えるんだ。あの魚もここで釣ったし。それにお姉さんを始めて見たのもここ。」

 どうやらここは少年の思い出が詰まった場所らしい。確かに私が初めて少年を見たのもここだった。

 「ここは俺の一番好きな場所だから、その、お姉さんを連れてきたかった。」

 少年はなんだかもじもじしている。どうしようなんだかこっちまで緊張してくる。なんとか話題を変えないと。

 「え、えっと、高嶺の花子さんって何?」

 何とか絞り出した言葉がこれだった。我ながら情けない。

 「だって高いところにいる女の人の事を高嶺の花って言うんでしょ。だから高嶺の花子さん。」

 確かに間違ってはいないが。どうだろう。

 「じゃあ、お姉さんの本当の名前は?」

 私はドキッとしてしまった。

 「え、その・・・花子・・・。」

 少年は声を上げて笑った。つられて私も笑った。

 


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りんご飴と高嶺の花と海 犬丸寛太 @kotaro3

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