第59話 リースロート領・クトリヤ国


リースロート領・クトリヤ国の南に位置する湖上都市・モアムダンの町より東へ20キロ程離れた平野で其れは起きていた。


「総員距離を取れ!同じ間合いだと思うな!」


馬に乗った騎士20人が、グレイターゾルと呼ばれている熊の姿をしたモンスターと戦っている最中なのだが、騎士達の様子が少しおかしかった。

騎士の能力は国によって変わるものではあるが、グレイターゾル相手に20人もの数を投入する事等は、基本的に有り得ない事だ。

モンスターを相手に余裕や油断を見せて立ち向かう様な真似をすれば、下手をしたら命を落とす事もあるが、此処まで警戒する事は逆に珍しい程である。


「弓構え!」


隊長と思わしき騎士が、20人の騎士達に命令を下し。

騎士達は馬の背に装備されている弓を手に取り、矢をつがえて弓を引く。


「撃て!」


グレイターゾルに向かって20本の矢が一斉に放たれ、略全矢が命中した。

全身に矢が突き刺さり、グレイターゾルは怯むかと思ったが、何事も無かったかの様に騎士の1人に向かって突進して行く。


「くっ!第2波構え!味方に当てるなよ!撃て!」


再び放たれた矢は数本を除いてグレイターゾルの身体を貫くも。

「だ!駄目です!怯みません!」

狙われていた騎士は、身の危険を感じ、馬に繋がれているランスを手に取り、水平に構え、迎え撃とうとした。

其の姿を見た隊長は…。


「止めろ!引くんだ!」

ランスを構えた騎士に下がる様に命令をする。


「しかし!」

騎士は騎士としての矜恃の為か、退くと云う命令に素直に従う事が出来ずにいた。


「我々が戦っているのが霧の魔物である事を忘れるな!何時もの討伐任務とは違うのだぞ!」


しかし、既に遅かった、隊長の言葉を言い終える時には、グレイターゾルは眼の前まで迫って来た。

脅威に対する目算が甘かったと云わざるを得なかった。

構えたランスはグレイターゾルの胸部に突き刺さり、常識的に云えば致命傷に近い一撃である筈だったのだ。

だがグレイターゾルが止まる事は無かった、太い腕が大きく振り上げられ、騎士の頭を目掛けて振り下ろされる。


「ひっ!?」


小さな悲鳴を上げた後、其の頭は兜毎叩き潰されて絶命した、赤黒い血が噴き出し、銀色の鎧が血の色で真っ赤に染まる。

更にグレイターゾルの胸部に突き刺さったランスは、驚異的な再生能威力に飲み込まれ、身体の一部となる。


「くそっ!化け物め!」


其の後は、散々たるものであった。


「あ、あれが霧の魔物なのか…、リースロート軍はあんな化け物と戦っていると云うのか…。」

そう呟いた騎士の身体は、目の当たりにしたあのモンスターを思い出し、恐怖からか小刻みに震えていた。


霧の魔物については騎士になる前から聞かされていた、リースロート傘下国である我が祖国クトリヤは、リースロート王国が何と戦っているのかを騎士になる者には聞かされている、だがそんな魔物と出会った者は、少なくとも此の場に居る騎士達の周りには居なかったのだ、だから、只の尾ヒレの付いた噂話、若しくは都市伝説程度のものだと思い込んでいた、だがアレは何だ!?あんな化け物…見た事が無い。

軍上層部はアレを見た事があるのだろうか?いや、見た事など無いのではないか?出発前に受けた命令と其の内容は…。


「モアムダンの町の近辺で黒い霧を纏ったグレイターゾルと思わしきモンスターが出現した、恐らくは其れが霧の魔物だと思われる。

モアムダンの冒険者達が討伐に向かったが、誰1人帰って来なかったそうだ。

集められたメンバーは4次席から5次席の5名だったらしい、我々とは違い、冒険者達は霧の魔物に付いての情報を開示されては居ない、冒険者ギルドはモアムダンの虎の子の8次席2人に7次席を4名付けてグレイターゾルの討伐に向かったが、7次席1人を除いて全滅したとの報告が来た、生き残った1人も、命からがら逃げおおせたとの事だ。

事態を重く見たギルドは、此処で初めて軍への要請をした訳だ、霧の魔物に関しては、俺も聞いた話でしか無い、だが相手は8次席2人と7次席3人を殺した魔物だ、気を抜くなよ!」


其の時は、ギルドの8次席とやらも大した事は無いな…、等と高を括っていた。


騎士には次席と云う概念は存在していない、それは国によって騎士と云う位に付ける価値が違うからである。

騎士は貴族にしか成れないと云う思想の国もあれば、実力が有れば誰でも成れると云う国も有る。

クトリヤ国では貴族階級を重んじている国家ではあるが。

例え貴族であろうと実力の伴わない者には騎士には成れないと云う制度を設けている、此はあくまで例えだが、クトリヤ国で騎士見習いから騎士になる為には、ギルドで云う処の3次席か4次席以上の実力と実績が必要となっている、騎士になってからも階級は存在しているが、其れはまた別の機会にでも説明するとしよう。

つまりはクトリヤ国の騎士が決して弱いと云う訳では無いのだ、今回の任務で集められた騎士達もグレイターゾル程度のモンスターであれば、全員が1人で討伐可能な程の手練れ達であった。

其の騎士達が20人の内、4人を除いて全滅したのだ。


「隊長!?ツァイ隊長!?いやぁ!!」

此の隊の隊長であるツァイと呼ばれた騎士は、既に意識が無く恐らく死亡しているだろう、グレイターゾルの身体に捕らわれ、徐々に一体化していっている。

20人居た騎士は4人しか生き残っておらず、犠牲者の中には隊長も入っていたのだ。


「止めて!?隊長を返して!?」

叫んでいるのはシーナと云う名の副長の女性騎士だった。

詳しくは知らないが、泣きじゃくる今の彼女を見ていると隊長の恋人だったか、好意を持っていたかだろう、けど今は…。


「副長!撤退の指示を出して下さい!此のままでは全滅してしまいす!」


騎士達はグレイターゾルの討伐を失敗した上、16人もの死者を出してしまった、全滅する前に此のモンスターの脅威度を上層部に報告しなければならない、其の為には泣き喚いている副長を引きずってでも連れて行かなければ。


私の意見よりも説得力はある筈だ。

「副長!」

「いやぁっ!?」


ぐっ!


意見具申していた騎士は歯を食いしばる。

騎士の名はシグ。

貴族ではあるが、冒険者に憧れた青年である、冒険者に成りたかったシグは親の反対に逆らう事が出来ずに、云われるがままクトリヤ国の騎士となった、ギルドに登録していれば今頃は7次席以上の次席に着けていたであろう実力は身に付けている。


私はこんな所で命を散らすつもりは無い、私には夢がある、冒険者に成りたいんだ、クトリヤ国では決して叶わない夢だが、リースロート王国の騎士になれれば可能性は零では無くなる筈。


リースロート王国の騎士の一部には、騎士であるにも関わらずギルドに登録し、次席を得て冒険者と騎士の両立を成立させている者達がいるのだ。

彼の英雄ジルラード=ユースファスト=ウルスも其の1人である事は有名だ。

表向きでは9次席・アルミュールとされているが、リースロート王国の傘下であるクトリヤ国内の一部の人物の間では、10次席・ガーディアンの称号を持っていると云う噂が広まっている。


母国を去る事には成るけど、リースロートへ行けば私もギルドに登録する事が出来る様になるかも知れない、親を説得する理由に騎士になる事は前提事項ではある…。

だから今、此の場で生き延びなければならないんだ!


状況に応じて上官である隊長や副長相手にでも騎士シグは逆らう覚悟も意思も持っていたつもりだった、しかし此の副長は女性だ、力尽くで連れて行くには騎士として許される事では無い、故にシグは説得して連れて行こうとしたのだが、副長は泣き崩れたまま動こうとしなかった。


くっ!何でこんな奴が副長をしているんだ!!

男であれば間違い無く殴り飛ばしていた所だ。


その時。


パシィンッ!!


「あ…。」

生き残りの騎士の1人が、副長の頬を平手で叩く音だった。

「しっかりしろ!アンタが隊長とどんな関係か知らないし知りたくも無いけどな!生き残った奴等を巻き込むな!死にたきゃ1人で死ね!」

騎士は振り返って歩き出す。


「お…おい、女性に対して言い過ぎだ…。」

騎士の背中に向かってシグが声を掛けるが。


「知るか!騎士に成った以上、男も女もあるかよ!?俺は行くぜ!アレがまだ仲間の死骸を捕食している内にな!こいつは明らかに緊急事態だ!生き残って報告しねぇと被害が拡大するぜ!」


口は悪いが、此の騎士の言っている事は正しい。

此のままあのモンスターを放置すれば、リースロート王国が動く事態に成りかねない、其れはクトリヤ国の騎士が役立たずと云われ兼ねない、其れは国の栄誉にも関わる事に成りかねないのだ。


背を向けた騎士は立ち止まって成り行きを見守っている、一応命令を待っている様だ、本当に去ってしまえば命令違反になるのは目に見えている、副長が生き残って帰った時に其の事を公にされれば敵前逃亡と見なされるだろう、最悪其れは避けたいと云う思いから足を止めているのだ。


「副長…、隊長亡き今、貴女が指揮官です、撤退の指示を…。」


副長は顔を上げてシグを見る、頬に大量の涙を流した跡がハッキリと残り、瞳は真っ赤に充血していた。

余り気にしない様にはしていたが、整った顔立ちをしているところを見ると、かなりの美人なのではないだろうか?


「…そ、…そう、よね、ゴメンなさい、モアムダンへ撤退します。」


其の言葉を待っていたかの様に、シグを含む、生き残っていた3人の騎士

が一斉に敬礼をし…。


「「「了解!」」」


命令を受け、撤退の準備を始める。


「馬は何頭残っている?」

「3頭だ、1頭は2人で乗ってもらわにゃあならんよな。」

「仕方無いか、副長は1人で乗って貰って…。」

騎士ではあるものの、やはり女性と云う先入観からか、男と一緒に乗せるわけにもいかないだろう…、と云う気持ちから、3人の騎士達は相談をしていた。


しかし、其の3人に意外な言葉が投げかけられる。


「私は、此処に残ります。」


「は?」

時間も無いと云う此の状況で、一体何を言っているんだ?


「私には、あの人を置いて此処から去る事など出来ません、だから。」


「テ、テメエ!」

副長を叩いた騎士が前に出ようとするが、シグが其れを阻止した。

「待ってくれ、私が説得する。」

「…ハッ!勝手にしろ、命令は下されたんだ、俺は先に行くぜ。」

そう言い残して、2人の騎士は各々一頭ずつ馬に乗り、此の場を去って行った。

シグは其の姿を見届ける事無く、地面に座り込む様な体型でシグを見上げていた副長と向かい合う。


「副長、隊長が貴女にとってどれだけ大切な方なのか、私には解りかねます、しかし貴女はまだ生きておられる、命を大切にして下さい、そして、生き延びて必ず仇を取りましょう、微力乍ら私も力になります。」


「…っ!?」

女性騎士は俯き、再び涙を流す。

「…でも、…私は…。」


まだ生き延びようとする気概が起きないか…、仇と言ったのは失敗だったか?騎士に仇討ちなんて似合わないもんな、けど本当にもう時間が無い、馬に乗ってあのモンスターから逃げ延びるには1秒たりとも無駄には出来ないんだ…なら。


「副長、私…いや、俺には夢が有ります。」

突然、シグの一人称が変わった事に、女性騎士は思わず顔を上げてシグを見つめてしまった。

其れは驚きと、いきなり何を言い出すんだ?と云う様な表情だった。


「俺は子供の頃から、…今もガキですけど、其れはいいか、…俺は、冒険者に成りたかったんです。」


「…え?」

驚いて見開いていた眼が、更に大きく見開かれる。


其れはそうだろう、騎士が冒険者なんて野蛮な仕事に憧れる等、到底有り得ないからな。


シグは言葉を続ける。


「騎士は気高い者です、けど、柵(しがらみ)に強いられて自己判断で動く事が出来なくなる時があります、先程の俺達の様に…。」


「…ぁ。」


「でも冒険者は違う、彼等は此処の判断で動いていいんだ、其れは護る冪者の為の最善の方法になるのだから!」


シグは段々熱が入り、敬語を使う事をも忘れていた。


「俺が今、生き残れる筈のアンタを見捨ててしまえば、俺は冒険者に成れなくなりそうな気がするんです、況してや、騎士としても失格でしょう、だから…。

副長、俺に…私に、騎士として仲間を見捨てる様な真似はさせないで下さい。」


限られた時間の中で、云いたい事を全て吐き出し、シグは女性騎士に手を差し伸べる。

「…ずいぶんと、自分勝手な理由ね。」

「解っています、けど貴女に言われたくありませんよ?」

「…そう、よね、ゴメンなさい、其れと、…有り難う。」

そう言ってシグの手を取り、生きる為に立ち上がった。


シグが馬に跨がると、後ろに副長が座り、振り落とされない様、シグの腰に腕を回すのを確認すると、即座に其の場から離れた。

「モアムダンまではどれ位掛るのかしら?」

「そんなに距離は無い筈なので…半刻もあれば辿り着けると思います。」

「………。」

「副長?」

何を思ったのか、副長は腰に回していた腕に力を入れて締め付けて来た。


「ぐほっ!?ちょ!?苦しい!何を!?」

「マオ。」

「…は?」

「私にはマオ=カーステルって名前があるの、だからマオって呼んで。」

…成程。

「了解しました、マオ副ちょ…。」

「それと!」

最後まで言う前に遮られてしまった。

「同い年なんだから敬語禁止。」


「………はい?同い年?誰と誰が?」


「私と貴方がよ?18才でしょ?シグドウェル=ハーマイン。」


「!?」

マジか!?同い年で、副長…だと?…凹む。


「それから…。」


まだあるのか?此以上俺を追い詰めるのは止めてくれ。


「本当に有り難う、私に、姉上に謝罪する機会を与えてくれて。」


「…姉上?何の事ですか?」

「敬語…。」

「あ、うん、何の事?」

「…義兄上の、ツァイ隊長の死を、姉上に伝える覚悟が出来なかった、ううん、今でもまだ出来ていないと思うけれど…、でも…。」

マオはシグの背中に顔を埋め、瞳から涙を流す。


…ああ、アレはそう云う事だったのか。



こうして傷付いた騎士達は、一番近い町であるモアムダンの町へと撤退を余儀なくされてしまったのだった。








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