正明の趣味
正明は院長室で一人、説明書を真剣に眺める。と、同時に手元も一緒に空中で動く。
ふむふむ。なるほど。こうやって、こう。
説明書の手順通り何度も練習をする。数回失敗した後に、
「はいっ!」と歓喜の声を上げた。
出来た。あとは順番だな、と一人呟いて視線を天井に向け、あごに手を当てて考える。
正明のデスクの周りには、小道具がたくさん並んでいる。ハンカチにトランプ、シルクハット。
院長室の外では、ざわざわと人の話し声が聞こえる。今日も診療所はたくさんの人でにぎわっている。
「では、始めます!」
正明の威勢の良い始まりの合図に、薫子さんは「わー!」と歓声を上げて拍手をする。真治はおにぎりを片手で頬張りながら、反対の手で白衣の肘あたりを何度か叩き、拍手の真似をした。
院長室のソファーに座った二人が見守る中、正明は得意げにカセットデッキのスイッチを入れた。
タラララララーン。
流れるのは、お馴染みのあの音楽。ショーの始まりである。
正明は手始めに親指からたくさんのハンカチを出した。
見たことある。と真治は思い、緑茶を流し込んでおにぎりを飲み込んだ。薫子さんはきちんと拍手をして、場を盛り上げる。正明は口元をニヤつかせて頷く。
続いて正明はポケットからトランプを取り出して、真治に引くように指示した。そのカードを見ないようにしてトランプの山に戻してカードを切る。
パチン、と正明が指を鳴らすと、揃えられたはずのトランプの中から一枚だけがぴょこん、と顔を出した。それは真治が引いたカードと一致していた。
これは新作だ。二人とも「おおー」と言う驚きの声を上げて拍手をする。正明は鼻の穴を広げて頷いた。
その後も正明のショーは軽快な音楽に合わせて展開された。
薫子さんは正明のシルクハットから登場した花に「きゃー」と言って喜んだ。そのうちの一輪を正明が薫子さんに差し出す。薫子さんが手に取ろうとした瞬間にその花が萎れ、正明は両肩を上にあげて首を傾げた。
ありふれた手法にも関わらず、薫子さんは「わあ!」とちゃんと驚いて見せた。真治はマジックよりもそれをみた薫子さんのリアクションも含めて成り立つショーに興味が沸き、おにぎりを食べながら見守る。ちなみに中身はツナマヨである。
カラフルなハンカチが宙に舞い、正明はお辞儀をしてショーの終わりを告げた。カセットデッキを止めると静かな院長室に戻り、床に散ったハンカチを丁寧に拾って歩く。
「だから、ウサギを飼いたいんだよなあ」
正明は真治と薫子さんの向かいのソファーに座り、緑茶をすすり、おにぎりを食べながら言った。ちなみにこちらのおにぎりの具は、鮭である。
薫子さんは紅茶を飲みながらクッキーをかじり、真治もデザートのプリンを食べていた。
「いや、必要ないでしょう」
真治は興奮冷めやらぬ父に冷静な言葉を返した。
「シルクハットからウサギを出してこそ一人前のマジシャンなんだよ」
正明は食い下がらず、必死に訴えるものの、真治は冷たい。
「父さんは医者で、マジシャンじゃないし」
正明は少し不貞腐れた様子で
「本当はひよこがいいんだけど」と言い、
「余計駄目ですよ」即座に却下された。
「すぐに鶏になっちゃうからなあ」
「そういう問題ですか」
親子の掛け合いを聞いて、薫子さんが首を傾げる。
「マジシャンといえば、ハトじゃないですか?」
その言葉を聞き、正明は少し悲しそうな顔をした。
「ハトはちょっと、難易度が高い……。飛ぶし……」
「院長室を飛び回るハト、シュールですね」
正明はその状況を想像して笑った。
「だからウサギを」
正明は会話をはじめに戻す。
「駄目ですって。ハナコもいるんですから」
相変わらず真治は冷たい。
「そうか!ハナコに助手をして貰えばいいんだ!」
正明は閃いた。
「それはいい考えです! ステージ衣装は、任せてください! 私、作りますから!」
薫子さんは張り切った。
「それは、可愛いかもしれないですね」
真治も満更でもない。
かくして勝手に白羽の矢を立てられたハナコは、自分の運命も知らずに、ポカポカした陽射しの中、犬小屋でお昼寝中である。
薫子さんはハナコのシルクハットと蝶ネクタイを身に着けた姿を頭に浮かべた。色は赤にすべきだろうか。ピンクにすべきだろうかと悩む。
正明は次の休みにハナコと一緒に出来るマジックの種を買いに行くと決めた。これでまた幅が広がったなと内心でほくそ笑む。
真治は「父さんより、ハナコが主役になっちゃうよなあ」とにやける。
皆の夢は膨らむばかりであった。
ちなみに発表する機会も予定も、特にない。
今日も平和な小野島診療所。もうすぐ午後の診療が始まる時間だ。
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