薫子さんの縦巻きロール
診療所の診療時間が終わった後、薫子さんは診療所を少し掃除してから、私服に着替えて帰る。
正明と真治は自宅と診療所が併設されている為、白衣のまま行き来する。更衣室を使うことはない。
他にスタッフもいないので、小野島診療所の更衣室は薫子さんの為だけに存在している。
薫子さんがドアを開け閉めするたびに良い匂いがして、ちらっと中が見えたりすると、壁紙はピンク色だ。薫子さんが使い始める前までは白い壁だったはずの更衣室は、部屋の主の好み通りに着々と改装されている。
薫子さんの鞄には、りんご三個分の身長の猫のキャラクターとその友達の兎のキャラクターの大きめのマスコットが付いている
そして薫子さんの私服は、必ずどこかにフリルの装飾が施されている。
徹底したその世界観は、薫子さんにものすごく似合う。
だって薫子さんの笑い方は「うふふ」だし、好きな食べ物は苺だ。
優しくて可愛いものが大好きな薫子さんに、患者のみならず正明も真治も日々癒されているのである。
ある日、真治はふと思い付いて、薫子さんに尋ねてみた。
「薫子さんって、昔からずっとピンクが好きなんですか?」
聞かれた薫子さんは少し遠くを見て
「私にも、若い頃はありました」と言ったきり口を閉ざした。
真顔の薫子さんに対して真治はそれ以上踏み込めず、
「そうですか」と返して会話を打ち切った。
薫子さんが笑わないなんてと真治は焦った。聞かれたくないことだったのだろうか。
薫子さんの不自然な態度が気になった真治は家に帰った後、夕飯を食べながら父の正明に一連の出来事を説明した。
「悪いことしちゃったかなあ」
罪悪感を感じて肩を落とす真治とは対照的に、正明は今にも吹き出しそうなにやけた顔になり、
「ちょっと待ってろ」と自室に消えた。
真治は頭に疑問符を浮かべて待った。
一体父は、何をしに行ったのだろう。
正明は数分で真治の元に戻り、相変わらず笑いを堪えながら
「これを見ろ」と一枚の写真を差し出した。
その写真には、バッチバチのまつ毛に真っ赤な口紅を塗り、メイクが濃すぎてもはや元の顔が分からない女性が写っていた。金髪の縦巻きロールの頭の上に大きなリボンを付け、更に黒いゴスロリ衣装に身を包んでいる。
この辺では見かけない、非常に派手な女性がカメラに向かって挑発的な表情をしているその写真から、真治は目が離せない。
「……これは?」
急に持ってこられた写真の意図が分からず、真治は尋ねた。
「薫子さん」
「……は?」
「もう一枚ある」
そう言って渡された写真には、先程と同じ格好の女性が写っていた。但し一枚目の写真とは、写っている背景とポーズが違う。
縦巻きロールの女性はマイクをスタンドごと持ち上げてかなりの角度で持ち、カラフルなスポットライトを全身に浴びて口を大きく開き、激しめの歌唱をしている様子だった。
「え?」
真治は混乱して、父の顔を見る。正明はそんな真治の様子を面白くて仕方がないといった表情で見ていた。
「薫子さんなあ、昔は音楽活動していたんだよ。俺も何度かライブを見に行ったもんだ」
薫子さんが、音楽活動。
「その黒い格好で、縦巻きロールで、パンクだっけ?そういうの、歌ってたんだよなあ」
正明はそう言いながら、薫子さんと同じく遠い目をしてしみじみと呟いた。
「薫子さんも、丸くなったもんだ」
うんうんと頷く正明。
ぽかーんとする真治。思わず、口まで開いている。
「あ。この写真持ってた事は内緒な。薫子さんには、全部処分したって言ってあるから。薫子さんは怒ると怖いから、絶対内緒だぞ」
正明は人差し指を口元に当てて真剣な表情で言う。
真治はそんな正明の言葉にも反応出来ず、未だに呆けている。
薫子さんが、ゴスロリで、縦巻きロールで、パンクロック。
今のピンク色のふわふわした姿とは全く結びつかないその単語達が、真治の脳内でぐるぐるとまわっている。
「まあ、誰にでも過去はあるもんだ」
事態をまとめようとする正明の言葉も、真治の混乱を収める手助けはしてくれない。
こうして、インパクトのありすぎる写真は、しっかりと真治の脳裏に刻まれたのだった。
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