12
今年もあと数日で終わろうとしている。社内でも有給休暇を使って早めの仕事納めをした人が半分くらいは居て、ぎりぎりまで働いているのは経理と僕たちIT部くらいだった。社内システムのクラウド移行を、人が少なくなるこの時期に、それも年内にやってしまう必要があったので、奈須、常松と僕は今日も出社して働いていた。
「仙川さん、天気予報見たら、今日積もるみたいですよ。早めに切り上げたいですねえ」
パーティションの端から常松が顔を出して言う。
「そうだな、まあでも昨日でほとんど作業完了してるから、今日は終わり次第帰るようにしよう」
作業自体は僕たちではなく、外注の協力会社にやってもらっているので、どちらかというと彼らの進捗次第というところでもある。とはいえ何かあったときに問い合わせを受ける人間がいないと困るので、万が一のために出社している。
コーヒーを注ぎにキッチンへ行くと鏡餅などのお飾りがされていた。こういうのは総務がやってくれているのだと思うが、無機質なオフィスにも暖かみが生まれるようでありがたいなと思う。キッチンから戻る途中、経理の島で寺脇さんが働いているのが見えた。営業の島はガランとしていて誰も居ないようだった。開発は僕たちと同様にプロジェクトで多少関わりがあるので、それなりの人数が出社していて、守本の姿もある。窓の外を見るとまさに曇天といった感じで、すでに雪が降り始めているのを眺めていると、IT部の電話が鳴った。速足で戻ろうとすると常松が受話器をとった。
「はい、もしもし。ああ、山下さん。お世話になっています」
話しているのは、外注先の山下さんのようだったが、会話の内容から何かトラブルが起きている気配を察した。
「少しお待ちいただけますか。すみません」
保留にしたらしい常松が立ち上がって、斜め前の席を確認している。
「どうかしたの?」
「奈須さん、どこに行ったかわかりますか? 奈須さんの担当のとこで作業止まっちゃってるみたいで」
僕も立ち上がってパーティションの向こう側を見ると、奈須がいない。朝は居たはずだったが、いつの間にか居なくなっていた。
「とりあえず、内容を聞くから電話転送してもらっていい?」
そう言って電話を代わり、トラブルの内容を確認した。奈須が昨日までに送るはずだったリストが届いていないようで、移行作業がストップしているとのことだった。
「だめですね、奈須さん留守電になっちゃいます」
連絡がとれないので、このまま待つか、とも思ったが、移行作業は今日が最終日。来年に作業がずれ込めばその分年始の営業活動に支障が出ることが予想された。
「仕方ない、新しくリストを用意するしかないな」
既存のデータベースから必要なデータを抽出しそこからゴミを除外してリストを作る。まずはデータの抽出のため、開発の協力が必要だった。開発の島に行くともう皆帰り支度をしていた。
「宮口さん、申し訳ないんですが協力していただきたい作業がありまして」
リーダーの宮口さんに話しかけると。こちらを一瞥して
「よし、皆もう今日は帰っていいぞ、電車が動くうちに」
と無視された。
「宮口さん」
「いや、無理だから。俺ら今年は仕事納め。もう今日は帰るから」
鞄を持って立ち去ろうとする宮口さんに、なんとか頼もうと思ったが、雪で帰宅できなくなる可能性を考えると、作業自体を年始に行うしかない。諦めて自席に戻ろうとしていると、
「俺やりますよ」
守本が手を挙げた。
「おい、守本、いいんだよ。こいつらのミスなんだからほっとけば」
「でも結局年始の営業活動に支障が出たら会社全体の損害じゃないですか、俺らにも影響ありますよ」
宮口さんが苦々しい顔になる。少しの沈黙の後
「んじゃ俺がやるから守本は帰っていいぞ」
そう言って宮口さんは一度閉じたラップトップを開く。
「ありがとうございます。お手数をおかけしてすみません」
「ああもう、さっさと終わらすから早く作業の説明しろよ」
それを聞いた常松が自分のラップトップを持ってきて話に加わった。宮口さんは守本に帰るよう促していたが、守本は一緒にやって早く終わらせたほうがいいと言って作業に加わってくれたため、それぞれの作業分担を決めて、自席に戻った。
一人、また一人とオフィスを去っていき、まだ夕方4時だというのに残っているのは、常松と僕、宮口さんと守本、そして寺脇さんだけになっていた。
「もう外、真っ暗ですね」
めずらしく常松がパーティション越しに話しかけてきたので、最初自分に話しかけられていると気づかなかった。
「そうだな、進捗はどんな感じ?」
「あと3業種チェックしたら私のところは終わりです」
報告を聞きながら電車の運行情報を調べると、遅延している路線がいくつか出てきていた。とはいえ、外注先を待たせている以上、できるだけ早くリストを渡さないとこれ以上は迷惑かけられない。それに僕たちのチェックが終わるまで待機してくれている宮口さんと守本のためにも早く終わらせたかった。
「ごめんな、こんな天気なのに」
「いえ、仕事ですし。ていうかまだ定時内ですし。大丈夫ですよ、このくらいの雪じゃ電車止まらないです」
「ありがとう。そう願うよ」
そういえば、奈須はいったいどこへ行ったんだろう。もしやと思い、有休申請の承認画面を開くと、今朝、奈須から申請が出されていた。今日一日分の申請だった。
「あー、奈須今日、有休だったみたい。ごめん申請見逃してた」
「え! でも朝居ましたよ!」
常松のタイピング音が心なしか大きくなった気がする。
「確かに朝、見たんだけど、時間みるとその時に申請してたっぽい」
「もしかして、また申請のアラートきてなかったとか?」
「うん、きてなかった」
「まだ直してくれてないんですね。宮口さん。でもこのタイミングだとクレームもつけづらいですけど」
「まあ、奈須が行方不明になったわけじゃないことがわかってよかったよ」
「そうですね、リストは出してってほしかったですけどね」
パーティション越しに常松をなだめながら、作業は順調に進み、定時前には外注先に送付することができた。完了した報告とお礼を伝えると、宮口さんは「間に合ってよかった!」と言いつつ急いで帰っていった。今日はお子さんのお迎え当番の日らしい。
「守本もありがとう」
「いや、ほとんど宮口さんがやってくれたんで、俺は何にもしてないですよ」
「そんなことはないと思うけど……、宮口さんには借りができちゃったな」
「借りなんて思うことないですよ、皆それぞれの仕事しただけですから」
「いいこと言うじゃん守本~」
いつの間にか隣に、もう帰る準備万端の常松が立っている。
「今日最終日だし、私達で納会しません?」
僕と守本の顔を交互に見ながらニコニコしている。
「え、でも雪降ってるんじゃ」
そう言って僕が窓の外をみると、
「もう止んでますよ。俺が見てる限り2時間くらい降ってないですね」
と守本に言われた。
「守本ほんとに暇だったんだね」
常松が冗談ぽくいうと「そうだよ」と守本が答える。
「で、納会します? どうします?」
急かす常松に困って、守本の方をみると、守本も「仙川さんの判断に任せますよ」というような表情で視線を返してくる。
「なに2人でアイコンタクトとってんですか」
「え、いや、じゃあせっかくだし行こう」
「やったー! あの、寺脇も誘っていいですか? あの子も今日出勤してて」
経理部の方を見ると、一人でパソコンに向かう寺脇さんの姿が見えた。
「もちろん」
「じゃあ声かけてきますね!」
スキップでもしそうなテンションで常松が去っていったあと、守本が自分の荷物を片付け始めたので、僕も自席に戻って帰る準備をした。
外に出てみるとほとんど雪は溶けていて、歩道の生垣に積もった分も雫をしたたらせていた。雪を見越してかオフィス周辺の店は臨時休業していたので、駅の反対側まで歩いて常松おすすめだというワインバーに行くと、いつも古橋と飲む店だった。もしかして古橋が居たりしないかと、おそるおそる店に入ったが、見当たらなかった。
「ほ、よかった」
頭の中でつぶやいたつもりが声に出ていたようで、寺脇さんがこちらを振り向いた。
「あ、雪ひどくならなくてよかったね」
それを聞くとにっこりと笑って
「そうですね、しかも雪で皆早く帰っちゃったのか、お店も空いててよかったです」
と返事をしてくれた。
4つのグラスにワインが注がれて、お疲れさまと乾杯をすると、常松が
「こないだのクリスマスパーティまで、仙川さんワイン好きだって知らなかったです。そういえば社員旅行でもワイン飲んでましたもんね」
と言った。この店を選ぶのに気を使ってくれたのかなと思った。
「仙川さんはワイン好きっていうか、炭酸が苦手なんだよ」
と守本が笑った。常松が何か言おうとしたが
「あー、炭酸って痛いですもんね、わかります」
と寺脇さんがうんうんと頷く。
「そうなんだよ、痛いんだよね、なんで皆平気なんだろ」
めずらしく意見が合う人がいたので、僕も少しうれしくなる。
「常松は、日本酒が好きなんだよね」
寺脇さんが水を向けると
「うん、私は家では大体いつも日本酒飲んでるね」
「一人で晩酌すんの?」
サラダを取り分けながら守本が聞くと
「そうよ、一人よ、悪いですかー?」
と怒る姿がわざとらしくて、笑ってしまった。
「ちょっと、仙川さんも笑ってるし」
取り分けられたレタスをフォークで突き刺す様子から、本当に怒っていたのかも知れないと思って、まあまあとごまかした。
「そんなこと言って、皆今日ここで私と飲んでる時点で同じ境遇なんじゃないですか~?」
そう言って店内の隅に設置されているクリスマスツリーを指さした。今日は12月25日だ。
「でも皆イブに予定入れてんじゃないの?」
守本の指摘はスルーされて、常松が続ける。
「こんなこと聞くの初めてですけど、仙川さんって彼女いないんですか?」
きた、と思った。知り合った人間から大抵される質問だけど、まだこの会社では聞かれたことがなかった。聞かれるほど親しく付き合う人がいなかったからだ。
「いないよ」
「えー、絶対いそうなのにー、どのくらいいないんですか?」
「あー、結構、いないかな」
常松にはまったく悪気がないとわかっているが、どんどんテンションが下がってくる。
「結構ってどのくらいですか?」
「そういうお前はどうなんだよ」
守本が横から入ってきてくれてほっとした。
「私? 私は1年いないよ、あ、なんか思い出してきた」
グラスをぐるぐる揺らしている。
「大変だったもんね、去年」
寺脇さんがしみじみとした様子で常松の肩をポンポンと叩いている。
「去年何かあったの?」
あまり人の色恋沙汰には口を突っ込みたくないが、自分の話題からそらすチャンスだと思って質問した。常松は「はあ」とため息をついてから
「去年、クリスマス直前に大学から付き合ってた彼氏に振られたんです、振られたっていうか浮気されて別れたんですけど」
と言ってすぐ、ワインをぐいっと飲み干すと、守本がさっと注いで、さらに皆のグラスにも足してくれた。常松が小さく「ありがと」と言う。
「クリスマスの予定とか、私は一応考えてたんですよ、プレゼントとか。なのにひどくないですか」
「それはひどい」
守本がしきりに頷いている。
「今年のクリスマスには相手見つけて幸せになってようと思ってたんですけど……」
一気にどんよりしてきた。
「あー、それでお前去年クリスマスツリーの前で写真撮るの嫌がってたの?」
守本が何かを思い出したように言う。
「あー、そういうこともあったね」
寺脇さんが相槌を打つ。
「写真?」
僕が聞くと、寺脇さんが自分のスマホをとりだして見せてくれる。
「これです」
見せてもらった写真は、以前寺脇さんが落としたスマホを拾うときに見てしまった写真だった。
「オフィスの近くの広場にクリスマスツリーあるじゃないですか。常松と寺脇と俺の同期三人でランチ行った帰りにそこで写真撮ろうって話になって」
守本が説明してくれる。
「ランチには門前もいたよ、電話かかってきて走ってオフィス戻ったけど」
常松が門前さん情報を補足してくれた。
「それで、せっかくだから誰か近くの人に撮ってもらおうとしたんですけど、常松が」
そこまで寺脇さんが言うと、守本が割って入って
「私はいい! あんたたちだけで撮って、私が撮ってあげるから! って」
その時の常松の表情の真似なのか、守本が怒ったような顔で言うと、常松がお手拭きを投げるふりをした。
「それでこの写真なんです」
テーブルの真ん中に置かれたスマホで、守本と寺脇さんが微笑んでいる。
「俺あのとき、なんで常松怒ってんだろって思ってた」
守本が横目で常松を見た。
「門前と寺脇は知ってたけどね」
「ひどいな、同期なのに」
拗ねるようなそぶりをする守本が、普段の落ち着いた印象と違って、新鮮で、正直、可愛いと思ってしまった。
「だって守本は恋愛の話しないって言ったじゃん、入社してすぐの頃に。ねえ、寺脇」
そう言う常松だったが、寺脇さんはスマホをしまいつつ
「そうだっけ?」
と覚えていない様子だ。
「そうだよ、まあいいけどさ」
常松が一瞬僕の方をちらっと見た気がした。そのとき、後ろで店員さんの気配がしたので、ワインのおかわりを頼もうと思うと向こうから話しかけられた。
「あれー、仙川くん?」
古橋だった。
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