#19
「……染森さん」
池内さんがボクを名前を読んだ。蚊の泣くような声だった。
「染森さん、それで、本当に後悔しない?」
ボクは池内さんの方を振り向かなかった。振り向けなかった。
振り向かないまま、首肯する。
池内さんはしばらく黙った後
「……分かった。
じゃあ、私、行くね」
と言った。
ボクの背後で歩き出そうとする池内さんの気配がする。
――染森さん、それで、本当に後悔しない?
池内さんの言葉が、脳内でリフレインされる。
瀬良くんのことは、本当にどうでもよかった。
でも、池内さんの求めに応えられなかった自分については……。
――本当に後悔しない?
「池内さん!」
ボクは立ち去ろうとする池内さんを呼び止めた。
声は自分でもハッキリ分かるぐらいに震えていた。
池内さんがゆっくりボクの方を振り返る。
「池内さん!
私には今も好きな人がいる」
池内さんは表情ひとつ動かさず、ボクの顔を見つめていた。
「だから……瀬良くんとは付き合えない」
「……うん。そっか」
池内さんが小さく頷いた。
「付き合えるのって……。
付き合えるってだけで幸せなことだと思う。
だから、瀬良くんには、今の彼女を大切にしてほしい。瀬良くんのことが好きだって頑張っている後輩ちゃんはきっと素敵だよ」
池内さんは驚いたみたいに大きな目を一層大きくしたあと、少し間をおいて、にっこりと微笑んだ。
「そだね。
……染森さんも頑張ってね」
池内さんが右手を振った。
ボクも右手を振って「うん」と言った。
「横川くんにもよろしく!」
付け足したみたいに大きな声で叫んだ言葉に、池内さんは大きく頷いて、走って行った。
ロータリーに入って行こうとする雫浜行きの橙色のバスが見えた。
今は横川くんの彼女で、瀬良くんとボクは付き合えばいいのにってお節介まで焼いてくる池内さんには、ボクが当の本人のことが好きだなんて微塵も分からないだろう。
だから、ボクは池内さんに永遠に片想いだと思う。
――でも。
そんな自分を、自分ぐらいは愛してあげてもいいんじゃないかと思った。
――ボクには今も好きな人がいる。
告白はできなかったけれど、そんなふうに言えた自分のことは褒めてもいいんじゃないか。
「男性」か「女性」かは分からない。
「その他」かもしれない。
いつかまた、ボクが、池内さんじゃない誰かを好きになった時、その時もまた、ボクは自分に、臆面もなく言いたいんだ。
――ボクには今も好きな人がいる。
でも、
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