旅立ちの踊り
バックギャモン大会は、午後も同様の進行で、神田ヒロシとマヤコは二人でおよそ10万人とゲームをした。
本日2回目のゲームを終えると二人は疲労困憊だった。聖火台に置かれた椅子から立ち上がることすらできずに、ぼーっとした時間を過ごしていた。
そこへナミヲが水筒を持ってやってきた。
「お二人に必要な飲み物を持ってきましたよ。」
言いながら彼は、キュキュキュと水筒のキャップを開けると、そのキャップにコポポポと中の液体を注いだ。
それは、あの飲み物だった。赤いドロッとしたやつ。
神田ヒロシが、チラッとその様子を横目でみて、溜め息のような笑い声のような微妙な声を漏らした。
「またそれかよ…」
「文句言わずに飲んでください。死にますよ。」
二人は無言で水筒の中の液体を飲んだ。飲むと消費した精神と体力が一気に回復した。
その液体を飲むと、体中の全ての調子が整うのだった。
「これが何でできているのかは知りたくないけど、医療に使えたら助かる人がたくさんいるんじゃないか?」
神田ヒロシが言った。
「ダメですよ。これは我々以外が飲んだら即死です。」
ナミヲはさらっと言ったが、そんな物騒なものを普通の水筒に入れて持ち歩いていたのだ。
「間違えて誰か飲んだらどうするのよ?」
マヤコが少し怒った口調で言ったが、この水筒は肌身離さず持っているから大丈夫、とナミヲはケロっとした顔で言った。
ナミヲの家に、いつものメンバーが集まって話をしているけど来るか?と誘われたが、二人は断った。明日はゲームを3回やらないといけない。最後の1回は、特に激しく消耗することが予測される。
「正直、昨日は興奮してよく眠れなかったんだ。こんなに疲れる仕事だとわかったのだから、今夜は早く寝たい。」
神田ヒロシの言葉にマヤコも激しく頷いた。
神田ヒロシはまっすぐ家に帰ると、熱いシャワーを浴びて、軽く食事をとり、すぐにベッドに入った。
ケンタはまだ帰宅していなかった。
ナミヲの飲み物で回復したとは言え、目を閉じるとすぐに夢の世界へと吸い込まれて行った。
翌朝、いつのまにか帰って来ていたケンタが朝食を作ってくれていた。
神田ヒロシはゆっくりと朝ごはんを食べて、スタジアムへ向かった。
今日も昨日と同じようにバックギャモンが行われた。大きな混乱はなかった。
2ゲームが終わると、ナミヲが再びあの飲み物を持ってきた。
ナミヲの飲み物をごくごく飲んで、二人は立ち上がると、ナミヲの家に向かった。
今日は3回目のゲームがある。それをやれば、全員とゲームが完了するはずだ。
ナミヲの家に到着すると、お決まりの顔ぶれがそろっていた。
3回目をここでやると聞いて集まっていたのだ。
最後のゲームは、特別枠。つまり、スタジアムにどうしても来れない人たちが対象である。
自宅や病院、介護施設、刑務所など…それぞれの事情で出てこれない人たちだ。
精神の分裂は、どこからでもできるし、どこへでも出現できる。
ただし、出現場所がバラバラであるほど消耗が激しくなる。
だから、できるだけ集まれる人には1か所に来てもらう必要があった。
「昨日今日とゲームをやってみてわかったんだけど…」
3回目を始める前に、神田ヒロシがみんなに言った。
「このゲームはどうも、あちらの世界へ転送する人間の情報を、転送のために使う領域?みたいなところへ先入れする作業のようだ。」
「ねえねえ、転送されるのって人間だけなの? 他の生きものって転送されないの?」
サチエが質問した。
「いい質問だよ。僕もそれを考えていたんだ。だけどさ、よく考えてみて。周りの人で、何か生き物を飼ってる人っている?」
全員が自分の記憶を掘っている表情をした。
「僕たちには、人間以外の動物がいる記憶があるよね。特に犬とか猫とか鳥とかさ。でも実際にそれらと触れ合った記憶って、具体的にある?」
ない…。マヤコもこれには全く気が付いていなかった。家の周りに野良猫がいるという認識はあったが、実際に見たのかと言われると、あやふやだった。
動物の記憶と言えば、ハヤトのところに犬がいた。あの時は何にも疑問も持たなかったが、もしかしたら、あれが本物の犬と触れ合った初めての体験だったのかもしれない。
「彼らが作りたいのは人間だけだ。他の生きものは彼らの世界でも生殖能力を維持したまま生き延びている。だから、人間以外を作る必要はないんだ。だけど、あっちの世界に行ったら他の生きものと共存していかなくてはならない。だから生き物と生活を共にしている社会の記憶が、本当に記憶だけ我々には存在しているんだよ。」
「なんだかゾッとする話だけど、人間以外を置き去りにするよりかはマシか…」
そんな話をしているうちに、本日3回目のゲームの時間となった。
ナミヲが二人に注射をした。
気が付くとマヤコはナミヲの家の上空にいた。
眼下の街を見下ろすと、マヤコが行くべき場所が、ギーンと光って見えた。
その全てに同時に降り立つ。離れた地点に行くのは、確かにかなりの精神力が必要だった。
これは一生に一度、できるかできないかくらいしんどい…。とマヤコは思った。もう一度やってと言われても無理かもしれない。
特別の枠の人たちは、意識のない人(家族の意向で転送希望)や、犯罪者などなど、ゲームができない、もしくは、まともにゲームをしようとしない人などが多く、実際にゲームが成立しているところは少なかったが、形式的にゲームをしている間に、何かしらがどんどんどこかに送信されている気配をマヤコは感じ取っていた。
神田ヒロシは、これらの漠然とした感覚をうまくみんなに言葉で伝えていたのだ。伝える能力が秀でている。
全てのゲームを終え、二人は自分のひとつの肉体に帰って来た。
疲れた。人生の中でこんなに疲れたことはなかった。二人は出し切った。
ナミヲの飲み物を飲んでも、回復するのに小一時間かかってしまった。
全員とゲームが終わると、いよいよ明日の転送を待つばかりとなった。
転送は、これまで神田ヒロシとマヤコが必死に作った工作が設置されている、大学の講堂と自治体の体育館から行われる。
無論、あの狭い場所に全員が足を運ぶ必要はない。そのために死ぬ思いをしてゲームをやったのだ。
実際に現場に来てもらうのは、ゲームにより抽出された100名ほどだ。
神田ヒロシのところに50名、マヤコのところに50名。
手分けして全員に連絡をした。自動で情報が共有されることと、そうでないことがあるのだが、なぜそうなのかは未だに不明だった。
収集された100名は、それぞれの会場で儀式を行い、全員をあっちの世界へ転送する。
全員を転送し終えるには、かかっても20分ほどだろう。
だが、集結してもらう100名には、気持ちを一つにして、強い意志を持って進行してもらわないといけない。
転送希望者には事前に以下のことが告げられていた。
・転送は明日の午前10:00から行います。
・会場入りを通知されたものは必ず時間までに会場へ来てほしいです。
・それ以外の人は、その時間には、自分の一番安心できる場所、または滞在が許されている場所で、リラックスした姿勢で待っててください。
・転送時に近くにいる者は近くに出るはずです。
・身に着けている衣類以外は何も転送されません。手に持っていても衣類でない場合は転送はされません。必要以上に身に着けた場合、衣類であっても転送されない物が出る可能性があります。
・日常生活をするために必要な器具や、生命の維持に必要な機器は一緒に転送されます。入院の継続が必要な人は、各人搬入先が決まっています。医療従事者等は先行して転送されるはずなので、転送後に対応をお願いします。
・投獄中の犯罪者に関しては最後に転送されます。手錠などはおそらく転送されないので、統一された目立つ色の服を着せてください。GPSなども使えません。
転送を待つ側の人たちは、大人しく待つだけなので、おそらく問題はないだろう。
すべては、抽出された100名にかかってくるのだが、ざっと確認したかぎりで、このようなことに積極的に取り組むタイプの人たちが選別されているようだった。
先行組の中からは、ケンタだけが選ばれていた。いつも冷静なケンタがそれには少々興奮しているようだった。
彼は本当は神田ヒロシの作ったものを見たかっただろうけど、先日は「階段」のイメージを受診したそうなので、マヤコのところから転送の儀式を行うことになる。
「どんな儀式なのか、胸が高まって今日は眠れそうもないよ。」
「眠っておいた方がいいですよ。ホッチ博士の計画は、とにかく疲労するということを私たちは身をもって知りました。」
マヤコが助言した。
ナミヲの家からの帰り道。静まり返った街を神田ヒロシとケンタは肩を並べて歩いていた。
ケンタがそっと手を伸ばして神田ヒロシの手を握った。
「いよいよ明日なんだね。」
ケンタが囁き声で言った。
「ここしばらく一緒にいれなくてすまなったね。」
「早くあっちの世界に行きたいよ。そしたら、いろいろ見て回るんだ。」
「あっちの世界でしばらくゆっくり一緒に旅行でもしないか。誰もいないところへ行ってのんびりしたいんだ。」
そう言って神田ヒロシはケンタの背中に腕を回した。
ケンタのことは昔からよく知っていて、ずっと親友だった。
自室で黒い球を見つけたときに最初に相談したのもケンタだった。
彼がいなかったら、自分はこの大役をここまで果たせなかっただろうと思う。
自分の中で彼に対して親友以上の感情が芽生えていたのには気が付いていたが、それを知られるとケンタに嫌われるのではないかと思い、彼を失う恐怖から、自分を騙しながら生きてきた。
そんな自分の感情の扉を開いてくれたのもケンタだった。彼は自分自身にも嘘をつかない。何もかもを受け入れる、まるで仏のような存在だ。
こんな人他にいるだろうか? 神田ヒロシはケンタと出会えたことに改めて感謝するのであった。
翌日、それぞれの会場には予定時刻より前に約束した面々が全員姿を見せていた。
神田ヒロシとマヤコは、それぞれの会場で、これからやることをみんなに説明した。
やることは単純だ。輪になってひたすら同じ踊りを音楽にあわせて続けるのだ。
それは誰もが学校で一度はやったことのある、古いフォークダンスだった。
特に詳しいレクチャーをしなくてもみんな踊れる。
もしかしたら、この日のために我々の中に仕込まれていた踊りなのかもしれない。
この踊りを、神田ヒロシやマヤコがそれぞれの素材で作った小さな街の周りで踊り続けると、待機している住民たちがこの中に転送され、黒い球または階段を通ってあちらの世界へ行く。
踊る人たちは責任重大だ。少しでも気を抜くと、転送が失敗する可能性がある。
全員が転送し終わるまで、全力で踊らないといけないのだ。最後に自分たちが転送されて全てが終わるまで。
ちなみに、神田ヒロシとマヤコは踊りの輪には入らない。ひたすら見守るのだ。
「さあ!はじめましょう!」
マヤコが大きな声で言うと、輪の中にいたケンタがこちらを見てウインクをした。
マヤコが彼の笑顔を見たのはこれが最後となった。
マヤコは頷くと、音楽のスイッチを入れた。
ダンスの前奏が終わると、一斉にみんなが踊り始めた。
神田ヒロシの会場でも同じことが始まっているだろう。
本来ならば楽しく行われるはずのフォークダンスだが、転送の踊りはそんなお気楽なものではなかった。
最初の人が転送されてくると、輪になって踊っている人たちの表情が変わった。一人ひとりの人間の命の重みがずしりと彼らの肩にのしかかってくるのだ。
それを精一杯支えながら、踊り、送る。鬼の形相でそれを続けた。
転送は実に不思議なものだった。
踊りの輪の中、会場の中空には次々と人が出現していた。
そして、出現した人は、シュルシュルと小さくなると、まるでハヤトの作ったヒト型そっくりな不格好な粘土の人形になった。
ヒト型たちは、マヤコが作ったミニチュアの街の上をまるでコマ送りのように4ステップで動いて進み、ステージ上の小さくも長い階段へと運ばれて行った。
階段に到着すると、ヒト型たちはせっせと階段を上り、消えて行った。
消えて行った人たちはあっちの世界に行けたのだろう。
踊る人たちは、曲の決まった箇所にくると、独特な口調のフレーズを叫び、どんどんテンションを上げて行った。
ベッドや呼吸器が必要な人、車いすが必要な人たちなどなどは、機器ごと転送されてきているのが見えた。彼らは飛ぶように階段をスルスルと登って行った。
20分ほど踊り続けると、やがて転送されてくる人は見えなくなった。
すると、踊っている輪の中から、ひとり、またひとりと消えていき、ヒト型となって同じ段取りで階段を上っていくのが見えた。
いくつも重なっていた踊りの足音がだんだん減って小さくなりやがて消えた。
踊る人たちも全員が転送されて、講堂にはマヤコ一人となった。
むなしく鳴り続ける音楽を止めると、あたりは気味が悪いほどしーんと静まり返った。
講堂の窓から外を見ると、残留を希望した人が何人か見物に来ていた。
マヤコが手を振ると、彼らも手を振り返した。
この世界も見納めだ。マヤコはこちらの世界には未練はなかったけれど、最後に自分が育った街並みをじっと眺めてから、自分で作ったミニチュアの元へと戻った。
そこにはナミヲが立っていた。
実はこの時までナミヲがどっちから転送されるのか知らなかった。
マヤコの方からだったのだ。
マヤコはナミヲの手を取ると、自分たちの転送ポイントへ向かった。
あちらの世界に行くのに、マヤコとナミヲは階段は使わない。
湖のほとりにあるハヤトの小屋。そうそこがマヤコとナミヲの転送ポイントだった。
「ほら、あれ。あれがハヤトの小屋よ。」
マヤコが自分で作った小屋を指さした。
「いい? いくよ!」
マヤコとナミヲは、せーので足を踏み出し、自分たちの転送ポイントのあたりへと踏み込んだ。
そしてシュルシュルと小さくなりながら、ミニチュアの中へと入って行った。
≪転送完了≫
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