審判の時

 佐奈田マリコと家須キヨヒトは “言の葉” を入れることを承諾した。覚醒した彼らは、今まで公開した動画を全て削除し、信者一人ひとりの元へ直接出向いて “言の葉” を入れるように説得を始めた。

 この方法を提案したのはのぶよだった。当初、彼らは真実を伝える動画を公開するのだと息巻いていたのだが、今までと180度異なることを言わなければならないので、むしろ反感を買って逆効果になる可能性を危惧したのだった。


 なかなか信用してくれない信者の元には、ナミヲやマヤコが同行した。

 佐奈田マリコの信者たちの中に覚醒者が増えると、あとは勝手に仲間同士説得しあって “言の葉” を入れに来てくれた。


 こうして、思想や信仰的な理由から検査を受けたがらない人々の間にも、じわじわと “言の葉” が入って行った。


 人口の約60%に “言の葉” が入ったあたりから、全てを隠して進行する必要がなくなり、この世界の成り立ちは周知の事実となった。

 テレビでは連日、デウス・エクス・マキナ計画に乗るのか乗らないのかの議論が繰り広げられていたが、どの討論でも、行くのか行かないのかは、最終的には個人の自由に任せるべき、という結論に達しがちだった。


 多様性を重んじるように設計された人々だ。当然の結果だろう。


 一部の人たちの中には、誰もあっちに行ってはいけないと考える人たちもいるにはいた。あちらの人々が、自分たちが勝手に優秀だと考えた遺伝子だけを残そうとしているのが許容できない、という理由からだった。彼らは心中派と呼ばれるようになった。


 時々、駅前なので、この世界に残ろう!と訴える演説を目にすることもあった。


 心中派の意見もよくわかる。だが、あちらの人々は滅びる運命なのだ。この先、繁栄していくのは我々だ。我々は彼らと同じようには作られていない。これは生きろというメッセージなのではないか。と反論が出て、こちらの方が人気の思想だった。


 心中派はその勢力を拡大することなく縮小の一途でだったが、完全に消え去りはしなかった。


 やっかいだったのは、頑なにこの現実から目をそらし続ける人々の存在だった。未だに検査を受けていない人々のうち、ほとんどがこれにあてはまった。

 彼らは、この世界の成り立ちを理解してはいるものの、自分にはまるで関係ないと思っている人々だった。特に年配の人たちに多かった。


 実は神田ヒロシの母親がこのタイプだった。いまさら、子孫繁栄のため…と言われもねぇ…、という感じで、検査を受けようともしないのであった。

 子孫繁栄は関係ない、これは生きるか死ぬかの選択だ、といくら説明しても話が噛み合わなかった。

 自分が天命を全うできないかもしれない、ということも現実として受け止めていないようだった。


 “言の葉” を入れていない状態では一般人は向こうの世界へ転送するためのゲートを通れない。

 こっちとあっちを自由に行き来できるのは、ゲートを作る能力を持った神田ヒロシと篠崎マヤコのみが持つ能力なのだ。


 検査を受けない、“言の葉” を入れない、ということはつまり、いつ崩壊してもおかしくないこの世界に留まる選択しかないことになる。

 ハヤトがヒト型を造る能力を失ったということは、ヒト型がヒト型のまま存在していくのにもタイムリミットがあるかもしれない、とケンタが言っていた。

 この件については、お食い合わせで得た知識の中には入っていなかった。


「ヒロシの母さん。無関心なんじゃなくて、実は、怖いんじゃないかな。」


 落ち込んでいる神田ヒロシを慰めに来たケンタが言った。彼らは神田ヒロシのマンションのベランダに出て、夕暮れ時の街並みを見ていた。


「関係ないと言いつつ、猛烈に拒否しているように見える。お母さんって、病院とかにはまめに行くタイプ?」


「いいや…、そう言えば母さんが病院に行っているところを見たことがないな。具合が悪い時も、自分で症状を調べて、勝手に判断して市販の薬を飲んでいた。」


「それだよ。真実を知らされるのが怖いんだ。君の母さんだから言いにくいけど、そういうタイプの人たちは、極端に変化を恐れている。だから、自分の身の回りに異変が起きても、取り返しがつかなくなるまで自分の手が届く範囲で何とかしようとする。君はいずれ、無理やりにでも “言の葉” をお母さんに入れるか、このままこの世界に置いていくかの選択を迫られる時が来るだろう。」


 神田ヒロシは黙って思考を巡らせた。ゲートを開く能力を授かった自分は、こちらの世界に残ることはできない。みんなと一緒に行かなければいけないのだ。仮に残れるとしても、神田ヒロシにはその選択肢はなかった。あっちに行かないなんてことはありえない。


 嫌がる母親を無理やり検査して “言の葉” を入れるシーンを想像してみた。とてもじゃないけど自分にはできないと思った。

 これでは正義面して相手に自分の「こうするべき」を押し付けているだけではないか。


「僕は母さんをここに置いていくかもしれない。」


 神田ヒロシはぼそりと言った。ケンタがこちらを見ているのが感じられたが顔をあげることができなかった。

 今ケンタの目を見たら泣いてしまいそうだ。


「君がどんな決断をしようとも、それは正しいことのはずだ。」


 ケンタが言った。


「ヒロシは優しい。そしていつでも冷静でリーダーの素質もある。僕はずっとそこに惹かれてきたんだ。」


 神田ヒロシは顔をあげてケンタの方を見た。


「いつか言おうと思っていたんだけど、僕はヒロシが好きだ。…その…惚れているという意味で。」


 ケンタは恥ずかしそうな顔をしていた。その表情を見て、神田ヒロシは心の中のモヤが一気に晴れ渡る気持ちがした。母親に恋人ができたのかと詮索されるたびに抱いていた違和感。


「好きなんだ。」


 もう一度ケンタが言った。自分自身に言い聞かせているように聞こえた。


「僕もずっと好きだったよ。」


 神田ヒロシが言うと、ケンタは少し驚いた顔をした。


「一緒にハヤトのところに帰ろう。先生にこういう愛の形もあるって知らしめたい。」


 あははとケンタは笑った。

 二人は肩を並べて夕日が街の向こうへ沈むの見ていた。


 1週間後、一部の選択的拒否権を使った者と、検査の連絡に応じない者たちを除いて、全ての住民に “言の葉” を打ち終えたことが政府によって発表された。

 選択的拒否権というのは、検査が強制的ではないと示すために形式上作られた権利なのだが、なぜかわざわざこれを使った者たちがいた。ケンタたちが話を聞きに行っても、全ての接触を拒否されて、理由はわかっていない。


 そして、これまでの間に、幾度となく開かれた有識者会議の結果、デウス・エクス・マキナ計画に乗るのか乗らないのかの判断は個人の自由として、全体の結論としては、行きたい奴が行く、ということになった。


 この決断に反対したのは、例の心中派だけだったが、小規模なデモが行われたのみで、大きな混乱はなかった。


 ナミヲを通じてこの結論をハヤトたちに伝えたところ、先生は号泣して喜んでいるとのことだった。

 向こうでは3日が経過したとハヤトが言っていた。


 神田ヒロシの母親は、未だ「検査の連絡に応じない者」に分類されていた。

 あと数週間で今生の別れが訪れると悟った神田ヒロシは、自分に彼氏ができたことを告白した。

 意外にも、母親はそれを聞いて喜んだ。彼女にとって、性別ははさほど重要ではなかったらしい。気にしていたのは自分の方だった…と神田ヒロシは思い知ったのであった。


「でも、あんたはいつでも戻って来れるんでしょう?」


 母親は呑気にそんなことを言っていた。ここまで向き合うことを拒否されると、もう成す術なしだった。神田ヒロシは母親はあちらに連れて行くことを諦めた。


 住民の方針が決まったので、神田ヒロシと篠崎マヤコは帰還の準備を始めなければならなかった。

 それには、転送を希望する全ての人に協力してもらわなければならない。

 神田ヒロシたち先行組は、このシナリオに、≪マイグレイション計画≫ と名を付けた。


 先生には内緒にしたが、これが成功するかしないかは、人々が “生きたい” とどれほど強く思うかにかかっているのであった。


 ≪転送まで あと21日≫

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