箱庭の楽園 (3)

「驚きましたよ!!我々の鼻腔には、未知の成分が付着しています!!」


 ほらほら、といった感じで皆藤さんが何やら波形図が印刷された紙をヒラヒラさせてみんなに見せたが、山田さん以外にはその意味はさっぱりわからなかった。


「見てください、これ。この部分です。何度やっても構造が不明でした。DNAの解析から離れて、ただの成分解析もしたのですが、これは現在我々が知っている物質ではありません。つまり、未知の物質です。」


「同じものが全員についていましたか?」


「はい。全員の粘膜から、全く同じ構造の未知なる物質が検出されました。」


「きまりだな…。」


 ケンタが腕を出しながら言った。


「僕は心の準備ができている。第一号に立候補するよ。言の葉を打ってくれ。」


 全員がカフェテリアを見渡した。ほとんどの社員が帰ってしまって、いまは向こうの一番端にイヤホンをしてパソコンで何かしている男性が一人いるだけだ。

 店員も奥に引っ込んでいて姿は見えない。


 神田ヒロシがポケットからさきほど保管室から持ってきた “言の葉” と注射器を取り出し皆藤さんに渡した。


「どのくらい注射するんです?」


「5mL 程度でいいはずだ。」


 皆藤さんは頷くと、ポケットから携帯用除菌ペーパーを取り出し、手元を隠しながら注射器で “言の葉” をきっちり5mL 吸い取った。

 そしてケンタの腕の内側の血管の位置をさぐり、慣れた手つきで探り当てたポイントを消毒した。


「血管に入れればいいんですよね。静脈注射をします。いいですか?」


 ケンタは頷いて答えた。

 いつでも体を支えられるように、神田ヒロシがケンタの後ろにまわった。


 注射器の針がゆっくりとケンタの血管へと入り、そして “言の葉” が注入された。


 全員がじっとそれを見ていた。


「いまのところ何も…んぐっ」


 言葉の途中でケンタの体に力が入り、ぐっと体がのけぞった。

 すかさず神田ヒロシが彼の体を支え、何でもないように振舞った。


「心配いらない。数秒で終わるはずだ。」


 やがでケンタの体の力が抜けていき、ゆっくりとテーブルに頭をつける姿勢になった。


「大丈夫ですか?」


 のぶよが心配そうに言った。その声にケンタはゆっくりと顔を上げた。


「大丈夫だ…」


 その回答に全員がほっと胸をなでおろした。


「大丈夫なんだけど…ちょっと吐いてくる。」


 そう言ってケンタはゆっくり立ち上がり、トイレの方へとふらふらと歩いて行った。

 神田ヒロシが助けようと歩み寄ると、彼は、手を挙げて、大丈夫…とジェスチャーで示した。


 しばらくして、トイレから戻って来たケンタはすっきりした顔をしていた。


「想像以上だったよ、言の葉…」


「で、どうなの?何か変わったの?」


 のぶよが待ちきれないというように質問した。


「変わった? うん、何もかもが変わったよ。ヒロシたちが話していることは全部本当だ。もともと僕は信じていたけど…でもそれとはレベルが違うほど、確信的に、君たちが体験したことと、得た知識全てを僕は今、共有している。」


 そうして、ケンタは、ハラハラと涙を流した。

 それを見て、なぜかナミヲも泣き出した。


 マヤコは、カフェテリアにいる他の人に不信に思われないか不安になってキョロキョロしたが、店の端っこにいた男性もいつのまにか居なくなってして、周りには誰もいなかった。


「早くみんなも入れた方がいい。次はだれがやるんだ?」


 ケンタが言うと、のぶよが手を挙げた。

 皆藤さんが手際よく “言の葉” を入れると、彼女も一度のけぞってから脱力し、トイレに吐きに行き、すっきりした顔で戻って来た。


「すばらしい体験だった…。」


 のぶよも涙を流し、ナミヲもまた泣いた。

 こうして、皆藤さん以外の全員に “言の葉” が無事注入された。その度に、みんなトイレに行き、吐き、戻って来て泣いた。

 ナミヲも毎度泣いた。


「マヤコ…あんたの言う通りだったよ。バリバリって脳みそを剥がされる感じだった…。」


 サチエは興奮した様子で、“言の葉” を噛みしめた。三人の女子大生は、記憶と知識の共有に感動してしばし抱き合っていた。

 それを見て、ナミヲは号泣だった。


「さて、あとは皆藤さんですよ。どうします?」


「こんだけやっといて…実は、自分で注射をしたことがないんだ。先端恐怖症で…人に刺すのは得意なんだが、自分にはどうしても刺せない…。」


「じゃあ、私がやろう。」


 山田さんが言った。山田さんが注射器を向けると、皆藤さんはまるで子供のように顔を背けた。

 皆藤さんにも “言の葉” が入って行った。


 こうして、神田ヒロシとマヤコは第一の共犯者を作ることに成功した。


「あっちにいる5人はどうする? もう帰ってしまったかな?」


「続きは明日やりましょう。いい策を思いついたんです。明日の朝、山田さんは十時に、他の皆さんは昼過ぎに来てください。」


 “言の葉” が入った皆藤さんは活き活きとして見えた。


 翌日、マヤコが会社を訪れると、すんなりと皆藤さんの部署へと通された。他のメンバーもほどなく到着し、皆藤さんから昼前には社員全員に “言の葉” を入れ終わったことを告げられた。


「すごい!いったいどうやったんです?」


「なに、簡単ですよ。昨日、みなさんから採取したサンプルの成分表を少し改ざんして … そのままだとあまりに未知の成分なのでね、研究室から実験中の病原体の変異株が流出した、けど、幸い特効薬も開発済って情報を流したんです。みんなこぞって検査を受けて注射してくれましたよ。」


「じゃあ、ここにいる全員が味方になったというわけか。」


「そうです。なので、もう我々は作戦を考えなくて大丈夫です。役員たちが現在、対策会議中です。もう勝手に話は進んで行くでしょう。」


 ここで、部屋にいた数名の社員が目をキラキラさせて近寄って来た。


「ああ、あなたたちが、神田ヒロシさんと篠崎マヤコさんですか!お会いできて光栄です!!ぜひ握手を!!」


 二人は、わけもわからず、社員たちと握手をした。

 ぽかんとしている二人を見て、サチエがクスクス笑った。


「ちょっと、二人とも気が付いてないの? あなたたちは、私たちの救世主なんだよ。」


 えー?という顔をして、神田ヒロシとマヤコは顔を見合わせた。

 ナミヲが「おお何と感動的な!」と言いながら泣いた。


「ナミヲ…昨日から泣きすぎだぞ? ところで、そろそろハヤトに中間報告しないか? 向こうでどのくらい時間がたったのか知りたいし。先生が待ちくたびれて癇癪でも起こしてるといけない。」


 神田ヒロシの提案にマヤコも賛成だった。ハヤトの声も聞きたかった。もうずいぶん会っていない気がする。

 他の面々もハヤトとの会話を体験したくてついて来ることになった。

 覚醒した社員たちに知られると、全員ついてきそうだったので、彼らはこっそりと会社を後にした。


 ナミヲの家は、街の中央部にあった。機械が設置してあるという屋上に向かうと、みんなはその異常さに少々不安になった。

 ナミヲの通信機器は、どう見てもガラクタを寄せ集めた狂人がいかにも作りそうな機械だったのだ。


 そんなみんなの心配をよそに、ナミヲはルンルンしながら機械を起動し、アンテナを伸ばした。

 そして、機械から突き出たマイクに向かって話はじめた。


「聞こえますか、聞こえますか、我らが創造神よ。」


 あっちの世界にいたときは、かなりの大きな音でナミヲの声が響いていたが、こっちにいると、ナミヲの生声しか聞こえず、拡大された声は聞こえなかった。


「待ってたぜ、ナミヲ! 聞こえるよ。こっちでは3時間たってる。ジュースの散布も続けているよ。」


 足元のスピーカーからハヤトの声がした。おお!全員がから感嘆の声があがった。


「創造神ハヤトよ! 私、ナミヲと、神田ヒロシ、篠崎マヤコは、こちらの同胞の主要メンバーに言の葉を注入し、仲間に引き入れることに成功しました!! 今現在、皆藤なる人物の所属する製薬会社の社員全員を味方につけ、ここの同胞全員に言の葉を入れるべく作戦中であります!」


「それを聞いて安心したよ。君たちが言の葉を掘り返しているのは見えたから、記憶が戻ったのはわかっていたけど、その後どうなったのか、すごく心配してたんだ、先生がね。」


「ハヤト!ハヤト! 私! マヤコ!」


 マヤコは待ちきれずにマイクに向かって叫んだ。


「マヤコどの。こちらの声はナミヲのものしか届きません。」


「あら、そうなの?」


 マヤコはがっかりしてしまった。


「マヤコ? そこにいるの?」


 ハヤトの声が言った。


「早く帰って来いよ。待ってるよ。」


 それを聞いて、マヤコはうんうんと頷き泣いた。それを見て、ナミヲもうわーんと泣いた。

 のぶよとサチエが寄って来て、彼女を優しく抱いた。


 ケンタは、何かこれ昨日も見たな…と面白く思って見ていた。


「みんなに “言の葉” を入れ終わったら、協議が始まると思うから、結果がわかったらまた連絡を入れるってハヤトに言ってくれないか?」


 ナミヲは泣き止んで、神田ヒロシの伝言をハヤトに伝えた。


「ついでに、僕はそっちに行くつもりだって伝えてよ。」


 ケンタが言った。


「私も…」


 のぶよとサチエ、皆藤さんと山田さんもそれに続いた。

 ナミヲがそれを伝えると、先生が泣いて喜んでいるとハヤトから報告があった。


 ハヤトへの報告を終え、メンバーは一旦解散になった。

 これから、どうやって言の葉を広めていくのかは、もう皆藤さんたちの会社に任せれば大丈夫そうだ。


「マヤコは、ハヤトって子が好きなの?」


 帰り道、サチエが聞いていた。


「好き? うーん、好き、大好き。だけど、それは恋とかそういうのとは違うよ。戻って来てから気が付いたけど、この世界で私には家族と呼べる人が一人もいないの。だから、ハヤトは唯一の身内みたいに思っているのかな~。」


「そうか…、じゃあ、戻れるまで、寂しくなったらいつでも言ってよ。私、そばにいてあげるから。」


「わたしも!」


 マヤコはそう言ってくれるサチエとのぶよに感謝して、ぎゅっと二人の手を握った。

 そして、この二人…に限らず、この世界のみんなには生きてほしいと強く思った。

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