第19話 存在感

 白富東高校は、次の代には絶対的なエースがいない。

 いや、強豪校レベルのエースならば二人もいるのだが、その前の二世代が強すぎた。

 150kmを投げる本格右腕に、甲子園を含めて何度もノーノーを達成している技巧派。

 その次の年代には、左でMAX155kmを投げてくる本格左腕がいるのだ。


 しかしこの日、センバツ甲子園で観客や視聴者の多くは認識を改めた。

 化け物の姿は一つだけではないと。


 白富東 対 仙台育成


 白富東は去年の春と夏を連覇し、秋の神宮でも新チームで準優勝を達成した、関東で瞬く間に超強豪として名を上げたチーム。

 なおそれまでは関東、特に東京において、東大や早慶に多くの合格者を出す進学校として有名であった。

 対するは仙台育成。東北に覇権をもたらすことを期待された、神宮での優勝経験もある強豪。

 この名門であり因縁もあるチームに対して、白富東の先発は淳である。


 宮城県出身の淳は本来、仙台育成に進学する予定であった。

 悪いチームではない。むしろ甲子園でもあと一歩で優勝を逃すこともあり、初めての優勝旗を東北にもたらすという期待もされた、やりがいのあるチームだったろう。

 ただ淳は思ったのだ。この環境はプロに行く最善手ではないと。

 このセンバツにも淳の知った顔がベンチに入り、スタメンにも入っている者がいる。

 だがあちらは淳のアンダースロー転向を、引っ越してから知った立場である。


 白富東の監督である秦野は、この試合もおおよそ安心して見ていた。

 甲子園で強豪を相手に、来年を見据えたスタメンを使っても、余裕を持った試合運びが出来ている。

 試合は進み、既に八回の表を終える。

 後攻の白富東はそれまでに7-0とほぼセーフティのリードを保っている。

 そしてマウンドの淳は、ここまで二四球。

 ヒットを打たれず、得点も取られず、つまりノーヒットノーランである。


 後半はトニーに交代する予定だったのだが、ピッチングの内容が良すぎて引っ張りすぎてしまった。

 基本的にはグラウンドピッチャーである淳が、ノーヒットノーランをするのは難しいはずなのだが、右バッターへのシンカーが有効すぎる。

 そもそも左のアンダースローという時点で、普通のストレートにも変な回転がかかるのだ。

 一度浮かび上がってから沈むようなボールの軌道は、本当にミートするのが難しい。

 もっともアレクなどはこういった変化球も、簡単に打ってしまうのだが。


 今日はサードを守る武史は、全く投げてはいないが打つほうは打っていた。

 三安打一ホームランの二打点なので、バッティングで存在感を示したと言っていい。

 八回の裏には、今日五打席目のアレクから。

 アレクもホームランを一本打っているので、今日はソロホームランで点が入る場合が多い。倉田も一本打っているのだ。

 逆に言うと連打で点を取られているパターンは少ないので、白富東の作戦自体は、仙台育成は防いでいるとも言える。


 純粋に個人として突出した選手が多い。

 ただ打たせて取るタイプの淳は、味方のエラーも出てしまっている。

「弟に先にノーノー達成されるのって、なんか複雑だよな」

 ベンチの中で武史はのんびりと言っているが、こいつにもノーノーの機会はあったのだ。

 去年のセンバツの早大付属との試合は、あと一人抑えれば達成であった。

 そこを勝利を優先して交代したのが直史であった。


 武史にはピッチャーとしての意地がない。

 それはこれまでは良かったことかもしれないが、エースとしてチームを引っ張って行くには、もっとエゴを出してもいいのだ。

 直史だってチームがピンチの時には、武史を降ろして自分が登板していた。

 逆に言うとそこが弱点になるのかもしれない。




 九点目が入った。

 八回の裏はそこで終わり、ついに仙台育成最終回の攻撃が始まる。

 淳をここまで引っ張ってしまったのは、体力温存という点では失敗だ。

 しかし甲子園で完投出来れば、それだけで大きな経験になるだろう。


 淳は打たせて取るタイプのグラウンドボールピッチャーだが、三振を狙っていくトニーよりも、むしろヒットを打たれる確率は少ないし、四球も少ない。

 奪三振も急所で取ることが出来るので、ピッチャーとしての性能はトニーよりも優れていると言っていいかもしれない。

 来年の白富東にはもう、全国レベルの超高校級ピッチャーはいなくなる。

 だが淳はかなりの強力打線に対しても、ある程度までの失点で抑えてくれるタイプのピッチャーだ。

 この試合でノーノーを達成しても、それは単に運がいいだけで、本来ならば防御率は高いが奪三振は基本的に狙わない。

 そしてゴロを打たせるのと同じぐらいに、フライを打たせることも上手い。


 九回の表、このままノーヒットノーランをされるなど、名門として許されない。

 だが四番と五番が共に凡退すると、さすがにそうも言っていられない。

「浜口! 代打!」

 ベンチに入っていた一年は、気の毒そうな視線を送られる浜口。

 シニア時代は淳とバッテリーを組んでいて、そして淳の進路変更でモロに煽りをくった少年である。


「シニア時代はサイドスローだったんで、あまり意味はないんすけど」

「いいから行ってこい!」

 数回バットを振ってから打席に向かう。


 当然ながらこれは、淳もやりにくい相手である。

(甲子園でノーノーやってたら、進学にもプロ入りにも、実績になるのに)

 フォームを変えたために、球種の変化なども変わってはいる。

 だが基本的な投球のタイミングなどは変わっていないであろうと、苦肉の策として代打を出したものである。

 エースでもないピッチャーにノーノーなどやられたら、今後の士気に関わる。

 負けるのは仕方がないにしても、春の大会にまで引きずってしまっては、夏のトーナメントのシードにまで影響するかもしれない。


 淳としては頭脳が明晰なだけに、そこまで相手の状況が読めてしまう。

 裏切った自分が、過去のバッテリーを組んでいた友人に、そこまでのことをしていいものか。

 いや、ここでノーノーを達成するなら、その実績は必ず将来の評価につながる。


 迷いながら投じたボールは、わずかに腕が縮こまっていたか。

 甘いボールを痛打して、三遊間を抜けようとする。

 サードの武史は間に合わないが、守備力特化の佐伯が飛びついた。

 そこから一塁へ送球しようとしたが、体勢が悪くてボールにスピードがない。

 これが大介だったら、肩の強さだけでアウトに出来ただろう。

 だがヘッドスライディングした浜口への判定は、塁審の手を横に広げたセーフ。

 九回ツーアウトまで来ながら、大記録の達成はならず。




 この日のキャッチャーは孝司であり、記録の途切れたマウンドの淳に歩み寄る。

「コントロールが甘くなってたな。元チームメイトだっけ?」

「悪い。ちょっと投げにくかった」

「点差もあったし、フォアボールにしても良かったかもな」

 孝司としてはここで淳が崩れたら困るのである。

 記録の達成がなるかどうかはともかく、白富東はピッチャーの準備をしていないのだ。


 フィールドには武史もトニーも出ていて、特に武史は守備の時は右投げなので、左の肩は全く温まっていない。

「まあ記録は仕方ないさ。完投完封でも、それなりの実績になるからな」

 淳は計算高く、目標設定を変更した。

 孝司はそれが強がりでないことを確認しつつ、キャッチャーボックスに戻っていく。


 淳は確かに崩れていない。

 そしてここから崩れる気もない。

(権藤さんの見ているとこでノーノー決めたかった……)

 しかし佐藤家の男は、女をモチベーションにする者が多すぎる。


 ここから奇跡の逆転などは起こらないし、せめてもの一点ということも起こらない。

 代打で出てきたバッターをサードゴロに打ち取り、白富東は準々決勝進出を果たした。




 甲子園で完封をすると世界が変わる。

 まして淳などはルックスもかなりいいため、マスコミとしてもスタートして売り出したい商品だ。

 しかも左のアンダースローという異色のピッチャーのため、話のネタとしてはおいしいのだ。

 だが淳は既に、入学する前から、プロ意識というものを持っている。

 マスコミは利用するものだが、利用されてはいけない。


 たとえノーノー達成直前だったとしても、相手を下に見るような言動をしてはいけない。

 調子に乗って次の試合の活躍などを宣言してもいけない。

 ただ目の前の試合にだけ集中する。

 笑顔も見せず、真剣さをアピールする。

 高校入学時のいざこざは、仙台育成側やシニアとしても、公にはしたくないことである。


 ひたむきさやさわやかさを演出するには、淳の人格的に無理がある。

 だから見せる姿は、試合に取り組む真摯な姿勢。

 実際のところ今日の試合は、明日美が見にきてくれていたので、少し頑張ってしまったのだが。




 秦野としても予定は狂ってしまった。

 今日の第三試合の結果で、次の対戦相手が来まる。

 名徳か桜島。両方共に、攻撃的なチームだ。

 特に桜島が勝ち残ってきた場合は、淳のような軟投派で技巧派のピッチャーの方が相性がいいはずだ。

 中二日なので、出来れば全く疲労のない状態で対戦したかった。


 ぶんぶんと振り回してくるスタイルは、一点ぐらいは点を取られるかもしれないが、それ以上にこちらが点を取ればいいだけである。

 一回戦も秋の大会も、桜島が打撃偏重であるチームには変わりはない。

 名徳が勝ってきた場合は、これまた攻撃的なチームではあるが、打線がどういった攻め方をしてくるかは桜島とは対照的だ。

 足を絡めて積極的に前の塁を目指すチームであり、これはそもそもランナーを出しにくい武史の方がいいかもしれないが、淳も投球術自体は武史より優れている。


 この先勝ち進んでいくと、準々決勝と準決勝の前にも、一日の休養日がある。

 もし実力どおりに勝ち進んできた場合、大阪光陰と帝都一は準々決勝の前に休養日がない。

 そしてどのチームも準決勝と決勝の間に休養日はない。

(真田と水野が準決勝で消耗してくれたら、こっちとしては楽になるんだけどなあ)

 だが下手に激戦を制してくると、勢いがついて一気に飲み込まれる可能性もある。


 準決勝で当たりそうな有力チームは明倫館だ。

 去年のセンバツでも当たったチームで、今年は長打力も高まり、かなりバランスのいいチームとなっているらしい。

 もし明倫館が負けたとしても、これまでの一回戦を見る限り、想定外のチーム力を持っているチームはない。

(ヨコガクが一回戦で負けたチームは、かなり要注意かもしれないけどな)

 優勝候補である横浜学一が負けたのは、大分県の公立高校であった。

 そうは言っても体育科を創設し、この五年あたりで順当に実績を残してきたチームである。

 明倫館が去年とは違うチーム体制を築いているというのは、神宮大会でも聞いていた。

 秦野は勝利監督インタビューに答えながらも、次の対戦を睨んでいた。




 白富東の応援団は、ここからまたバスに乗って千葉に戻り、試合には夜行バスでまた甲子園にやってくる。

 このあたりも大規模応援団が作りにくい理由であり、東北のような遠方から来るチームが甲子園を優勝出来ないのは、そのあたりの応援団の後押しが少ないからだとも言われたりしている。

 だが中には優雅に、こちらに宿泊して過ごす者もいる。


 JR京都駅から地下鉄で一本、神崎家の別宅は京都市内を外れたところにある。

 客間の多いお屋敷で、思わず明日美は圧倒されたが、恵美理がお嬢様というのはよく分かったものである。

「淳君凄かったね」

 素直な感想を述べながら、明日美は案内された部屋のベッドに寝転がる。

 ぐてっとした様子は猫のようで、恵美理から見ても可愛らしい。

「けれど今日は……」

「武史君は投げなかったけどね」

「そうね」


 どこか煮え切らない恵美理の返事に、明日美はごろごろとベッドに転がりながら頭も回転させる。

「恵美理ちゃんは武史君のことが好きなのかなあ?」

「え」

 初恋もまだらしき明日美にそんなことを言われると、恵美理はまず言葉の内容よりも、そんな言葉が明日美から出てきたことに驚く。

「私が、そんな……」

 同じ初恋未経験同盟の恵美理は、咄嗟には答えようがない。

「素敵な人だとは思うけど」

「好きだって言わないの?」

「好き……なのかな?」

 自分でも説明のつかない感情だ。それに好きだと言ってしまうには、まだ会った回数も少なすぎる。

「分からないわ」

「自分のことなのに?」

「明日美さんはいないの?」

 今日の淳のピッチングは、恵美理の目から見ても、かなりかっこいいものだったと思うのだが。

「いるけど~。芸能人みたいなもんだから~」

 それでも頬を染めて、明日美は秘密を告白した。


 衝撃である。

 明日美とは一番仲がいいと自認している恵美理が、まさかそれを知っていないとは。

「だ、誰? 私の知ってる人?」

「知ってる人だけど……」

 そして明かされた明日美の想い人は、確かに明日美が好きになりそうな人物ではあった。


 しかし、明日美でさえ、こういった色恋沙汰には関心が出てくるというのか。

 いや、明日美は誰が誰を好きだとかは、あまり気にしないタイプの女の子だ。

 だがこうやって心を奪われることはあるのだ。


 自分は佐藤武史のことを好きなのだろうか。

 はっきりとしない感情を抱きながら、恵美理は悶々とした日々を過ごすことになる。

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