第15話 未来へ また一歩

 みぞれ混じりの雪が降っている。

 グラウンドにも積もらないほどの、地面で溶けてしまう雪。

 初雪だ。

 直史は受験以外の勉強もしながらも、ちゃんと息抜きもしている。

 毎日の運動は軽いジョギングと柔軟、そして300球の投げ込み。

 これでもどんどん体は鈍っていくのは感じる。


 他にする汗をかく運動としてはセックスぐらいで、およそ週に二度ほどのペースで行っている。

 まあ瑞希の家に行ける日は毎日と思って間違いない。

 気持ちもいいし運動にもなるし、また恋人とのコミュニケーションも肉体的に取れるので、最良の手段ではないかと思っている。


 そんな昼間から盛っていた二人であるが、今は服装を整えて、テレビのある居間でその放送を見ていた。

 大阪ライガースの入団記者会見。

 今年はドラフトから八名、育成で二名の合計10人がこのチームに加わる。

 なおその一ヶ月ほど前には、11人が自由契約、いわゆるクビになっている。


 ドラフトでは投手と野手を半分ずつ取っていた。

 ライガーズはここ数年ずっと、戦力の後継が育っていないと言われている。

 特に打線はクリーンナップの平均年齢が35歳を超えており、シーズン全試合を戦うには故障者が多すぎる。

 投手の育成と共に、打線陣の若返りもはかりたいチームであるが、基本的には大卒が多い。

 即戦力もほしいが、将来性のありそうな選手も取っていかないといけない。球団の事情はかなり厳しいだろう。


 既にタイタンズの方の入団記者会見は終わっていたが、あちらはあちらで岩崎もかなり緊張していた。

 ファン感謝デーの中の一環として行われたので、煌くようなスターやOBの中で、明らかに岩崎は萎縮していた。

 一軍の中で自分の居場所を確保するというのが、あちらの決意表明であったか。

「直史君は、本当にプロに行かなくてよかったの?」

 瑞希は問いかけるが、直史の内心の考えはもう分かっている。

 野球は好きだが、別にプロになりたいわけではないのだと。


 直史にとってプロ野球というのは夢でも憧れでもなく、単に一つの職業であるだけだ。

 そして他の職種と比べて明らかなのが、任地を自分で選べないということだ。

 直史は関東圏から出るつもりはない。関東でも神奈川や埼玉はやはり行きたくない。

 かといって東京や千葉ならいいのかと言えばそれも違う。


 プロ入り後しばらくは寮生活となるらしいが、それを除いてもシーズンが始まれば半分は遠征である。

 野球選手の離婚の割合などはわりと少ないような気もするが、将来的に自分の人生を考えれば、プロは選択すべき職業ではない。

「弁護士になって大学とかの選手の代理人もする。それが一番稼げると思う」

 直史は人並以上には金が好きである。

 金があれば余裕をもって生活出来るし、子供の育児や教育にも、親の手だけではなくプロの手が使える。


 学生ではなく社会人となった場合、直史はとりあえず幸せになりたい。

 愛する人と家庭を築いて、安心出来る生活を送る。

 保守的な人間と自分では思っている直史は、それ以上の幸せは存在しないと思っている。

 本人は心の底からそれを口にもする直史に、時々瑞希は困ったような顔を見せるのであるが。

 佐藤直史という人間は、本人がどう考えようと、周囲が勝手に動き出してしまう人間なのだと思う。

 自分に出来るのは、それをサポートするだけ。




 画面の中では大介にインタビューがされていく。

 今年の最注目の新人。ドラフトではまさかの11球団競合となった選手。

 新人の中でも一際小さいが、期待は大きい。


『ライガースのユニフォームを着た今の気持ちをお聞かせください』

「ワールドカップを思い出して気持ちいいです」

 満面の笑顔で言っている。まあ白富東の金のかかっていない白無地は、確かに地味ではあるのだが。

 どうも質問の意図を少しずらして解釈していると思う。


『ご自身のセールスポイントは?』

「なんすかね。分からないです。まあ何かあるから獲ってくれたと思うんですけど。あ、体は頑丈です」

 おいおい。まあ確かに大介はなんでも出来るが、やはり長打力だろうに。

 それに体重が軽いので、怪我をしにくいというのは本当だ。


『ファンの方々にメッセージを』

「喜んでもらえるようなプレイをします」

 やっとまともな返事が出てきた。


『目標とするような選手は?』

「投手と野手の違いはありますけど、上杉さんですね。試合を決めるプレーヤーになりたいです」

 他球団の名前を出していいのだろうか。

 だが大介が上杉を意識しているのは、前からずっと公言していたことだ。


『するとプロで対戦したい選手も』

「やっぱり上杉さんですね。試合では結局一度も戦えませんでしたから」

 上杉か。

 大介が明らかにプロを目指すようになったのは、自分の力に自信がついたのと、あとは目標がしっかりとしたからだろう。

 そこがブレなければ、戦えるはずだ。


『趣味などはありますか?』

「これ何度も聞かれてるような。野球が趣味なんですけど、周りの影響で音楽も聴くようになりました」

 まあ大介は何度もインタビューを受けていたので、これは確かにそうなのだ。

 音楽を聞かせるのはイリヤとツインズである。大介はツインズから逃げることが多いが、実際はイリヤをもっと苦手にしている。

 イリヤも大介は苦手なのでお互いさまだが。もっとも嫌いあっているわけではない。


『好きなタイプ、タレントなどは』

「あ~、意識してそのへんは考えないようにしています」

 ツインズにとことん付きまとわれたことは、さすがにトラウマになっているらしい。

 ……下手に名前を出すと、ツインズが襲い掛かりそうであるし。


『目標と抱負をお願いします』

「まず怪我をしないことと、トリプルスリーのうち二つぐらいは取りたいですね」

 三割、30本、30盗塁か。

 大介の実力なら不可能ではないのかもしれないが、問題は使ってもらえるかどうかである。


 他にも様々な質問が飛ぶが、やはり大介への注目が一番強い。

 高校での数々の実績を考えても、あの体格で本当にプロで通用するのか、不思議に思う者はいるだろう。

 だが大介は二年の夏の前にはセイバーの伝手で既に、様々な化学的なアプローチから、プロで通用するフィジカルがあるかどうかを調べられている。

 その出力から間違いなく通用するとは太鼓判を押されていたが、なぜあの体格であのパフォーマンスが発揮できるかは、はっきり言って分からなかった。

 単純に言うと運動神経がいいということなのだが、脳の一部の動きが活発であるのだ。運動を司る部分であったか。


 道は分かれた。

 直史と大介が同じチームで戦うことも、違うチームで対戦することも、まずないだろう。

 あるとしたらWBCに選ばれたプロと大学選抜が壮行試合をするぐらいかとも思うが、直史はそういった試合には出る予定はない。

 契約書に書かれた直史の出場が義務付けられた試合は、春秋のリーグ戦と、二つの全国大会のみ。

 それと今後発足するかもしれない公式戦のみである。

 大学選抜などは選ばれれば名誉なことだろうが、直史にはとっては優先順位が低い。もし何かの試験と重なれば、そちらを優先していいとも約束してある。


 契約である。弁護士になるからには、しっかりと契約を結んでいる。

 直史は大学の野球部の成績となる大会には、年度に二度ほどの頻度しかない試験を受けるため以外では、優先して出場しなければいけない。

 だが大学の野球部とは別の大会などに、出場する義務は負わない。

 四回生になれば大学を優先し、野球部での活動は任意とする。

 あと根本的なことだが、大学四年間野球部に在籍しておくこと。ただしその学生生活は野球部より優先されることはない。


 直史は大学生活を、その後の社会人生活のための踏み台とは考えているが、同時にエンジョイするつもりもある。

 そもそも白富東も、強豪にしてはかなり余裕のあるスケジュールを組んでいたのだ。進学校だけに勉強の時間は取られなければいけない。

 短い時間でやることを集中してやり、基本的なことをたくさんして難しいことはあまりしない。

 ファインプレイは個人のセンスに任せて、ノーエラーを目指す。それが白富東であった。

 もっともそれで毎日500球ほどを投げるのが直史だったのだが。

 軽負荷の投げ込みを球数を多くこなし、全力の投げ込みはせいぜい十数球。

 それで結果が出たのだから、文句を言われる筋合いはない。

 コーチ陣も不思議な顔をしていたが、人間によって効果の出る練習とはそれぞれ違うのだ。


 それに真剣に法曹の仕事に就くつもりであれば、サークル活動は必須であると聞く。

「やっぱり民法か……」

「お客さんもずっとお世話してる人が多いから、民法必須ね」

 国家資格でも最高難度の試験対策。出来るだけ早く合格するには、それなりの勉強時間が必要なのだ。

 その前提となる大学入試の方は、いくつかの試験を受ければ直史も瑞希も大丈夫そうではある。

 勉強時々エロいこと。最後の高校生活の冬は過ぎていく。




 年が明けて一月。

 大介と岩崎はそれぞれ日は違うが、同じ行事に参加する。

 それぞれの所属球団の寮への入寮である。

 球団によってその年数は違うが、高卒は四年ほど、大卒社会人は家庭持ちでなければ二年ほどはそこに入ることになっている。

 岩崎は神奈川県の川崎市に、大介は兵庫県の西宮市に。

 寮の中にトレーニング施設があったり、二軍グラウンドも付属している球団がほとんどである。


 岩崎はともかく大介は、ちゃんと高校を卒業するために、冬休みの間に補習を受けることがあった。ついでに追試もだ。

 さすがに大介を留年させるのはまずいと思って、必死に勉強を教えてくれた先生方は泣いていい。

 他の三年生も、この時期になるともう自宅の学習か、学校でも完全に試験対策の勉強となる。

 そして同級生たちが受験へのラストスパートをかけている頃、プロ野球選手の雛たちは寮生活をスタートし、新人選手合同の自主トレが始まる。

 卒業式には帰ってくるが、それまではこのまま続いて、キャンプに合流である。


 野球部の三年はおおよそは推薦で大学は決まっているが、ごくわずかの例外は合格祈願で神社に一緒にお参りにいった。

 一二年は年明け四日から練習開始となり、奪われた覇権の奪回にかかる。

 もっとも肝心の甲子園の大優勝旗は、二つとも学校にあるわけだが。


 春にかけてこの冬で、一年の二人のピッチャーはかなり安定してきた。

 アレクと鬼塚も予選レベルなら通用するのであるが、やはり二年は武史が頭を抜いている。

 淳はスタミナをつけて九回を投げきる体を作り、トニーの方はフィールディングやセットからのクイックなどをしっかりと身につけるのだ。


 そして冬休みが終わり一月も下旬になった頃、いよいよ創設される体育科の中でも、特にスポーツ推薦の入試が行われる。

 露骨に野球部の戦力確保が目的であるが、これはあくまでも公立のスポーツ推薦で、野球部に入部する義務もない。

 体面というのは大切である。


 場所は野球部のグラウンドと校庭の二箇所で行われる。三年の進学が決まった部員が、授業中の一二年に代わって準備を手伝う。

 自分たちとは入れ替わりの新入部員とは言え、それなりに関心はあるのだ。

 その中には直史も混じっていた。

 つまり早稲谷の入試に合格していたのである。




「しっかし定員六名に対してこの数か……」

 ジンは呆れたように言う。おそらく40人ぐらいはいるだろうか。もう片方のグラウンドにも同じぐらいいるはずだ。

 今の野球部の一二年を足したよりも多い。

 これが面接と内申、そして実技試験で六人まで絞られるのか。

 確かに白富東は現在のコーチスタッフがいる残りの二年は、全国的に見ても高度な指導を受けることが出来る。

 だがそれでも、基本的に有望な選手は、超強豪に特待生で取られているはずなのだ。

「これを篩にかけるわけか。俺の能力じゃ受からないんじゃないか?」

 直史もそう言うが、確かに直史はフィジカルではなく、テクニックが優れた選手なのだ。

 試験内容は50m走、反復横飛び、ソフトボール投げ、立ち幅跳びの五つである。

 ハンドボール投げではなくソフトボール投げというのが、より野球部に近い。


 だが実際のところは、夏に行われた体験入部で、おおよそ目ぼしいところは決まっているのだ。

 もちろんその後に私立などから遅めの声をかけられた者もいるだろうが、千葉県の私立の大概よりは、白富東の方が強い。

 それに現在の戦力からいって、おそらく今年の夏の千葉は、白富東一強である。

 来年も甲子園のマウンドに立った淳とトニーがピッチャーとしているし、スタメンで出ていた孝司と哲平がいる。

 単に甲子園に連れて行ってもらうなら、白富東の野球部が望ましいのだろう。

 あと、学費が安いし、部費もそれほど高くないのが嬉しい。


 おおよそ20人ぐらいずつに分けて、それぞれの種目を測定していく。

 ちなみに見込みがあるのはAグループに集められているそうな。

 見逃さずにちゃんと見ておいてくれよ、という意図がありありと分かる。


 立ち幅跳びと50m走は校庭グラウンドで、ソフトボール投げと反復横飛びは野球部グラウンドで行われる。

 ジンも秦野から見せてもらった資料で、おおよその見当はついている。

 確かにこちらの野球部グラウンドで行われる方に、その有力選手の揃ったAグループがいる。

 野球部のユニフォームで試験を受けているのだが、名門のシニアなどの出身が多い。


 この試験で合格できるのは、野球が上手い選手ではなく、フィジカルエリートだ。

 はっきり言って直史の趣味ではないが、極端な話、身体能力が不足している者がテクニックで補うよりも、フィジカルに優れている者に技術を教えた方が早い。

 こう言ってはなんだが、白富東も分かりやすい強豪野球部になってしまうのかもしれない。

 このスポーツ推薦の基準では、直史もジンも、おそらくは合格出来ない。




 そして計測した限りでは、確かにその六人がトップレベルであった。

 遠投と反復横飛びは、どちらかだけならその六人に匹敵する者もいる。

 だが両方が高いレベルとなると、途端に少なくなるのだ。

 肩の強さにクイックネスの両方を持っている人間は、そうそういないのだろう。

「てか50m走入れてたら、ドカベンも落ちるよな」

「本気でまた全国制覇狙うなら、走塁だけのやつとか、打撃だけのやつとか一人ぐらいはほしいよね」

 たとえば一年の佐伯のように、全く打てないが終盤の守備固めには良さそうな選手。

 まあ佐伯は走塁もいいので、完全に一芸特化とは言えないが。


 やはり私立と違って、ほしい選手を獲得してくるスカウトが使えない公立は、どうしても不利なのだ。

 そして学校グラウンドの受験者と共に、授業を終えた一二年がやってくる。

「ちわっす。なんか手伝ってもらってるみたいで」

 結局いまだに金髪の鬼塚に、受験生の中ではびびっている者も……いない?


 そうなのである。別に鬼塚は見た目が怖いだけで、言ってしまえばその性格や素行などで有名だったのは既に二年も前のこと。

 現在の受験生が最も恐れているのは、別に試験をするわけでもなく、ユニフォームを着ているわけでもない、佐藤直史なのである。


 佐藤直史はレジェンドである。

 過去にも甲子園で、決勝でノーノーをしたり、再試合で先発して勝利した投手や、鬼のように三振を奪いながらもついには優勝出来なかった、悲運のエースなどもいた。

 だが直史はパーフェクトを二回、ルール上の問題でノーノーと判定されながらも、一方は優勝のマウンドで達成しているのだ。

 一試合に一点も取られないどころか、一試合に一本のヒットを打たれる程度という、三年間の公式戦の通算で、失点が10点程度のピッチャーなのだ。


 高校二年の夏、準決勝で大阪光陰を封じた直史は、その大会を通じて無失点であった。

 そして次のセンバツと夏、これまた無失点であった。

 地方大会では失点はあったが、他には坂本に打たれたホームランぐらい。

 つまりテレビで映っている試合では、ほとんどヒットすら打たれていないわけである。

 淳が、最後の一年の五ヶ月だけでも、同じチームでプレイしたいと思ったのは正しい。

 なにせ来年この学校に入ったとしても、既に野球部に直史はいないのだから。


 ただ代わりと言ってはなんだが、神宮大会準優勝のレギュラーたちが揃っている。

 一つ上の世代が引退した現在、武史は唯一の高校生で150kmが投げられるピッチャーである。

 練習中にひょんなことで150kmを投げるピッチャーはいるかもしれないが、公式戦で記録しているのはただ一人なのだ。

「どうすか? なんか向こうではえらいやつが一人いましたけど」

 そう声をかけてきた孝司の言葉は少し不思議であった。

 事前の情報によると、有望株はこちらに集まっているはずなのだ。

「向こうでか? いや、夏の体験入部で評価されてるのは、全員こっちに集まってるはずだけど」

 ジンとしても初耳である。

「ああ、なんか春に怪我して、最終学年で活躍できなかったらしいっすからね。それに元は東京のシニアにいたはずだし」

 孝司の話し方からすると、どうやら全国で見知った選手なのか。

 しかし体育科が出来たとは言っても、東京からの越境入学は出来ないはずなのだが。

「なんてやつだ?」

「水上ってやつですよ。俺らが最終年の時、あっちは二年で安打製造機とか、三塁ランナー絶対帰すマンとか言われてました」


 卒業した後のチームである。もちろん愛着はあるが他人事だ。

 しかし優れた選手に対する、野球選手としての興味は湧く。

 それにもし大学にまで上がってくるなら、ジンが四年生の時には一年生である。

 こなすだけの仕事に、わずかな楽しむが混じりはじめた。

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