勇者がいない世界におはようを

紅りんご

第1章 始まりの街におはようを

第1話 終わりは始まり


勇者がいない世界に今日も太陽は昇る。


『おはよう、Good morning、早安、Bonjour、Guten Morgen、Buenos Dias、Buongiorno、Bom dia、Goede morgen、Gunaydin、God morogon、καλιμερα σασ、안녕하세요、नमस्ते……それから後は……ええと、どれなら起きるかな。』


完璧な発音……だと思う。恐らく世界のおはよう、それが未だ覚醒に至っていない意識を揺り動かす。あぁ、きれいな声だ。出来ることならこの声を聴きながらもう一眠り、と言いたい所だが、声の主をこれ以上困らせるわけにはいかないだろう。


『おはようございます……。』


ふらふらと立ち上がり、挨拶を返す。周りは一面の花畑、視線を向けた先には絶世の美少女が椅子に座っていた。これまでの人生で見たことがない、まさに性癖ドストライク、これが運命、全身に電流が流れたと錯覚する程痺れた瞬間だった。


『やぁ、おはよう。そして初めまして。君には………ってきゃあっ!!』


『一目惚れしました。俺とお付き合いしてください!!』


美少女が何か言い始める前に身体が動いていた。俺は座る少女の手を握り、彼女の前に跪く。近付くとより美しさが際立つ。ロングの白髪と紅い瞳に尖った耳、軍服ワンピースの裾から覗く黒タイツとブーツがよく映える長い足が目の前にある。

理性よりも先に本能が愛の告白を叫ぶ。誰だってそうする、俺もそうする。何処かの兄貴の名言が頭を過ぎった辺りで冷たい目線の少女の顔が目に入る。


『……言いたいことは色々あるけど。レディに触れるならそれ相応の順序があるんじゃないかな?』


『……すみません。』


冷たい口調ではあるものの、美少女の顔が薄く赤く染まっている所を見ると、完全に脈無しという訳でも無いみたいだ。


『こほん。改めて言うよ。君には世界を救ってもらいたいんだ。』


『はい、はい!もちろん、やります。』


美少女からの頼みを断るか、いや断らない。それが例え世界を救うことだって………?


『世界を救う?』


『これから君を異世界に送る。そして世界を救ってもらう。ふふ、どうかな?』


『これは夢じゃ、ないんですよね。』


目の前の美少女に見惚れていて、現状を確認していなかった。改めて見ると辺りは一面の花畑、俺がゆったり寝ていたベッドの上ではない。


『夢じゃないし、現実だよ。君は物語とか読むかな?そこに、異世界へ召喚される勇者の話とかあったりしなかったかい?それが君だ。』


『確かにありますけど……。』


駄目だ。意識が醒めてくると現状への不安だけがつのってくる。すると、こちらの不安を読み取ったのか、少女が立ち上がる。それに釣られて俺も立ち上がる。身長は俺より少し低い、165cmくらいだろうか。


『君がいきなり召喚されて不安になるのも分かるとも。世界が救われた後は君が元いた世界に帰れるように全力を尽くすから、ひとまず私に力を貸してくれないかな。私にはもう助けてくれる人が居ないんだ。君が頼りなんだ、駄目………かな?』


『ぐっ……。』


美少女の上目遣い、顔が良い、語彙力を奪われるだけではなく、思考力さえ鈍ってくる。今なら、幸せになる壺さえ買ってしまいそうだ。これを意図的にやっているなら恐ろしい、悪魔だ。いや、悪魔でも良い。


『異世界に召喚される勇者にはチート能力、とか聞いたことないかい?それは私も用意してるんだ。ふふん。』


胸を張る彼女の可愛さに脳殺される。クール系かと思ったけど、意外に天然系なのか。まったくキャラが読めない。


『それは………私☆』


ピースと共にウインク。閉じた目に長いまつ毛、より整った顔立ちが強調される。こんな可愛い生命体が存在していいのか………いい。


『可愛い……。』


『……こほん。ちょっとふざけ過ぎたね。君の名前を教えてほしいな。』


『俺の名前は結城 桜です。』


『じゃあサクラ、私と一緒に来てくれるかい?それとも、元の世界に帰りたい………かい?』


家族はもういないし、高校はこの間卒業した所だ。いるのは、目の前で明らかに困っている美少女。こんな時、どうしたらいいか────俺は爺さんの言葉を思い出していた。

ある朝、家の離れにある道場で剣道着に身を包み、向かい合う俺と爺さん。


『桜、もし目の前で困っている人がいたらどうする?』


『えっ、助けるべきかどうか考える?』


爺さんが手に持っていた木刀を振る。首元に剣先が触れる。


『阿呆。たとえ誰であろうと全力で助けろ。それが嘘であったとしてもそれには理由がある。お前が全力で相手に向き合えばそれが伝わる。相手と心から理解し合うにはそれが必要だ。』


『……………分かったよ、爺さん。俺、頑張るわ。』


『それでこそ、儂の孫じゃ。サクラ、期待しておるからな。』


そう言うと爺さんは満足そうに頷いた。その顔が爺さんがいない今もまだ焼き付いている。


息を吸って、吐く。ゆっくりと精神を統一し、目の前の少女に向き合い、答えを口にする。


『いくよ、俺。君と一緒に異世界に。』


『いいのかい?本当に?………ありがと。』


少女は安心したように微笑んだ。俺はこの顔を生涯忘れない、そう感じさせられる笑顔だった。


『じゃあ、行くよ。時を超え、空を駆けるは我が魔法。此処は彼方、彼方は何処、果て無き未来へ我らを導かん…………!』


魔法陣が起動し、花びらが舞っていく。煌めく光で少女の髪はたなびき、真剣な横顔が垣間見える。先ほどからの頼み様、彼女にはきっとそれほど大切な理由がある。俺はそれを知るために異世界へ行く。


『最後に聞きたいこと、あるかな?』


一つだけある。彼女を知る為の初めの一歩。小さいようで大きな一歩。それを今、俺は踏み出す─────────────


『君の名前は?』


『私の名前はユリア。ユリア=エスポワール。よろしくね、サクラ。』


眩い光の中、彼女の名を聞いて、俺はこれから始まる冒険へ想いを馳せた。

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