第476話 2022年5月7日 軍隊と高校サッカー部
明け方かなり強く雨が降った。その後は高曇りというんだろうか、思いの外、空は明るい。何だか蒸し暑く感じる。昨日の予報ほど気温は下がらないようだ。少しでも気温差は少ない方が良いのだが、厄介な身体でちょっと頭がふらっとする。立ち眩みというか、何だか不安定な感じ。鬱陶しい。どうすりゃすっきりするんでしょうか?ちょっといらっとする。
高校サッカー部の暴力事件のことをネットで眺めていると、「軍隊」という言葉が浮かんでくる。
私は当然軍隊の経験はない。ただ軍隊のことを読んだり聞いたりした範囲でのイメージとぴったり重なる。
階級がかっちり決められていて逆らうことは規律違反。陰険で粗暴な上官が下のものを殴る蹴るして好きなように扱う。
富国強兵の国策の下、強い兵隊を作るために生まれたものが体育なんじゃないのだろうか。だから軍事教練と同じ思想で作られただろう。
国家存亡がかかっている。国のためというただ一つの目的のために強い兵隊を作る。そのためには殴ろうが蹴ろうがすべて正当なものとなる。
高校サッカー部も監督、コーチ、学生(上級生、下級生)という階級が絶対的にあり、勝利というたった一つの目的のために存在している。勝利のためには殴る蹴るも正当化される。軍隊そのものではないでしょうか?
第二次大戦の敗戦から約80年しか経っていない。軍隊と同じ思想の体育教師の系図は連綿として今に至っているだろう。敗戦時の教師を1代目とすれば今は4代目くらいなのかな?中々その考えは薄まらないだろう。
特に体育会系は上下関係が厳しく、その種目の中で閉ざされている閉鎖空間だから、軍隊的な考えが矯正される機会が少ないのではないかと思う。
親たちだって勝利のためには暴力を容認する人間は結構いるんじゃなかろうか。
本来教育って人間の可能性を拡げるためのもの、生きる自由度を高めるためのものだろうと思う。色々な教科、スポーツ、芸術に触れていくことが重要なんじゃないだろうか。
人間生きている中で様々なことにぶつかる。その時に、学校時代に幽かでも触れたことがあるものが多ければ多いほど対処する手掛かりが得られる。これは自分の経験からそう思う。
1つの競技の閉鎖空間、さらに軍隊組織の閉鎖空間に学生を閉じ込めることは、その人間の可能性、自由度を著しく阻害するように思える。これって教育なんでしょうか?
教員も保護者も「勝つ」のが大好きな人たちが大勢いるんだろう。
勝負事が好きで、上下関係が厳しく、暴力も厭わない。これって?怖い怖い。
今朝も血圧高い。123、88。今も少しふらっとする。もう少し何とかならないかな。この身体も世の中も。
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