『フランケンシュタイン』雑感

2021/09/06、メアリー・シェリーの

『フランケンシュタイン』(新潮社)を読了しました。

怪物の、「おれは、何者なんだ!」

という悲痛な叫びには、心が痛みます。


科学によって醜い身体に魂が宿ってしまった怪物は、

外見ゆえに人から忌み嫌われ、排除される。

科学で人を創るのは、許されるのかという話なんでしょうが……


『これって、キリスト教的じゃない?

だって、この「神をもおそれぬ人間の驕り」というテーマは、

古くは旧約聖書の「バベルの塔」の話からあるテーマで、

自分ならなんでもできると思った人類に、

神が鉄槌を下すのが聖書のパターン。

フランケンシュタインは、ネタバレですが、

怪物の創造主の絶望ゆえの死により、

怪物が自殺を決めるのがラストになってます。


現実を振り返ってみると

いままで人類は、動物に対して、長い時間をかけて

もとの種とは似ても似つかぬ姿に改造してきた経緯があります。

猫のスフィンクスとか、犬のチワワとか。

人間がいなければ生きていけない、豚や牛、鶏とか。

人間が、動物に行ってきたことが許されるなら

なぜ、人間に対して遺伝子改造をやっちゃいけないのか――』。


と、問いかけるサイトを見つけた(w

人間の改造。どういうことなんでしょうか。

どう改造するのか基準がわからんし。

へたしたらナチスの思想じゃない?

自分の種族が優れている。

ほかの劣等種族は、滅ぼすべき。

では、なぜほかの種族が劣等種族なのか、

ナチスのその基準は客観的なものじゃなかった。


改造の基準はなんだろう。

遺伝子的に優位なものが残っていく、

それが自然の摂理だと人は言う。

でも、それなら両生類・爬虫類など

環境の変化についていけない種族は

なぜ、生き残って来られたのか

わたしにはわからない。


だって、恐竜がほろんだのは

環境の変化があったからでしょ。

今いる両生類・爬虫類は、その頃だっていたはずだ。

恐竜だけ死んで、ほかのは生きてる。

矛盾じゃなかろうか。


進化論とか優性思想とか、生命工学とか、

いろんなことがごちゃごちゃになって、

なにがなんだかワケわからないのが

現代日本の現状なんだけど

だれも疑問に思わなくて、

ただひたすら、「生命を人間がいじるのは生命倫理に反する」

倫理って、なにを基準にしているの。

そもそも、その倫理って、どういう内容なの。

だれが決めたの。

どうやって決まったの。

日本が民主主義なら、説明してよ。


だって西洋の倫理って、わけわからんもん。

核兵器が倫理に反するって口を酸っぱくして言っても

ぜったい放棄しない。

人間が人間を残虐に殺すことが許されて

人間が人間の命を救うために生命をいじろうとすると

「倫理に反する」ってどういうことなの。


まあ、こういうわたしの疑問も、

さして新しい視点でもなかったな、

書いてて時間のムダだった。

時間のムダでも、思ったことは発表した方がいいので

とりあえず、ここに書いといた今日のわたしでした。












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