決着
マリアンナは暗闇の中にいた。身体が鉛のように重く、指一本動かす事ができなかった。マリアンナの頬を小さな手がペタペタ触っている。せんせい、せんせい。消え入りそうな子供の声、誰の声だろう。舌ったらずな泣きそうな声。そうだこの声は、
「アイシャ!」
マリアンナは鉛のように重い身体にむち打ちながら、勢いよく飛び起きた。目の前にはびっくりして目をまんまるに開いたアイシャがいた。マリアンナはアイシャの頭から顔から身体をべたべた触り、彼女に怪我がないかつぶさに確認した。そして目に見える怪我がない事がわかると、胸にかき抱いた。
「ああ、アイシャ、よかった無事で」
「せんせい、せんせいは?どこか痛いとこない?」
アイシャはワァワァ泣きながらマリアンナの胸に顔を擦りつけながら聞いた。マリアンナは、頭がガンガンして、内臓がかき回されたように気持ち悪く、今にも吐きそうだったが、アイシャに心配をかけないように笑って答えた。
「ああ、何ともない。アイシャが治してくれたのか?ありがとう」
「あたしじゃ間に合わなかったの。シロちゃんが助けてくれたの」
「シロちゃん?」
アイシャはマリアンナの胸から目を横に向けた。アイシャの視線にマリアンナもつられてそちらを見た。そこでマリアンナは初めて見知らぬ霊獣がいる事に気づいた。その霊獣は美しい白虎だった。マリアンナは霊獣語で、あなたは誰ですかと聞いた。すると驚いた事に白虎の霊獣は人間の言葉で返したのだ。
「これ女、名を尋ねるならば自分から名乗るのが礼儀であろう」
霊獣は霊格が高くなると人間の言葉を話す事ができるのだ。この霊獣はとても位が高いようだ。マリアンナは慌てて人間の言葉で返す。
「申し訳ありません。私は召喚士養成学校の教師、マリアンナと申します」
「うむ、マリアンナ。わしは
「バ?フ?」
マリアンナは異国の言葉を聞き取る事ができなかった。申し訳なく思っていると、アイシャがマリアンナの服を引っ張りながら言った。
「先生、シロちゃんだよ」
「おお、シロちゃん殿、助けていただきありがとうございました」
「・・・、お主ら似た者師弟だの。まあよいわ。アイシャの
「時間を止める?」
時間を操る魔法。このシロちゃんは実はとてつもなくすごい霊獣なのかも知れない。マリアンナは怪我をしていたであろう自身の右脇腹を見た。マリアンナのワンピースのドレスは無残にも破けて、傷が深かった事がうかがえる。だがマリアンナの肌は傷一つついていなかった。アイシャの
「ところでマリアンナ、お主の召喚霊獣が暴れておるぞ」
シロちゃんの言葉に、マリアンナははたと気づく。今は戦いの最中だった。マリアンナは自身の召喚霊獣、スノードラゴンを見やると、スノードラゴンは敵味方構わずメチャクチャに氷の刃を放っていた。ケルベロス とサイの霊獣は防御魔法で自身と召喚士を守っていたが、獣人たちはいきなりスノードラゴンが暴れ出した事について行けず、逃げまどっていた。広い王の間はスノードラゴンの氷の刃で傷つき今にも崩れそうだ、マリアンナはたまらず大声でスノードラゴンを呼んだ。
「スノウ!やめて!お城が壊れちゃう」
マリアンナの言葉に、スノードラゴンが反応する。死んだと思っていたマリアンナが生きていたとわかると、マリアンナのところに飛んで来ようとする。巨大なスノードラゴンが城内で飛んだら、壊れかけの城が崩壊してしまう。
「スノウ!私が行くから待機!」
マリアンナはスノードラゴンの側に駆けよろうとするが、走る事はおろか立ち上がる事すらできなかった。シロちゃんがため息をつく。
「仕方ないのぉ」
シロちゃんは呪文も唱えずに魔法を使い、マリアンナを空中に浮かし、自身の背中に乗せてくれた。シロちゃんの背中はフワフワして心地よかった。
「シロちゃん殿かたじけない」
マリアンナは礼を言うが、シロちゃんは少し機嫌が悪そうだ。もしかしたらシロちゃんはあまり人間と関わりたくないのかもしれない。アイシャはドロシーを抱き上げてついてくる。スノードラゴンはマリアンナが近づくと嬉しそうに咆哮を上げる。だがシロちゃんをみとめるとスノードラゴンはこうべを垂れ、服従の姿勢をとったのだ。
マリアンナはスノードラゴンと契約して、スノードラゴンのこのような態度を初めて見た。霊獣は
「久しいのぉ、
「その名で呼ぶな老いぼれ」
マリアンナもケルベロスの霊獣の位は予想していたが、やはり人間の言葉を操る事ができるようだ。
「老婆心ながら忠告してやる。職務をほったらかして人間の子供にうつつを抜かすなど、ありえん事だ」
「貴様はどうなのだ。人間の世界に干渉するのを嫌悪していたくせに」
「アイシャはわしの養い子の恩人なのじゃ。どうじゃこの場はわしに免じて収めてくれぬか?」
マリアンナはゆっくりと息を吐いた。マリアンナたちだけではどうにもならなかった状況が、シロちゃんの登場によって大きく好転しようとしている。だが異を唱える声が上がった。それは今まで沈黙していた少年王だった。
「ふざけんな!引きさがれるわけねぇだろ!アーテルをこんな目にあわせやがって、皆殺しだ、お前ら全員殺してやる!」
「テムジン!」
いきどおる少年王に、ケルベロスは鋭い声でたしなめた。テムジンと呼ばれた少年は見るからにしょげてうなだれた。ケルベロスはもう一度少年を呼んだ、今度は優しい声で。少年は、緩慢な動作でケルベロスの大きな前脚に抱きつくと顔をうずめた。
それを見たシロちゃんは目を丸くして、よくなついてるのぉ。と小さな声で言った。この声が聞こえたのは、背中に乗っているマリアンナだけだった。シロちゃんちゃんはどうも子供に弱いらしい。シロちゃんは態度を軟化させ、穏やかに言った。
「のぉ、
シロちゃんの言葉にテムジンは、ハッとしてケルベロスを見上げる。だがケルベロスはシロちゃんに対する警戒とかず、かたくななままだった。
「老いぼれの情けなど受けん。この場は見逃してやる。即刻立ち去れ」
シロちゃんはため息をつくとすみに固まって様子を見ていた獣人たちに目を向け、声をかけた。
「これ獣人たち、お前たちも共に来るのじゃ」
狼の姿の獣人たちはお互いに顔を見合わせてから、シドたちの事を呼ぶアイシャの側に近づいて来た。マリアンナは事態が収拾した事にホッとして意識を失いそうになったが、今ここで倒れるわけにはいかず、下唇を噛んで耐えた。
宰相のグレイグの言葉通り、シンドリアの使者は地下牢にいた。衰弱してはいたが命に別状なさそうだった。ギガルドの城の外に出るとシロちゃんは獣人のシドに人型をとらせ、マリアンナを抱き上げさせた。マリアンナは全裸の美青年なシドにお姫さま抱っこされるのは恥ずかしくて屈辱だったが、自分で立つ事もできないので何も言わなかった。シロちゃんはアイシャと、胸に抱いたドロシーに話しかけた。
「ではな
ドロシーはシロちゃんの顔に鼻を擦りつけてゴロゴロ鳴いた。
「シロちゃんありがとう」
アイシャもシロちゃんの首に抱きつくと、顔を擦りつけた。心なしかシロちゃんも喉をゴロゴロさせている。
「アイシャ、ドロシーの事を頼んだぞ。ドロシーに何かあればすぐに駆けつけるぞ。いや、もし昼寝していたら遅れるかもしれんが。ではさらばじゃ」
それだけ言うとシロちゃんはフッと姿を消した。マリアンナは城を出るまで帰らせていたスノードラゴンを再び召喚し、マリアンナとアイシャ、獣人四人に使者という大所帯をスノードラゴンの背に乗せ、シンドリア国に向けて飛び立った。
途中アイシャがシドたちのために持ってきた、衣服の入ったリュクッサックを取りに行った。リュクッサックはギガルド国の国境近くの洞穴に隠されていた。獣人たちは皆人型をとり、アイシャから手渡された服を着る事になった。シュラはシャツとズボンを素早く着付けて、リクやミナが服を着るのを手伝っていた。シュラはギガルド国に囚われる前は、普段から衣服を着る生活をしていたのかもしれない。だがギガルド国での暮らしは人権を無視されたものだったろう。さぞ屈辱だったに違いない。
リクとミナはメアリーの服を借りてきたようで、愛らしいミナには、メアリーのドレスがよく似合っていた。だが、リクも服を着れば少女といってもおかしくないくらいの美少年だったので、メアリーのドレスがこれまたよく似合っていた。獣人は武力として所有される事が多いが、もう一つ容姿の美しさもあって欲しがる人間が多いのだ。
シュラは優しげな風貌の美青年だ。マリアンナは昔の恋人のイアンに面差しが似ている事に思いいたり気分が悪くなった。シドは甘いルックスのシュラとは反対に鋭さのあるハンサムだ。シドはズボンははいたもののシャツのボタンをとめる事ができず開いたままにしていた。全裸でいるよりずっとマシだ。ミナは綺麗な服が嬉しいのかクルクル回って、ドレスをはためかせていた。
「ねぇ、シュラ私綺麗?」
「ああとってと綺麗だ。まるでお姫さまみたいだ」
「ホント?!私お姫さま?」
ミナはきゃらきゃら笑ってシュラに抱きついた。リクもかまってほしそうにシュラに聞く。
「シュラ、オイラは?オイラは?」
「・・・。ああリクもお姫さまみたいだ」
「オイラおしめさま?シュラおしめさまって何?」
リクもシュラに抱きついた。シュラは二人を軽々と持ち上げ、微笑んでいる。この獣人の子供たちは過酷な環境下で育てられたのにもかかわらず、健全な心を育んでいる。それはきっとシュラという獣人の教育のたまものなのだろう。シドがボタンをとめるのをあきらめ、シュラたちに近づく。シドは手を伸ばしたリクをシュラから受け取り、抱きしめる。リクは嬉しそうにシドに頬をすり寄せた。
獣人たちはとてもお互いを大切にしているのだ。この獣人たちがシンドリア国で幸せに暮らしてほしいとマリアンナは願った。だが獣人はどの国も欲しがる戦闘兵器だ。シンドリア国が獣人の存在を知ったら、また彼らは血みどろの生活になってしまうのではないか。マリアンナはその事が心配だった。
マリアンナはシンドリア国の召喚士養成学校の寮に着くと、まずは獣人たちを風呂に入れた。そして学食で腹一杯食事をとらせた。獣人たちはこんな美味いもの初めて食べたと涙を浮かべながら感激していた。料理じたいは大したものではない、学生たちの夕食の残りなのに、マリアンナは胸が痛くなった。
獣人の男三人は学生のいない部屋に押し込んで、ミナは女の子なので一緒にさせられないので、アイシャのベッドで寝かせるようにした。アイシャと同室のメアリーは綺麗好きで、猫のドロシーの抜け毛に眉をひそめているのに、狼のミナまでいたらさぞストレスだと思うがしばらくは我慢してもらおう。
マリアンナは最後に学校長に事の顛末を報告してから、やっと自室に戻る事ができた。アイシャが
「まったく、心配かけおって。このじゃじゃ馬が」
マリアンナはたくましい男に抱きとめられていた。マリアンナは微笑んで言った。
「心配かけてごめんなさい、スノウ」
この男は、マリアンナの召喚霊獣であるスノードラゴンが人間に化けた姿なのだ。身長がニメートールほどもある美丈夫な男だ。マリアンナは安心してスノードラゴンにすり寄る。スノードラゴンは心得たようにマリアンナを抱き上げ、横抱きにした。
マリアンナの自室の扉はスノードラゴンの魔法で、音もなく開き、スノードラゴンは丁寧にマリアンナをベッドに横たえた。スノードラゴンはマリアンナをベッドに寝かせると、すぐに部屋を出て行こうとしたが、マリアンナがスノードラゴンの手を離さなかった。スノードラゴンは困ったような、少し嬉しそうな顔で、ベッドの横の椅子に腰掛けた。そしてマリアンナの頭を優しく撫でながら言った。
「眠るまでだぞ、おやすみマリー」
マリアンナは安心して目を閉じた。
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