第9話 エン 3

 敵前に戻ったおじいさんは、最初にコカトリスに跨ったソモを足止めしようと試みた。

 しかし、それをジアンが阻止する。


「追え、ソモ!

 ガキ共を逃がすな!」


 おじいさんの脇を、ソモの跨ったコカトリスが疾風のごとく駆け抜ける。


「カグヤ、急げ!

 急いで、逃げろっ!」




 カグヤ、チヨ、エンの3人は、池沿いの道を、必死に駆ける。


 追いかけるソモとコカトリスは、その距離をどんどん狭めていく。



 チヨが足を止めた。


「チヨっ!」


「少しでも、足止めして、時間を稼ぐっス。

 お嬢は、そのまま行っちゃってください!」



 チヨは、カグヤにサムズアップをきめるとソモに向き直り駆け出す。


「チヨ、参る!」


「邪魔をするなっ!」


 ソモの放った風の刃が、チヨを襲う。


 チヨは、顔の前面に両腕を構えガードするが、風の刃は、チヨの腕や足、ほほを容赦なく切り刻み、傷口から噴き出した鮮血が辺りを染める。



 しかし、チヨは、少しもひるまない。


「行かせない・・・っス」



 コカトリスは、そんなチヨに突進する。


 チヨは、なんとかソモとコカトリスの行く手を阻もうとする。

 が、チヨの小さな体では、コカトリスの突進を到底押し止めることなどできるはずもない。コカトリスに大きく跳ね飛ばされたチヨは、ぼちゃんと池に転落していった。



 跳ね飛ばしたチヨを気に掛けることもなく、コカトリスはカグヤに向かって疾走する。



 そして、カグヤとの距離を十分詰めた後、コカトリスは、カグヤに石化の魔眼の視線を通した。



「危ない!」


 エンに突き飛ばされ、カグヤは地面に転倒する。



 いけない・・・。

 転倒したはずみに炊飯器が手を離れてしまっていた。


 それを掴もうと倒れたまま、カグヤは手を伸ばす。


 しかし、その手が炊飯器に届く前に、カグヤは大きな影に覆れていた。

 炊飯器のすぐ向こうにはソモとコカトリスが立ちはだかっていた。






―――― 一生吹池、磐座近く


 ジアンの刀から三連撃が繰り出される。


 おじいさんは、竹銃槍を操り、その全てを弾き返す。


 さらに連撃。

 これも、難なくいなすと、ジアンの攻撃の終を見切り、諸手の突きを繰り出す。


 ジアンは、大きく後退し、諸手付きの間合いの外に逃れると魔法攻撃の詠唱に入る。


 そうはさせじと、おじいさんは、竹銃槍のトリガーを引き、拡散撃砲を放つ。


 たまらず、ジアンは、詠唱を中断。

 さらに後方に大きく跳躍し、磐座の上に降り立つ。


 再び詠唱に入ろうとするジアン。


 おじいさんは、左手のブレスレットを外し、ジアンに向かって投げつける。


 ブレスレットは、大きな刃と化し、磐座の上のジアンを襲う。


 ジアンは、磐座から転げ落ちるようにこれを避ける。


 ブレスレットは磐座を真っ二つに切断すると、進路を変え、おじいさんの手元に戻っていった。


 態勢を立て直そうと片膝を立てるジアン。


 その後方、池の中から、大きな緑色の光の柱が立ち上がった。


 「ようやく、封印が解けたか・・・・」


 これで勝ったとばかりに笑みを浮かべるジアン。


 次第に緑色の光の柱が弱まり、甲羅に蛇が巻き付いている大きな亀『玄武』が姿を表した。


 無理に封印を解いたせいか、玄武の手足は切り裂かれたかのようないくつもの傷があり、赤い血が池に滴り落ちている。


 しまった・・・・と表情を崩すおじいさん。


 さっさとケリを付けて、カグヤのもとに駆けつけようと考えていたのに。

 ここで、封印が解けてしまうとは・・・・。


「まもなく、朱雀も取り戻せる。じいさん、もはや貴様らに勝ち目はな・・・・い・・・・?」


 玄武を背におじいさんに向かい、降伏を勧告していたジアンは、まさかという表情で後ろを振り返る。


 ジアンの右肩から袈裟懸けに、玄武の甲羅に巻き付く蛇が噛みついていたのだ。


「お・・・・」


 そして、つぎの一言を発するよりはやく、ジアンの上半身は、玄武の蛇に噛み砕かれていた。





―――― エンの家に向かう池沿いの道


「ぐっ・・・・」


 炊飯器の目前で、ソモとコカトリスは、拘束呪文に捕縛され身動きできなくなっていた。



「カグヤちゃん、お待たせしたわね。」


 マサキが、ソモとカグヤの間に割って入る。


「もう大丈夫よ」



 すると、突然、池から緑色の光の柱がたち、その中から玄武が姿を表した。


 一瞬、そちらに気を取られるマサキ。


 その隙をつき、ソモは、拘束呪文を解き、炊飯器に手を伸ばす。


 マサキは、風撃を放ち、それを阻止、ソモは、コカトリスを後退させ、マサキと距離を取った。



 玄武の封印が解けた以上、こちらの勝利は揺るがない、ここは、じっくり攻めて・・・・とソモは考える。



 しかし、事態は、予想外の方向に展開した。

 ジアンが、玄武に襲われ倒されてしまったのだ。



 封印は解くことができたが、暴走している?

 玄武が制御できおらず、ジアンも倒されてしまった以上、このままここに留まり続けることは危険に感じる。



 ソモは意を決し、コカトリスを駆り、炊飯器に突進する。


 ソモとコカトリスは、マサキの放つ風撃をいくつも被弾しながらも、それらに耐え、炊飯器を拾い上げると大きく反転し、森の中に姿を消していった。




「逃げられちゃいましたか・・・・」


マサキは、カグヤの方に向き直る。


「カグヤちゃん、ひとまずは、あんし・・・ん?」



マサキの視線の先で、カグヤは、呆然と立ち尽くしていた。


カグヤの目は、一点を見つめている。

けれども、その焦点は全く定まっていない。



「カグヤ・・・・ちゃん?」


 カグヤの視線の先には、エンの姿があった。


 石化したエンの姿が。


 カグヤを庇ったときだろう。

 エンは、コカトリスの魔眼の視線に毒されてしまったのだ。






―――― 一生吹池、磐座近く


 ジアンを倒したあと、玄武は、池から出ることができず、もがいている。


 さて、どうしたものかと、おじいさんは玄武を見上げる。


 すると、いつの間に移動していたのか、おばあさんが池の中から這い出してきた。


 手には、封印解除の緑色の魔石がぶら下げられている。


「じいさん、あとは、まかした・・・・」



 おばあさんは、疲れて冷えた体を投げ出し、岸辺にごろんと寝転がる。



 おじいさんは、封印の呪文を唱え、はっと右手を玄武に向ける。


 右手から放たれた白い光は、玄武を大きく包むと、次第に収束し、池の中へと消えていった。




「ばあさん、チヨは?」


「池の中。

 水の中のほうが、チヨには安全、安心だもの」


「そうか・・・・。

 それにしても、今回も、たくさん玄武の血が流れたなぁ・・・・」


「ああ、前回同様、たっぷりと池の中にねぇ・・・・」


「まぁ、毒ではないからいいんだが・・・・」



 5年前の襲撃では、封印の魔法陣を施したこの池に玄武を誘い込み、なんとか封印することができた。


 その際の激闘で、玄武はたくさんの血を流し、その血は、一生吹池の水に溶け込んでいった。



 一生吹池の水は、村の生活に深く関わっており、飲用や食事に使われていたが、玄武の血に毒はないとされていたため、その時は、特に問題ともされず、なんの処置もされないまま使用することになった。



 実際、玄武の血には、毒はなかった。


 しかし、なんの影響もなかったわけではない。



 どうやら、玄武の血には、浄血作用、美肌作用、肥満予防、痴呆改善に加え、非常に強力な滋養強壮・精力増強があったようで、玄武の血を含む池の水を飲用していた村に一大ベビーブームが到来した。



 ジュン、コウ、キン達の学年の子供達の数が異常に多いのはその影響による。



「玄武は、蛇と亀の神獣だからなぁ・・・・」


「その血は、マムシやスッポンの血以上の効能があるんだろうねぇ・・・・」


「いずれにしても・・・・」


「また、たくさん子供が生まれるねぇ・・・・」



 まあ、村の人口が増えるのは、喜ばしいことではあるが、学校や病院などの増築をはじめないといけないだろう。



 しばらく身体を休めたあと、おじいさんとおばあさんは、カグヤとマサキのもとに移動した。



 カグヤは、マサキにすがりつき、どうしよう、どうしようと泣きじゃくっていた。


おばあさんは、カグヤを抱き寄せ、優しくさとす。


「大丈夫よ、カグヤ。

 呪いは、いつかきっと解けるわ。

 いつかきっと・・・・ね」






―――― そして、現在。

     一生吹池 一瀬川河口 ジュンの家


 朝。


 コン、コン。

 2つノックをして、部屋に入る。


 ベッドの横の小さな机の上にフルーツパウンドケーキが4個。

 昨日のままだ。


 いつものように3歩進んで、カーテンを開ける。

 部屋の中が朝の光で満たされる。


「姉さん、今日も、良い日ね。」


 返事はない。


 窓から振り返る。


 そして、部屋の片隅、少し陰になったベットに歩み寄ると、ジュンは、そこに腰を下ろした。


 ベットの上には、石化したジュンの姉エンが横たわる。


 石化したエンの姿を見ていると、今にも動き始めるんじゃないか、そんな錯覚を覚える。


 ベットの上で眠る姉エンにそっと手を伸ばし、そのほほに触れてみた。


 生きている暖かさのない、無機質で、冷たい感触。

 時の流れに置いて行かれた、無慈悲で、冷たい感触。


 あれから、もう5年。


 姉さんの時は、止まったままだ。


 今でも、時折思いだす。

 あの日のカグヤの姿。


 姉さんが石化したあの日、両親と私が、村から家に帰ってくると、カグヤは、家の人と一緒に門の前に立っていた。


 辺りはすっかり暗くなっていて、すでに相手の表情を読み取れるような明るさではなかったけれど、それでも、カグヤが俯いたまま、大粒の涙を流し続けているのが十分わかった。


 私たちに気が付くと、カグヤはふらつきながら、駆け寄ってきて、ごめんなさい、ごめんなさいと何度か頭を下げた。


 状況が理解できず、まごまごする私たちに、涙をながしなから、時々しゃくりあげながら、カグヤは、きっと顔を上げて、たどたどしいけれど、しっかりと自分の言葉で、今日、姉のエンと遊んでいたこと、そうしたら、大きな鳥をつれた人たちに襲われたこと、エンが自分をかばって魔獣の呪いを受けて石になってしまったことを告げた。


 姉さんが、呪いを受けて石化?

 

 信じられないという思いと、信じたくないという思いが頭の中でグルグル回って、気が付くと私は、両親の元から駆け出していた。

 家に駆け上がり、姉さんの部屋に飛び込んだ。


「ねえさんっ……!」


 そう叫んだ以外のことは、あまり覚えていない。


 しばらくの間、私は、ただ呆然と日々を過ごしていたらしい。


 私が落ち着いたころを見計らって、両親は、あの日あったことを私に話してくれた。


 それから、歩いて池の磐座まで行き、両親から聞いた話を自分の目で確かめてみた。


 真っ二つに割れた磐座。

 それをみて、姉が、とんでもない事件に巻き込まれんだと実感した。


 家に帰って、石化した姉と改めて対面した。

 その姿は、とてもショッキングで、正直、見なかったこと、無かったことにしてしまいたいと思った。


 そして、すぐに、あのカグヤという子の姿が思い出されてきた。


 あの子、ものすごく泣いていたな・・・・。


 彼女も、巻き込まれたのだ。

 姉と同じように、彼女も石に変えられていたかもしれない。

 さぞや怖い目にあったのだろう。


 でも、彼女は、その恐怖から涙を流していたのではなかった。。

 姉を守れなかったこと、姉を石に変えられたことに責任を感じて、涙を流していたのだ。

 

 どうして、責任など感じてしまうのだろう。

 姉が石に変えられた責任を彼女に問い詰めるものなど一人もいないだろう。

 彼女も被害者の一人なのだ。


 もちろん自分も、彼女に非があったなどとは、微塵も思わない。

 むしろ、彼女がかわいそうだと思う。

 痛々しいとさえ思う。


 彼女は、なぜすべてを一人で背負い込もうとするのだろう。



 姉が石化した日以降、頻繁に、カグヤは、チヨといっしょに姉に会いに家に来るようになった。


 家に来ては、その日あったことをエンに話しかけていた。


 どこで知ったのか、姉の好きだったフルーツパウンドケーキを持ってくるようにもなっていた。


 最初のうちは、家族のだれもが戸惑いをもってカグヤを迎えていた。

 理屈では、姉の石化は、カグヤの責任ではないことは十分理解していた。

 しかし、感情面では、正直な話、少なからずどこか恨めしい気持ちがあったのも事実だ。


 多分、カグヤもそれを感じ取っていただろう。


 けれど、カグヤは、めげずに我が家にやってきた。


 そして、いつもエンに話しかけ続けていた。


 やがて、その姿は、私たち家族に、忘れかけていた微笑みをとり戻させてくれた。

 私たち家族に、活力を与えてくれた。


 感謝しかない。

 出会いは、きわめて不幸な出来事からだった。

 けれど、それでも、カグヤは、姉に寄り添い続けてくれている。

 私たち家族も、その姿に、支えられ、救われた。



 あれから、5年たった。

 カグヤは、相も変わらず姉に会いにきてくれている。


 けれど、もういいのではないかとも思う。

 カグヤの人生を、元に戻してあげても。

 姉のことは、忘れてしまっていい。

 カグヤは、カグヤの幸福に生きるべきなのだ。



「いってきます。」

 今日もいつもと同じように家を出て、学校に向かう。


 小学校に向かう池沿いの道。

 道端の雑草も、ずいぶん大きく育っている。


 風に池がさざめき、キラキラと陽の光を反射する。

 草が頭を振るように揺らぎ、ざあっと音を立てる。


 二つに割れた磐座は、あの後、すぐに修復された。

 遠目には、二つに割れたことがあるようには見えない。


 私たちは、元に戻ることができるのだろうか・・・・?


 堤防沿いの道を逸れ、山道に入る。

 キンケイギクの花もずいぶん少なくなってしまった。

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