第5話

 感覚が戻ってくる。水面に浮上するようにゆっくりと。

 地面の感触がした。冷たい空気の肌を刺す感覚がした。馴染んだ自分の身体にすっぽりと嵌るように、意識がくっつき合わさった。

 トビーは、元の身体に戻ってきた。


「……あ、帰ってきた、ゴフ?」

 目を開けば、映るのは地面。どうやらうつ伏せで倒れているようで、砂利が口の中に入っていた。ぺっぺっと吐き出して、それから起き上がろうとする。

 認識と現実の誤差があるように、身体が上手く動かない。別の何かを操作しているような感じで、無理に命令してトビーは体を起こした。


 身体を封じていた縄は消えていた。だが、トビーはそれに気づかない。あまりにも長い時間を別のどこかで過ごしていた為に、元の状態がどうであったかなど記憶に残っていなかった。

 それでも、忘れていない事はある。

 目の前にいるはずの、勇者。紗利奈だ。


「なんで……どうして、生きてるの」

 トビーが視線を向けると、勇者は口をぽかんと開けて目を見開いていた。ありえない、嘘、と何度も繰り返し、目の前の事実を受け入れられていない。


「戻ってきたゴフか。……すごく、長かった気がするゴフ」

 手を握ったり開いたりして、トビーは自分の身体を自身だと確かめる。問題は無さそうだった。今すぐに動けといわれても難しいが、不調ではない。

 そうして自己の確認を終えると、トビーは勇者に向けて言う。


「全部、見たゴフ」

 それだけ。たったそれだけの一言を、トビーは勇者に伝える。

 分かっているのだろう、勇者は無駄な事を聞かずに答えた。


「なんで、心が壊れてないの。神呪正義を護る守護者ですら崩壊した記憶なのに、なんでゴブリンが耐えられるの……?」

 それに対し、トビーは少し考えてから言う。

「多分、オレも繰り返しをしてたからゴフ。何度も死んだし、どうしようって悩んだゴフ。勇者、お前も見たんじゃないゴフか? オレの記憶を、ゴフ」


 それは、ただの直感だった。トビーがふと思っただけの、証拠も無い勘。

 けれどその言葉に、勇者は躊躇いがちに頷いた。


「見た。あの最後、魔力の循環で私にも記憶のラインが作られて、それで見させられた。ホントに、馬鹿みたいな記憶だった」

 勇者は、言葉を続ける。

「意味分かんない。なんで、繰り返しをしてるのにあんなに楽しそうに暮らしてたの!? それに女の子が出て来すぎだし、ベルとティアどっちも良い子だし、ゴブリンなんかを好きになっちゃってるし、見てる私の気持ち考えてよ! 大体ね、お前は死にすぎなの。私だってあそこまで死んでない!」


 突然、勇者が語気を荒くする。言葉だけではない、その感情が、露わになる。急に怒られたトビーは、負けじと言い返した。

「死ぬのは当たり前ゴフ! オレはお前と違って自分から繰り返しが出来ないゴフ!! お前こそ、攻略本に頼りすぎゴフ! もっと他の人に頼るのを考えろゴフ! 弱いやつは誰かと一緒になって戦うのが当然ゴフ!」


 勇者の記憶は、一人だけの記憶だった。誰かの助力に頼る事はなく、ただ一人だけで突き進むだけの計画された道筋。

 トビーには理解のできない事だ。力が無いゴブリンは協力して狩りを行う。自分だけでは出来ない事は、誰かと一緒に行うのが当然なのだ。


 そんな事を言われ、勇者は歯をむき出しにして反論する。

「そんなの攻略本を使うしか方法が無いからに決まってるじゃん! 私だって誰かがやってくれるならそれの方が良い。けど、無理! 私じゃなきゃ出来ない事ばっかりなんだから! お前には言いたいことが一杯あるの、言わせて貰うからね」

 呼吸を忘れているかのように、矢継ぎ早に勇者は言う。


「ゴブリンだからって女の子の気持ち考えなよ! あーんなに好き好きオーラ出されて、挙句の果てにキスされかけたり武闘大会のど真ん中で告白!? はー、意味わかんないわ。三歳児だからって許される訳が無いじゃん! お前なんかに不釣合いなほど可愛い女の子なんだから、ちょっとはその脳みそ使って考えなよ!」


 怒涛の言葉にトビーがうっと一歩後ずさる。けれど、勇者の言葉は終わらない。


「それにね、お前は相手にするやつが間違ってる! 初期装備で龍蛇って何? 試練のダンジョンでは散々に殺されまくったし、九階層とか馬鹿でしょ、あんなの私だって鎧手に入れてからじゃなきゃ行かないって! 一番意味わかんないのはオルドンとドガット! ただのゴブリンが戦うような相手じゃないでしょ、馬鹿なの!?」


 そこまで言うと、勇者ははぁはぁと呼吸を荒げる。息すら忘れて吐き出した勇者は、今までで一番疲れているように見えた。

 が、トビーにそんな事関係ない。ぼろくそに言われて黙っているほど、トビーは出来たゴブリンではないのだ。負けるもんかと言い返す。


「ベルとティアは関係ないゴフ! 良いやつゴフだし、大切な仲間ゴフ! オレだってちゃんと考えてるゴフ。だから繰り返して助けたいんだゴフ!」

「それが分かってないって言うの! なーにが仲間よ、この馬鹿! あの子達が言ってる好きと、お前の好きは別のベクトルなの!」

 言っている途中に勇者に割り込まれる。けれど、負けない。トビーは語気を強める。


「ベクトルってなんゴフか! 分かんない言葉を使うなゴフ! ベルとティアはオレの大切な仲間で、オレも好きゴフ! 何も間違ってないゴフ!」

 それに、とトビーは言い続ける。

「お前だって、戦う相手が馬鹿ゴフ! 正面からリッチと戦うやつが何処にいるゴフ! 繰り返しは同じ事が起きるんだから、相手の攻撃を覚えて確実に避けたほうが良いゴフ! やっぱりお前のほうが馬鹿じゃないゴフか!」


 ブチッ、と勇者のこめかみから音がする。それはあくまで比喩的な表現のはずだったが、全身血まみれの勇者には直喩のようにしか見えなかった。

 目を吊り上げ、息を荒くし、頬を赤く染めるまで怒った勇者。

 次の瞬間、パチリと音がした。それは繰り返しの合図だった。


 全てが元に戻る。

 が、トビーの心境は穏やかではない。ずんずんと強く地面を踏みつけながら森の中を進み、勇者と出会う地点まで移動する。

 一方の勇者も、身体の怪我を元通りにして調子が良さそうだった。同じように強く一歩一歩を踏みしめながら、現れる。


「ゴブリンに馬鹿って言われる筋合いは無い! こっちは人間様よ!? ゴブリン如きが馬鹿って言えるほどの知能があると思ってんの? 知恵の実食べたからって、いい気になるんじゃないの!」

 言いながら、勇者は光の剣を生み出す。身体強化の術も併用しているようで、輝きが全身に包まれた。


 その隙にトビーも身体が動くようになる。風の球を三つ作り、身体強化べラークを発動。ついでに目星アイズも使って、戦闘準備は万全だ。

「馬鹿は馬鹿だからゴフ! それに、戦いたいならそう言えばいいじゃないゴフか! いきなり繰り返すのはお前の悪いとこゴフ!」

「また馬鹿って言った! もう怒った、絶対にぶん殴ってやる!」

「はっ、やれるもんならやってみろゴフ!」


 そうして戦いの火蓋は落とされた。

 お互い、馬鹿、阿呆、と罵り合いながら、光の剣とボロボロナイフを打ち合わせる。


 動き自体は何度も繰り返した戦いと変わりがない。

 けれども、その心は。お互いが相手に向ける感情が、別のナニカへと変貌しているのをトビーと勇者は少しずつ気づいていった。


「この緑! モテるゴブリンとか意味わかんない!」

「髪の毛、ゴフ! ずっと一人ぼっちのやつには理解できないゴフな!」

「髪の毛が罵倒って何!? お前が禿げなだけでしょ!」

「禿げじゃないゴフ! 由緒正しき純血のゴブリンゴフ!」


 徐々に悪口のレパートリーが減っていく両者。戦いも、剣ではなく言葉を武器として戦う方が多くなっていた。

 ついには立ち止まって言い合うトビーと勇者。ぜいぜいと肩で呼吸をしながら、視線はお互い目から離さない。


「ねえ、提案があるんだけど」

「気が合うゴフな。オレも言いたいことがあったゴフ」

 じっと睨む眼は逃げない。そのままの状態で、勇者はこう言った。


「決着がつけたいの。もう、お互いの事が分かりきってるでしょ、記憶見たんだし。私も、お前も、譲れないものがある。だから、最後の決着をつけたい」

「奇遇ゴフな。同じ気持ちゴフ。どうするゴフ? このままの状態だと、お前に勝ち目は万が一も無いゴフよ」

「分かってる、そんなこと。だから、一週間を頂戴。繰り返しの八日目、日が丁度真上に登った時にここに集合。そこで、全部の決着をつけたい」


 勇者はそう言った。その眼は、濁っていなかった。光が灯ったように、ギラギラと輝くその瞳は、やるべき事を見つけたと暗に語っている。

 条件は、勇者に有利であった。トビーは自己の強化をすることが難しい。一方で、勇者は呪いの装備を身に纏って自身を補強できる。


 それは分かりきっている。けれども、トビーの返答は決まっていた。

「それで良いゴフ。八日目、ここで戦おうゴフ」

 答えはイエス。確定だ。


 勇者の心意気をくんで、という意味もある。しかし、それだけではない。

 トビー自身、理解しているのだ。譲れないものがある以上、戦い続けても意味が無い。どちらも心が折れないままに、永劫の時間が過ぎるだろうと。

 だから、決着を付けられるのは都合が良い。トビーは勇者の記憶を追体験し、勇者はどんな人物なのか分かっている。ここが、本当に最後なのだと、心から決めている。


 ただ、一応の保険は掛けておくことにした。万が一ではあるが、勇者がそのまま何処かへ行ってしまったら、世界が滅びてしまうのだから。

「ただ一個だけやって欲しい事があるゴフ。契約の魔法で約束してくれゴフ。覚えてるのは知ってるゴフよ」


「……そこは、私のことを信じて去る場面じゃない?」

 呆れた顔をして勇者が言い、トビーは真面目に返した。

「信じてはいるゴフ。けど、それとこれとは別ゴフ。ちゃんと約束して、また会おうゴフ。逃げないゴフよな?」

「当たり前じゃん。私だって、これが最後だって分かってる」


 そう言って、勇者は魔法を発動した。契約の魔法、その初級ではあるが、勇者とトビーとの間に魔力の線が生まれる。

「一週間後、ここで戦う。違反したら暫くの間、行動阻害。こんなもんで良いでしょ? 私にできるのはここまでだし、行動阻害されると魔王を倒せないからね」


 魔力の線がお互いの胸に吸い込まれる。これで、約束は相成った。

 それを確認すると、トビーは勇者に背を向けて歩き出す。

「ありがとうゴフ。じゃ、また、ゴフ」

 勇者もまた、背を向けて歩を進める。

「うん、また。私が絶対に勝つから」


 それを聞いたトビーは、振り返らずに言った。

「オレが勝つゴフ。絶対ゴフ!」

 二人はそれぞれ違う道を歩く。再び出会うのは、七日後。

 そこで、世界の決着が付く。心にズシンと重い何かが圧し掛かるのをトビーは感じていたが、それと同時に楽しみでもあった。


 勇者に、真正面から勝つ。これまで磨き上げた力は、この為にあったのだ。

 力試しではない。力の証明だ。

 トビーは進む。もう引き返せない。引き返す気も無い。

 ただ、未来へ向かう為だけに、足を進めた。

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