第4話

「オヤジ、サケのミってどうゴフ?」

 その日の晩、予想通りに飯抜きとなったトビーは腹が鳴るのを我慢していた。気を紛らわせるために原因となった酒の実についてオビーに聞いてみると、にやりと笑って答える。


「なんだゴブ。毒について聞きにいったと思ったら酒なんて覚えてきたゴブか?」

「ドクもキいたゴフが、そうだ。サケのミはクスリにもドクにもなるってイってたゴフが、ほんとゴフ?」

「ガッハッハ。ロロノは面白いことを言うなゴブ。確かに、ありゃ薬ゴブが、毒にもなるゴブなぁ。ハッハッハ」


 なんとも楽しそうに言うオビー。だがトビーにはイマイチ理解できず、キョトンとするだけであった。

「なんだ、トビーも食ったんだろうゴブ?」

「クったゴフ。なんか、ウマかったけどすぐネちゃったゴフ」

「そうだ。それがドクってことなんだろうゴブ」


 いいか、とオビーは前置きして、

「酒の実はな、そりゃあ美味くて良い気持ちになるが、食いすぎると目が回っちまうゴブ。少しなら調子を良くしてくれるが、多すぎると毒になる。そう言うことをロロノは言いたいんだろうゴブ」

 なるほど、とトビーは理解した。少し口に入れるくらいなら薬。でも一杯だと毒になると。


「・・・・・・それなら、ドクのキノコのカわりに、サケのミをいっぱいクわせればナーガをタオせるゴフ?」

 トビーがそう言うと、オビーは一番の笑いを見せた。

「ガッハッハッハ。そりゃいい。確かにどんなデッカイやつでも、酒の実を食いまくれば目が回っちまうゴブな。ガッハッハ」

 腹を抑えながら大笑いするオビー。

 もしかして、これはいけるんじゃないか? そんな気持ちが、トビーの中で芽生え始めた。


 それから数日間は採取祭りとなった。

 朝早く起きて、採取用の皮袋を持って家を出る。ご飯用に食べられる木の実を探しつつ、メインは酒の実。ご飯とは別の袋にして、地道に集めていくのであった。

 ある日、家に保管しておいた分の酒の実をオビーとコビーに食べられてしまう事件があったが、代わりにもっと集めてやると言われて採取の速度は更に上昇。

 五日目には、皮袋に山盛りの酒の実が集まったのであった。


「よし、これだけあればナーガもイッパツゴフな!」

 満足気に皮袋を撫でるトビー。その横にはオビーとコビーもいて、これから出発するトビーをじっと見ていた。

「トビー、ほんとに行くゴブ? 龍蛇なんて止めといたほうがいいんじゃないかゴブ?」

 心配そうに声を掛けるコビー。すると隣のオビーは、

「まあそう言うなゴブ。トビー、無茶だけはするなゴブ。危ないと思ったら直ぐ引き返す、それもゴブリンの鉄則ゴブ」


 そう言って、右手を握り締めて自分の額をコンコンと叩くオビー。

 これはゴブリンたちが信仰する小さき神への祈りだ。小さなゴブリンが、大きな相手に戦いを挑む前に行う儀式である。

 それを見て、コビーも同じようにする。二匹に祈ってもらったトビーは、少し恥ずかしそうに見よう見真似で祈り返した。

 これが人生初の、大きな敵へ自分から向かう時。戦いに行く合図である。

「イってくるゴフ。ちゃんとカエってくるゴフよ」

 必ず帰ってくることは出来る自信はあった。

 繰り返すかどうかは、分からないが。



 二度目の洞窟へは、前よりも早く着いた。

 太陽はまだ中天に登りきらず、まだ朝の寒気が残っているようだ。

 トビーは洞窟の前に立ち、これからやることを確認する。


「よし、なんとかしてサケのミをクわせるゴフな」

 採取している間、トビーは考えていたのだ。どうすれば龍蛇へ、安全に酒の実を食べさせられるかを。無い知恵を総動員して、どうにか思いついた作戦はこうだ。


 正面から堂々と会いに行き、普通に会話をする。前回、魔物なのに会話をしてきたことに驚く暇も無かったが、きっと凄い魔物だから話が出来るんだろうと推測した。

 そして一度龍蛇を見てみたかったと嘘をつき、自分が敵じゃないとアピール。

 最後にお土産と言って酒の実を食べてもらう。

 これで完璧ゴフ、とトビーは自信満々だった。


 背に酒の実が満杯の袋を背負い、どっこいせと歩みを再開する。

 大丈夫だ、と何度も自分に言い聞かせる。死んでもやり直しが効くのは分かっているのだから、多少の無理は平気だと。

 痛みだって感じる隙が無いのだから、怖い物は何も無いと。


 洞窟を進み、暗い部分は壁を手に当てながらゆっくりと歩く。見えてきた明るい部屋には、前回と同じく巨大な白い龍蛇が居た。

 トビーと龍蛇の距離は、ゴブリンの足で凡そ一〇歩。そこまで来ると、龍蛇は大きな口を開いて声を出してきた。

『久しい盗っ人が来たと思うたら、まさか小鬼とはな。面白い。何の用だ、一言聞いてやろうではないか』


 聞き覚えのある台詞が頭上から鳴り響き、ただの声だけで生物を畏怖させる。知恵の実の余りを食べて育った蛇の魔物、その最上位種の龍蛇による声だ。

 トビーは身体が震えるのは止められない。

 これは防衛本能による仕方の無いものだと分かってはいても、強者を目の前にすると、どうしようもなく心が悲鳴を上げるのだ。

 カチリカチリと歯が振動して音を鳴らす。それを何とか食いしばって無視し、トビーは会話を始めた。


「は、ハジめましてゴフ。オレはトビーゴフ。き、キョウはイッカイでいいからナーガをミたくてきたゴフ!」

 無事に言えた。それだけで少しほっとする。

 それを聞いた龍蛇は、表情は分からないが、キョトンとした顔をしたように思えた。


『龍蛇を見たい子鬼とな。フハハハハ、この地に住み五〇〇年、そんな阿呆は初めてだ。面白い、我と話をする許可をやろう』

「(お、オモったよりイイやつゴフ? いけるかもゴフ!)」


 予想外にすんなりと話が進み、トビーは心の中でガッツポーズをした。

 いけるかもしれない。そんな風に思いながら、次の段階に進める。


「ありがとうゴフ! えと、キョウはナーガにオミヤゲをモってきたゴフ。よかったらタべてホしいゴフ!」

 そう言って、背負った袋を前に置く。勢い良く下ろしたせいで数粒酒の実がコロリと落ちたが、気にせずトビーは話す。

「キのミはキライゴフか?」


 すると龍蛇は数瞬間を開けた後、ゆっくりと口を開いた。

『実は好いておる。だが・・・・・・その匂い、気になるな。芳醇な果物の匂いの中に、妙なものが混じっておる。子鬼よ、食すのは吝かでは無いが、先に食うてみよ。貴様が無事に食うたのなら、我も食そうぞ』


 え!? とトビーの脳みそが停止する。

 まさか食べてもらえるところまで行けるとは思っていなかったら、というのもあるが、自分が食べるなんて想像もしていなかったのだ。


 マズイ。その一言だけが脳を占拠する。

 ロロノの所で食べた時、たった一粒で卒倒したのだ。まさか今更やっぱりいいですと下げる訳にもいかなく、進退窮まってしまった。


『どうした。食えぬのか』

 急かす様な声がトビーに掛けられる。

 終わったゴフ・・・・・・。そう思いながら、トビーは酒の実を一粒口に入れた。


 やっぱり酒の実は非常に美味しかった。噛むと果物に包まれるような香りと多幸感がやってくる。

 瞬間、巡る世界。

 ぐるりぐるりと視界が回転し始め、意識が外へと流れていき、


 明滅。意識が黒、そして白へパチリと切り替わる。


「・・・・・・シってたゴフ。こうなるゴフね」

 トビーはいつもの森の中で目覚めた。


 作戦自体は悪くなかったとトビーは思う。

 食べる直前までは持っていけたし、あと少し、まさか自分で食べる事になるとは思っていなかったが、そうでなければ成功だった。

 しかしその不成功の問題が難関で、どうしようも無く越えられない。


 三度目の挑戦では、三日ほどで集めた袋半分の酒の実を持っていった。

 そして似たような会話をすると、また食べろと言ってきたのだ。

 どうやら、同じ会話をしても必ず同じ結果になるらしい。それだけが収穫の三回目だった。


 四度目。今度は全力で近づいてみて、龍蛇に食べてくれと袋を掲げる事にした。

 お土産ゴフと言って差し出し、食べてくれと懇願したのだ。

 するとどうだ。

『ふむ。匂いは気になるが、多少の毒でこの龍蛇がどうにかなると思うなよ』

 そう言って龍蛇は酒の実を舌先で少し取り、食べたのだ。

『ぐぬ、喉が焼けるように熱い、が、どうとにでもなるな。戯れは仕舞いだ子鬼よ、死ぬがよい』

 食べてから殺すまでの判断は、それは早いものだった。


「どうにかイッパイのサケのミをタべてくれないゴフかね・・・・・・・」

 いつも通り人間の蹴りを受け流し、その後もう完全にルーティーンと化した酒の実集めをしながら、トビーは考えている。


 ただ食べてくれと言っても食べてくれない。

 少し食べてもらっても効果は無い。

 大量に食べさせ、そして身体に酒を回らせなければならないのだ。


「ナーガはキのミ、キライじゃないゴフよね。オレもスキだし、どうにかならないゴフ?」

 うーん、と頭を悩ませる。

 と、ふと思った。

 嫌いなものを食べる時、自分はどうしていただろうと。

 ほぼ嫌いなものなんて無いが、やはり毛虫の類は苦手だった。味はクリーミーで好きだが、どうにも毛が刺さって痛いのだ。だから仕方なく、一気に飲み込んで痛みを最小限にしている。


 もしかして、酒の実も丸呑みしたら酒が出ないのでは? とトビーは思いついた。


 思いついたら即行動。ゴブリンの鉄則である。

 生っている酒の実をプチリと取って、一息に飲み込んでみた。


 するとどうだ、香りもせず、美味しさや幸せな感じは全く無いが、代わりに酔うことも無いではないか。

「イけるゴフ! これなら食べながら龍蛇に食べさせられるゴフ!」

 大急ぎで酒の実を集めるトビー。

 だが両手一杯に集まったかな、といった時に変化が生じた。


「ん? なんか、ちょっとクラクラするゴフ?」

 クラリラリ。何故か頭がユラユラ揺れ始めた。いや頭ではなく視界が、いや頭か? そんな判断すらつかないほどに世界は揺らぎに包まれて――

「こ、これヨってるゴフ! マルノみしてもヨうゴフ!?」

 それが最後の言葉となり、バタリと倒れるトビー。

 目が覚めたのは夕方になってからだった。


 何度か実験を重ね、酒の実の丸呑みについてトビーは理解した。


 噛まずに飲めば直ぐには酔わなくなる。ただ時間が経つと、腹の中で酒が出てきて酔ってしまう。暫くそこらを走り回れるくらいの時間だ。

 酔った場合は即行動不能。酔ったかな? と思った時点で手遅れで、その前に全てを終わらせる必要がある。

 具体的には、龍蛇を酔わせて眠らせる。そして知恵の実を食べることだ。


 食べてすぐ知恵の実の効果があるのか、そして確実に自分も寝てしまうから逃げ出すことは可能なのか、実際にやってみないと分からないことは多いのだが、作戦自体は決まったと思う。

 あと酒の実を食べさせた後は激しく動かすのが良いとトビーは考えている。

 実験中、動いた後に酔いが回ってくると一瞬で意識が落ちたのだ。となれば、動くと酔いが、毒が身体に回るのが早くなると思う。


 全て体験によって得た知識なので、きっとこれは間違ってない。ゴブリンなりに頑張って、体当たりで情報を集めてみたのだ。

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