5.

 背中に銃口を向けられて、命令されるままに薄暗い夜の町を歩いた。

慢冥まんめい市独裁警察』の制服を着て、犬を連れて、拳銃を手に持った男は、僕の真後ろを歩きながら時々「左に曲がれ」「右だ」と低い声で指示を出した。

 十分くらい歩いて角を曲がると、遠くに明かりが見えた。

 窓の無い灰色四角形の建物ビルディングが並ぶ慢冥市で、その小さな建物だけが内部から漏れる明かりで黄色く光っていた。

「あの明かりの漏れている交番に向かうんだ」

 背中越しに警官の声が聞こえた。

 交番?

 とにかく言われた通り、その小さな四角形の建物へ歩いた。

 近づくと、交番の窓は奇妙な形をしていた。

 船の舷窓のような、直径五十センチほどの円形の窓だった。分厚いガラスのめ殺しだ。

「入れ」

 警官に言われるまま、僕は頑丈そうな鉄製の扉を開け、交番に入った。

 木製の事務机が二つと、書類棚が一つ。

 若い警官が一方の机に向かって座っていた。

「ああ、A・Xさん。お帰りなさい……その男は?」若い警官が、入ってきた僕と中年の警官を見て言った。

 扉を閉める音が後ろから聞こえた。

「こんな時間に町をブラブラしていた。しかも拳銃所持だ。73号が火薬の匂いに反応した。その場で職務質問をするも無かったから連れて来た……椅子を出してくれ」

 若い警官が壁際に木の丸椅子を置いた。

 命令されるまま、僕はその椅子に座った。

 棚の上に時計があった。

 0時20分を指していた。

 何か、奇妙だった。

「まずは、拳銃を出して貰おうか。ゆっくりと、だぞ」A・Xと呼ばれた中年の警察官が、壁際に座った僕に銃口を向けたまま言った。「前もって言っておくが、しらを切る必要は無いぞ。このシェパード犬は、警察犬訓練所を最高の成績で卒業しているからな。火薬の匂いを間違えるなんては73号に限って有り得ない」

 警官A・Xに言われて、僕はスーツケースを膝の上に置き、ゆっくりとした動作でポケットから鍵を出して開けて見せた。

 A・Xが近づいて来て、ホルスターごと拳銃を取り上げ、若い警察官の机の上に置いた。

「他は?」とA・X。

「ありません。一丁だけです」と答える。

「銃の携帯許可証を見せてもらおうか。それから市の滞在許可証も」

 僕は、相手に要らぬ警戒心を抱かせぬように、まず背広の前ボタンを外して裏地を見せ、そのさらけた内ポケットから(ゆっくりした動作で)長財布を出し、さらに財布の中からカードを二枚出してA・Xに手渡した。

「ふうん、なるほど」カードを読みながら、警官が僕に問う。「名前はB・Tで間違い無いか」

「はあ。たぶん」

「たぶん?」

「自分のことを良く憶えて……いや、まったく憶えていないのです」

「ほう」警官たちが、訳知り顔で互いに目配せする。「すると、この慢冥市に来たばかりか」

「はい。一時間か……一時間半くらい前の列車で到着したばかりです」

 言いながら、僕は無意識に棚の上の時計を見た。

 0時16分。

 ……驚いた。

 さっきよりも時間が逆行している。

 いや、違う。時間が逆行しているなんて非現実的だ。

 そうではなくて、時計が逆回転しているんだ。

「このまちに来たばかりなら」僕の視線に気づいた警官A・Xが言った。「時計の見方も知らないだろう。このまちの時計は全て左巻きに進む。二十……十五……十、九、八、七、という風に、な」

「つまり、ここの『時計』は、時刻を知らせる時計じゃなくて、残り時間を知らせる計時装置タイマーという事ですか?」

「そうだ。もの分かりが早いな。君は」

「でも、何で?」

「まず第一に、このまちには時刻が無い。ずっと夜が続くまちだ。一日も、一ヶ月も、一年も、ここでは意味が無い」

 いったん警官A・Xは呼吸三回のあいだ休んで、それからまた言葉をつなげた。

「第二に、このまちには濃い霧が出る。怪物が住む恐ろしい霧だ。市民全員、霧が出る前に、鍵を掛けた屋内か少なくとも密閉された空間に閉じこもる必要がある」

 その時、天井に埋め込まれたスピーカーから女の声が発せられた。

『霧の発生まで、あと二十分……全戸自動施錠装置の作動まであと十五分です。市民は、速やかに自動施錠装置のある建物の中に入って下さい』

 僕は、その声を発する天井のスピーカーを見て、それから棚の上の時計を見た。

 0時15分。

「つまり」僕はA・Xに尋ねた。「あの棚の上の時計、じゃない、計時装置タイマーは、その恐ろしい『霧』とやらが発生するまでの猶予を指し示しているのですか?」

「まあ、そういうことだ。正確には、霧発生の五分前、市の全戸自動施錠装置が動くまでの残り時間、だが」

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