Case ■-12.Run!!!

 スタートラインに、俺とすばるが並ぶ。

 ゴールである百メートル先には、夕月ゆづきの姿。手には白い旗が握られている。全員、制服のまま。グラウンドに制服でいるのは、なんだか不思議な感覚だった。


星宮ほしみやが旗を振り上げたらスタートだ」

「わかった」

「それと、勝負は一回。いいよな?」

「ああ」


 昴のルール説明に、俺は頷く。


「言っとくけど、手は抜くなよ」

「わかってるよ」


 いくら勝ち目のない勝負とわかっていても、手を抜くわけにはいかない。それは、真剣に部長への想いを抱いている昴への、侮辱ぶじょくとなる。


「いつでもオッケーだぞー」


 夕月の方に向かって、昴が手を振って返す。それから、俺たちはスタートの姿勢をとる。その姿を確認した夕月が、旗を足元まで下げるのが見えた。


 あと一分と経たないうちに、勝負は決まる。揺れていた俺の心を、決心させてくれる。諦めさせてくれる。そう思うと、鼓動は早鐘を打ち、舌はみるみるうちに乾いていった。


 いや、難しく考える必要なんかなにもない。陸上部の昴相手の勝負なんだ。やる前から結果は決している。俺はただ、全力で走ればいいだけ。


 一つひとつ、頭の中を整理する。

 身体を包む空気が、ゆっくりと流れていく。

 時間が引き延ばされてしまったかのような錯覚。

 そして。


 旗が――振りあがった。


 同時に、走り出す。地面を勢いよく蹴る音が聞こえる。無論、隣を見ている余裕などあるはずもない。


 が、すぐに昴の身体が視界に映る。それはつまり、いきなり身体一つ分の差を開けられたということだ。

 離されまいと、必死に地面を蹴り、足を前に出す。だが、その差は一向に縮まらない。


『生きることは、諦めることの連続よ』


 ずっと前に聞いた部長の言葉が、よみがえる。あの時は否定したけど、今ならその言葉の意味が、真意が、わかるかもしれない。


 これは俺への罰だ。


 調子よく、なにも考えずに、部長のことを考えずに、諦めるのはよくないと言い続けてきた、俺への。

 だったら、甘んじて受け入れるしかない。


 ――諦めるしか、ない。



「バカヤロ――――――――――ッ!」


 目が覚めるような声で、思考はかき消された。顔を上げる。そこで俺は、自分がうつむきながら走っていることに気がついた。


「諦めないんじゃなかったのかよ!」


 力の限り叫ぶ夕月の姿が、目に映る。胸をぎゅっと抱きしめ、想いを吐き出している。

 そしてもう一度、彼女は叫んだ。


「そんなハルが私は……好きなんだ――――――っ!」


 瞬間、あふれ出してくる。

 東雲しののめとばりのいろんな表情が。

 話した言葉が。過ごした時間が。


 俺は。

 俺は……。


 やっぱり……諦めきれない!


 走る。走る。走る。地面を蹴って。腕を大きく振って。筋肉の限界なんてとうに迎えているはずなのに、そんなのは知るかと神経を通じて命令を下す。走れ。追いつけ。走れ。追いつけ。


 俺が土壇場で息を吹き返して追い上げてきたことに焦ったのか、昴との差は徐々に縮まっていく。

 だが同時に、ゴールまでの距離もあとわずか。追いつくのが先か。昴にゴールされてしまうのが先か。


 ゴールまで……あと五メートル……一メートル、五十センチ……。


 あと少し。あと少しなんだ。

 諦められない。諦めたくない。


 念じるように、頭の中はその気持ちでいっぱいになる。目の前がチカチカ光る。

 そして視界から昴の身体が消えた瞬間。


 俺は、ゴールラインを越えた。

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