Case ■-6.Her house, her mother

 部長の家は、学校とは駅を挟んで反対側にあるアパートの一室だった。


 一度家に帰って簡単に昼食をすませたので、時刻は午後一時を少し過ぎたころ。太陽は南の空の中心に鎮座し、街中を燦々と照らしている。


「ここ、か……」


 駅から南下すること十五分、大通りから少し離れたところに、そのアパートはあった。

 築年数が浅いのだろう、外観を見る限り汚れのようなものはほとんど見当たらず、ちょっとした高級感を漂わせていた。少しだけ緊張しながら、敷地内に足を踏み入れる。

 金属製の階段をスニーカーでカンカンと踏みながら、三階――最上階の一番奥の部屋へ。三〇三号室のプレートの下には無機質なゴシック体で「東雲しののめ」と書かれていた。


 心なしか。いつもより脈拍が早い。勢いでここまで来たけど、冷静になって考えたら女の子の家に突然押しかけるなんて、一歩間違えば通報ものだ。

 だけど、ここまできたんだ。部長と、ちゃんと会って話をしないと。

 深呼吸を大きく一度する。それから、インターホンを押した。


『……はい?』


 女性の声が、スピーカーから聞こえてくる――が、それは部長のものとは少し違って大人びたものだった。てっきり部長が出ると勝手に思っていたので、俺は面食らう。


「えっと、その、宵山よいやまっていいます。部ちょ……とばりさんとは同じ学校の部活で」

『あら、とばりの? ちょっと待っててね』


 たどたどしい自己紹介を聞くや否や、スピーカーの声のトーンが上がる。かと思えば、扉の向こうから控えめな足音が聞こえてきて、ドアが開かれた。


「こんにちは」


 そう言って迎えてくれたのは、部長によく似た女性だった。おそらく母親、だろう。部長よりも少し長い黒髪、年相応の苦労を感じさせるしわ。それ以外に部長と違うところがあるとすれば、部長よりも物腰が柔らかそうなところだった。


「すみません突然」

「いいのいいの、気にしないで」

「えっと……とばりさん、今日学校を休んでるみたいなので、その、お見舞いに、来たんですけど……」


 俺はあらかじめ用意していた台詞を口にする。お見舞いというのも嘘ではないのだが、どこか言い訳めいていて、後ろめたい気持ちがする。

 すると、不思議そうに目を丸くして、


「お見舞い? 変ねえ、あの子、今日も普通に学校に行ったわよ?」

「え?」


 どういうことだ? つまりは、サボりってことだろうか。

 いまいち状況が理解できない俺とは対照的に、部長の母親は合点がてんがいったようで、


「そう、『また』なのね……」

「え?」

「宵山くんっていったかしら? せっかくきてくれたんだもの、よかったら上がっていってちょうだい。あの子の学校での話、聞かせてもらえないかしら」

「えっと……はい」


 誘われるがままに、俺は東雲家の敷居をまたいだ。瞬間、鼻の奥がくすぐったくなる。嗅いだことのない香り――よその家の香り。


 廊下を通り、奥のリビングへと足を踏み入れる。照明をぼんやりと反射する白い壁に、フローリングの床はきれいに磨かれている。整理されている、というより物自体が少ないように思えた。どことなく、空気が薄いような感覚。他人の家、だからだろうか。

 促され、リビング中央のソファに腰を下ろす。スプリングが、俺の体重をゆっくりと反発させてくる。


「はい、どうぞ」


 言って、お茶の入ったグラスをテーブルに置いてくれる。「ありがとうございます」と会釈している間に、部長の母親はテーブルを挟んで対面にあるソファに腰掛けた。


「あの子、部活なんかしてたのね」


 最初、つぶやくように漏らしたのはそんな言葉だった。それはつまり、この人は部長が天文部に――部活をやっていたことを知らなかったことを意味する。


「あらためまして、私は東雲あかね。あの子の母親よ」

「宵山晴人はると、です。部長とは同じ部活……部活っていうのは天文部で。あと、ひとつ下の一年生です」

「そう、天文部……」


 うなずく部長の母親――茜さんはどこかうれしそうに、寂しそうに、口元を緩めた。


「部長、って呼んでるってことは」

「はい。と言っても今の部員は部長と俺の二人だけですけど」

「あの子、ちゃんと部活動はやれてるかしら? けっこう頑固なところあるから」

「それはまあ……はい」


 天文に関する知識とかは皆無ですけど。なんてことは言わないでおく。


「でも一生懸命だと思います」

「一生、懸命? あの子が?」

「は、はい」


 天文部の活動ではなく『諦め屋』のことを思い出しながら答えた。部長が『諦め屋』の活動に対して真剣で、正面から向き合っているというのはたぶん、嘘ではない。


「……」


 俺の答えがよほど予想外だったのか、茜さんは再び目を丸くした。その様子につられて、俺も硬直してしまう。


「あ、あの?」


 じっと見つめられて、しかも部長に似ていることもあって、少しドキッとしてしまう。しかし、俺の動揺にはまったく気づいていない様子のまま、茜さんはまるで内緒話でもするかのような小さな声で、


「ねえ。間違ってたら悪いんだけど……宵山くんって、あの子の彼氏、とか?」

「えっ……は、はい!?」


 思わず持っていたグラスを取り落としそうになりながら、俺はのけ反る。が、背中に当たったソファがそうはさせまいと、力を跳ね返してきた。


「いや、俺と部長はそんなんじゃなくて、ただの先輩後輩ですから!」


 思わず声が大きくなる。と、茜さんはくすくす笑った。


「ごめんなさい、あの子の友だち、それも男の子が家に来るなんて今までなかったから、ちょっとうれしくて」

「は、はあ」

「そうよね。彼女の両親にあいさつなんて、ハードルが高いものね」

「ぶっ」


 今度はお茶を吹きそうになる。この人をからかう感じ、母娘なんだなと実感させられる。

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