冬・第27話 不治の病①一緒にお風呂入る?
列の長さの割には意外とすんなり進み、真心とゆしかはほどなく賽銭を投げ入れて柏手を打った。おみくじを引いて、ふたりとも小吉だったので境内の木に結んだ。
「せっかくだし、歩いて帰ろうか」
とゆしかが言うので、真っ暗な中、肩を並べて歩き出した。
「お前、なにを祈願したんだ?」
特にこだわりがあって聞いたわけではなかった。ふたりの間にある空気のぎこちなさは僅かずつ解消されていたが、まだ日常に戻るのは難しかった。
答えたくなければそれで構わない、と思って訊いたことだった。しかし、
「『真心を好きなわたし』の存在が、許されますように」
ゆしかは真顔で、なんでもないことのように答えた。抑揚もなく、歩き方にも変化はない。
真心はただ「そうか」と呟いた。少しだけ間があって、今度はゆしかが、
「真心はなにを?」
と訊いた。
「ゆしかが健康でいられますように」
「お父さんか!」
ぎこちなさを吹き飛ばすような勢いで、ゆしかが突っ込む。
だが真心はそのテンションには乗らず、静かに
「違うよ」
とやんわり否定した。
「俺は、お前の保護者になりたいなんて思ったことは一度もないさ」
酷く生真面目な口調に、ゆしかはそれ以上の追求をしなかった。
時間を掛けて家の近くまで差し掛かると、ゆしかが言った。
「わたしの家に寄っていってよ。ほら、この前、半纏着たまま帰っちゃったし」
それを言ったらゆしかのコートも靴も真心の家にあるのだが、真心はただ頷いて後に従う。
初めて通されたゆしかの家は、なんの変哲もない1Kだった。
小さな玄関から続く廊下に洗濯機と冷蔵庫、キッチンが横並びになっていて、トイレと風呂場が別々に付いている。部屋は真心の家のLDKの半分くらいの広さで、壁の一方はクローゼットだ。あとはパイプベッドとプラスチックのローテーブルがあった。
逆に言えば、それ以外なにもない。女性らしからぬ、という言葉でも足りないくらい、生活感のない殺風景さだった。
「お前はミニマリストだったのか?」
「別に。ただほら……いきなりいなくなったときに、物が多いと片付けるひとが大変だからね」
なんでもないことのように言う。
それだけに今捻り出した言葉ではなく、ずっと前から身に付いている考えなのだと思わせた。
「あ、でもほら。漫画とか結構持ってるよ。電子書籍でさ」
笑ってスマホを掲げてみせた。
真心が笑い返そうとして失敗していると、ゆしかは風呂場からたらいを持ってきてローテーブルの上に置いた。中から湯気が出ている。
「ほら、とりあえず」
「ん?」
「冷えたでしょ? 本当は足とかもやりたいけど、一個しかないから。ここにふたりで手を」
言いながら、両手を沈める。
真心が黙って立ち尽くしていると、ゆしかは剣呑な半眼で
「ほら早く。これが嫌なら、一緒にお風呂入る?」
とからかうように言ってきたので、テーブルを挟んで同じようにした。
たらいの湯の中で、四つの手のひらが重なる。ほとんど感覚を失っていた指先が、痺れるように感覚を取り戻し始めた。
「いやあ、寒かったねえ」
「そうだな」
「温かいね」
「ああ」
「……ごめんね」
「……なにが」
「いっぱい、色々なこと。ひとつは、多分キタさんに聞いたでしょ?」
「伝言のことか」
「うん」
『関わってしまって、ごめんなさい』
「それなら……それを、話したかったんだ。俺はお前と一緒にいた時間を後悔したりは」
「それだけじゃないの」
「え……?」
「怒らないで聞いてくれる?」
「……内容による」
「じゃあ言えない。約束して。少なくとも、キタさんを怒らないって」
「北地を?」
「お願い」
「……解った」
「わたし、無理矢理聞き出したの。キタさんから……真心の、昔のこと」
「まさか……」
「ずっと前からなにかあると思ってた。でも、絶対に真心は教えてくれないって解ってた。キタさんも最初は『俺が勝手には言えない』って断ってたけど……クリスマスのときのことを話して、無理に言わせたの」
湯の中で触れ合う指先を見つめながら、ゆしかは北地との会話を思い返した。
△
「……ゆしかちゃん。あのね、このことを君に話したって知ったら、冗談じゃなく、真心は俺を許さないと思う。絶交されてもおかしくない。これはそのくらいのことなんだ。
でもね。君の気持ちは解ったから……もし、それでも君が聞きたいって言うなら、話すよ。
どうする?」
そう、穏やかな顔と声のまま問うた北地に、ゆしかは目を逸らさず、「ごめんなさい」と顔を歪めて答えた。
「本当にごめんなさい、キタさん。
たとえそれでキタさんが真心を失うかもしれなくても……わたしは、真心を、知りたい。
酷い奴だって解ってるけど……どうしても、聞きたい」
我が儘だと解っていた。そのせいで、真心が特別だと語った数少ない友人との間に亀裂が入るかもしれないのに、引く気になれなかった。なんて嫌な奴だろうと自分で思うのに、それでも、衝動を止めようがなかった。
不意に、北地は眼鏡を外して目頭を押さえた。
いざ話し始めようとして、やっぱり躊躇ってしまったのだろうかと思ったが、勘違いだとすぐに解った。けどにわかには信じられなかった。
北地の頬に、涙が流れていた。
「……どうして泣くんですか。わたしが、酷いから?」
「違うんだ」
静かに鼻水をすすり、ハンカチを出して目元を叩くように拭いた。
「嬉しくてね」
「嬉しい?」
全く意味が解らなかった。おおよそ喜ばれるのとは真逆のことを言ったと自覚していた。
「真心は頭おかしいくらい一途でさ……なのに報われなかった。
俺はずっと、あいつを誰より強く想ってくれるひとに現れてほしかった。
ゆしかちゃん。俺は君のようなひとを待っていたんだ」
そんな風に言ってもらっても、嬉しいとは思えなかった。むしろ勘違いだ、と思った。
ただただ申し訳なくて、薄汚れた独善的な想いの自分が恥ずかしく、いたたまれなくなった。
だけど同時にひとつ、真心に伝えたくなった。
(キタさんにとって、真心が特別ではないひとり? それだけは絶対に違う。たとえキタさんに特別なひとがたくさんいたとしても……絶対に、そのうちのひとりだよ、真心)
そして北地は語ってくれた。真心に数年前起きたことを。
▽
「北地は、なんて言ってた?」
真心は約束したからか、怒っている様子ではなかった。たらいの中の指が微かに動く。
ゆしかはその指を軽く握った。顎を引き、上目遣いになりつつも、真心の目を覗き込むように真っ直ぐ見て言った。
「真心がとても大切にしていた家族が……奥さんが、病気で、いなくなってしまったって」
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