夏・第2話 円満な別れ話②意外と簡単な、泣き寝入りさせる方法

 真香には「ここで待ってて」と言い残し、ゆしかは翔二とひと気のない路地裏に入った。前を歩いていた翔二が「外に出て一体どーすんだ?」と振り返ろうとした瞬間、


「だぁああっ!」


 躊躇なくドロップキックを放つ。小柄な女性ながら全体重を乗せた蹴りは不安定な姿勢の胸元と脇腹を直撃し、翔二は倒れ込む。


「なっ……いきなりなにし」


 起き上がろうと上げた顔目がけ、いち早く起き上がったゆしかは目潰しを繰り出した。


「ぎゃぁあああっ!」


 まともに眼球を指と爪で貫かれ、翔二が身をくねらせる。顔面を押さえ「ひ、卑怯だぞこんにゃろう!」と叫んだ顔へ、ゆしかは前蹴りを放った。

 地面を転がり、這いつくばる翔二をゆしかは冷静に見下ろす。


「なに言ってんの?」


 その目には一片の迷いもない。


「そもそも殴り合うなら、男ってだけで卑怯なんだわ。自分だけ拳銃持って『大丈夫、撃ったりしないから。僕らは対等だ』って微笑んでるようなもんなのに、無自覚な男って多いんだよね」


 翔二が声でゆしかの方向を見極め、飛びかかる。腕を掴んで、両手首を壁に押さえ付けた。


「つ、捕まえたぜ、ははは」

「ほらね。こうなったら、力じゃ敵わないもん」

「し、仕掛けてきたのは、お、お前だからな」


 そして翔二はほぼ目を閉じたまま、ゆしかの唇を奪う。次の瞬間、


「うぎぁああああああっ!」


 叫び声を上げて身体を離す。

 ゆしかは嫌悪感を剥き出しにした顔で、唾を吐く。その口が、赤く染まっていた。


「だからわたしは、躊躇しないようにしてるんだ」

「な……なんなんだ。なんなんだお前ぇ!」


 唇を噛み千切られた翔二が後ずさりながら口を押さえる。

 ゆしかは悠然と歩み寄り、拳で鳩尾を正確に突いた。


「げはっ!」


 その場に翔二は膝を突き、咳き込む。その顎をゆしかが蹴り上げる。さらに仰向けに倒れた顔面を、全体重を乗せて踏み付けた。

 翔二はもはや戦意を失っていた。ゆしかはその腰に手を掛ける。


「腰パンだからぁ、脱がせやすーい」


 唄うように言って、一気にパンツごと膝まで下ろす。

 そしてスマートフォンを取り出し、迷いのない手つきで動画を撮影する。


「XX高校三年の翔二君の粗チン撮影中でーす。うわ、ちっちゃあい」

「うっ……ぐぅうう……」


 翔二は痛みか羞恥で、涙を流している。


「ありゃ、ガチ泣き? 大丈夫! 何事もなければこの動画を誰かが見ることはないよ。『意外と簡単な、泣き寝入りさせる方法』ってこれだよね? ハハ、わたし、伏線回収したね!」

「ゆしかぁ!」


 そこで路地裏に、真心が駆けてくる。真香も一緒だ。


「真心。おお、心配して来てくれたか!」

「お前のじゃねえよ! ああ……やっぱりやっちまったか」

「しょ、翔二君!? 大丈夫?」


 真香が目と口から血を流し、下半身モロ出しの翔二に駆け寄る。


「やり過ぎだ、ゆしか」


 真心の責める声に、ゆしかは不服そうに唇を尖らせる。


「……なんでわたしの話も聞かずに、決めつけるのさ」

「いつものことだから」

「ぐ……だ、だってこいつ、レイプ予告したんだよ? わたしも無理矢理キスされたし!」


 真心はなんとも言えない表情になり、大きく溜息をつく。


「ゆしか先輩! あたし、ここまでしてくれとは……」

「……ほう?」


 真香の非難する声に、ゆしかの目元が引きつる。まずい、と真心が止めようとするが遅い。


「あんたはそうやって、安全圏から好き勝手言うわけだ。自分はいい子です、って」

「え?」


 言うが早いか、ゆしかは腰に付けていたウエストポーチから500mlのペットボトルを取り出し、盛大に振って蓋を開ける。

 破裂音がして、真香の顔に思いきりコーラがぶっかかる。


「……ゆしか」真心が頭痛に耐えるように額を押さえる。

「わたし、悪くないもん!」


 そしてゆしかは一目散に逃げ出す。真心は苦悩の溜息をつき、真香に謝る。


「ごめん。本当にごめ」言葉の途中で首をかしげ「ってなんで俺が謝ってんだ? 保護者でもなんでもねーのに!」ゆしかの後を追った。


 残された真香は、コーラが髪から滴るのを呆然と眺める。しばらくすると、股間を手で隠してしゃっくりのように泣く翔二が悪夢にうなされるような声で呟いた。


「……もう連絡してくんなよ。二度と関わりたくねえ」


 真香は翔二と、ゆしかたちの消えていった方向を何度か交互に見つめ、やがて呆然と


「……ありがとう、ござい」


 小首をかしげた。


「ます?」

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