第38話「冥王権勢」

 行きは歩道を10分ぐらいと屋上を3分だった道のりも、帰りはゆっくりと行ったら25分ほどかかった。

その頃にはイアさんも辛うじて立てるようにはなっていた。

暗い路地裏に佇む黒いモヤモヤ。

それがこの世界からあの世界への帰還ルート。


「これで任務は終了。せっかくの別世界だから楽しんで欲しい気もするけど、それはまた別の機会だ」

「はい。でも私、何も出来ませんでしたが…」

「いや、イアさんは最後にボタンを押しただろう?あれで任務は達成したんだ。やれる事はやったさ」

「そうそう、結果的にイアさんも交えて行った事だから、する事はした。別にしてないからって優劣もないよ」


 話を聞いていた夜冬よるとも口を挟む。

そう、結果的にイアさんに押すように促したのは夜冬だ。

イアさんが『何もしなかった』と言う事も予想していたのかもしれない。

出会った時の出来事で二人の仲は心配だったが、夜冬なりの贖罪なのだろう。


「夜冬の言う通りだ。別に俺達の中で活躍を競い合ってるわけじゃない。人にはできる事とできない事がある。イアさんはまだやれる事が少ないだけだ」

「………そうですね。もっと活躍出来るように今後も頑張ります!」


 この前向きな姿勢が、イアさんの強みだ。

罪の炎も魔術も使えるようになろうとしている時点で、いつかは活躍出来る場面がある。

 美雪と似たような雰囲気もあって、微笑ましい。


「ははは!でも帰ったら、一応安静にしとくんだぞ?イアさん」

「あはは…ご迷惑お掛けしました……」


 暁月の動きは俺らでもビビる。

そりゃ、腰も抜かす。

とりあえず、帰ったら美雪にイアさんに湿布でも貼るように伝えよう。

そう考えながら、俺はモヤモヤに1番に入って行った。

出た先に目に映るのは、木々の間から見える家の姿。







 のはずだった………。


「なんだ、これは………?」


 出た先の景色は緑どころか、白以外の色が何一つない。

この場所には見覚えは無い。

でも何かしらの建物の中である可能性がある。

 神殿を連想させるような装飾された荘厳な柱、柱と柱を繋ぐ装飾付きのアーチ、タイル張りの床、高い天井。

神秘的だ、眺めていたい気持ちになる。

だが、今はそういう話ではない。


「あれ?」

「ここは…?」

「光、これは何が起きてる?」

「俺にも分からん。でも……」


 嫌な予感しかしない……。

でも、なんで、ピンと来ないんだ……。

モヤでも掛かったみたいに、ハッキリしない……。


「とりあえず、探索しよう。光」


 夜冬の言う通りだ。

分からないなら、いつも通り探索して、情報を集めればいい。

帰路さえあれば、それくらいの余裕はある。


「あぁ、そうだ………な………」

「お?どうした………」


 振り返った時に、背筋がゾッとした。

いつもの黒いモヤモヤが消えている。

あれが消えたということは、他の世界との繋がりが消えるということだ。


「………暁月、壁を切ってくれ」

「うん。分かった」


暁月の刀袋からは、黒い鞘に納められた刀。

あの刀は俺達の中で最も斬れ味のある刀だ。

刃こぼれはしない、折れもしない、あらゆるものを一刀両断、魔術さえも断ち切る刀。

黒い刀身、黒い柄、今の空間においては際立つ異質な物体。


「行くよ…!」


 三角状に無敵の刀は振るわれ、壁に穴が空くはずだった。


「え!?」

「馬鹿な!?」


 その斬撃は一撃で終わった。

いや、一撃で止めたのだ。

壁が異常なほど硬いのか、刃を通さない。

壁に沿うように刃先が流れただけだった。

 そして、壁に傷すら付いていない。

あの刀ですら斬れないとは、驚きを隠せない。


「………参ったな。脱出する手段が一つ減ったか…」

「ごめん、光。斬れなかったよ…」

「別に気にしなくていい。その刀でこの壁を切れないのは予想外だった」


 となると、大人しくこの空間を探索するに限るが……。

 ただ、ここは迷路のように入り組んでるわけでもなく、ただ1つの大きな直方体の空間でしかない。

右を見ても、左を見ても、後ろを見ても、しっかり先には壁がある。


「ねぇ、光…」


 ふと、暁月に声を掛けられた。


「なん────!」


 それと同時に正面からの衝撃波で、俺達は後ろへ吹き飛ばされた。

壁の硬さもさることながら、これも予想外だった。

空中で体勢を前傾にし、無理やり着地する。

10mは飛んだか……。

 まるで透明な壁を突然押し付けられたような感じで、衝撃波はやって来た。

大したダメージも無い。視界の端に写る夜冬も無事だ。

 しかし、着地が出来なければもう少し飛んで、地面に落ちて………

待て。イアさんは、無事か?

想定された衝撃波では無い。

並の人間じゃ、普通に地面に叩き付けられる。

俺は後ろを振り返り、視界に3人の人物を写した。

どうやらイアさんは暁月が助けたらしく、暁月の腕の中に抱えられている為、無事のようだ。

 だが、もう1人はフードを被った黒いコートの男。

顔は見にくいが、体格的には男だ。

暁月は腕にイアさんを抱えながら、刀の切っ先を黒いコートの男に向けていた。


「貴方は誰ですか……?」

「───」


 暁月は男に問うが、男は答えない。

 そして、その容姿の怪しさも、この状況も、その男が元凶としか思えなかった。

俺は素早く刀袋を投げ捨て、刀を抜く。

 だが、やけにその姿に既視感があった。

加えて、本来持ち得るはずの敵対心は、すっぽ抜けたようにここには無い。

曖昧なまま、男に対峙した。


「お前がこの空間に誘い寄せたのか?」

「───」


 男は答えない。

すると、一瞬で。

男と暁月は入れ替わった。

男の腕にはイアさんが居た。

 そして、それに反応する事も許されず、次の一瞬が訪れた。

男とイアさんが居た場所には、夜冬が現れたのだ。


「ッ───!」


 反射的に夜冬の居た方向を見た。

そこに、男は立っていた。

純白の空間に佇む黒い塊、その手にはイアさんが抱えられている。


「離してください……!」


 イアさんは身動ぎして、逃げようとするが、中々抜け出せない。

そのイアさんの声に暁月と夜冬も反応して、俺を含め2人は男と対峙する。


「目的はなんだ?」

「イアさんを離せ!」

「───」


 相変わらず、男に反応は無い。

 しかし、男は手中にあるイアさんを眺めると、何かを呟いた。

それは聞き取れないが、イアさんには聞こえたようだ。

聞こえた困惑するイアさんの声。

男はイアさんを腕から離すと、暁月の方へ突き出した。


「イアさん!」


 駆け寄る暁月。

なぜ離した……?

目的はなんだ……?

ただ、悪寒がした。

イアさんと暁月はみるみると距離を縮める。

俺は反射的に叫んだ。


「二人とも、そこで止まれえぇぇ!!」

「え──ッ────!」

「───え?」



 ──ドン!!

男に殴り飛ばされ、吹き飛ぶ暁月。

イアさんが居た位置には男が立っていた。

奴の能力は、人と人を入れ替える。

イアさんを離して、自分の射程距離を伸ばしたんだ。

 加えて、暁月の要求を呑んで離したことで、暁月の方も気が緩んでいた。

入れ替わりに予備動作は無い。

無動作で瞬時に入れ替わる。

厄介な能力だと言うのに、不思議と落ち着いていた。


「このッ──!」


 夜冬が男に殴り掛かる。

男に難なく避けられるが、体が貧弱とはいえ、夜冬は素人ではない。

その勢いのまま反転し、低い位置から殴り掛かる。

 しかし、視界から外したのがまずかった。

反転し振り返ると同時に、場所を入れ替えたのだ。

夜冬は当然見失う。

拳は空振るが、変に止めるよりはマシだ。

流れで防御に移ろうとする夜冬は、突如吹き飛ばされた。


「いっ───!」


 壁に激突する夜冬。

男は何もしていない。

異様な吹っ飛び方に加えて、勢いも半端ではなかった。

俺達が最初に受けた衝撃波、あれもアイツの力かもしれない。

───待て。

───正気か、俺は?

何故こんなにも、落ち着いて傍観しているんだ?

何を悠長に考察しているんだ?

 夜冬は今の攻撃で動けない。

パワードスーツで防御面を補っている夜冬には、生身への攻撃は一番受けてはいけないものだ。

 暁月は──起き上がっている。

味方の攻撃に合わせて、体を動かせ。


暁月は疾走する、間合いを一瞬で詰める。

─動かせ。

黒い塊に向けて、黒い影が黒い刀を一閃する。

──動かせ。

刀は扇のような残像を残すが、当たっていない。

───動かせ。

男は追撃に転じる暁月の動きを封じ込め、一蹴した。

─────動け……!!!


 重い、重い打撲音。

それは痛みのイメージすら出来ないような、まず痛みがあっていいのか、それは打撲音を発しただけ凄いのか、それは並の人間なら、内臓なかみをブチまけて、身体も繋がっていないだろう。

暁月は無残に転がり倒れ伏す。

──────何故、動かない?

 しかし、流石と言うべきか、恐ろしいと言うべきか。

飛び上がって、体勢を戻した。

吐血はしていない。

けれども、あの蹴りを食らって無傷な方がおかしい。

絶対に何処かやられているに決まっている。

──────男は視線をコチラに向けた。


「…何も言わないなら、意地でも何か吐いてもらうぞ」


 苦し紛れに出たセリフ。

情けない。

身の危険を感じて、今になって身体が────。




───フードから覗く、海のような青い瞳。





………死ぬ。

…………確実に全員死ぬ。

分かるさ、手に取るように。

まるで習慣のごとく、身に染み付くくらい。

あの男には勝てない。

そのフードの下にあの青い瞳。

眠っていた意識が呼び覚ます。

 そして、それを男は感じ取ったのか。

被っていたフードを取った。

瞬間、目は冴え、脳は覚醒する。

そのくせ、周りは見えず、あの男だけが鮮明に映る。

相手の名前、顔、能力、思い出、様々な事が思い出される。

その前に居るのは、暁月夜桜という少年の




「吐かせなくても、そんなもの──」




 ──暁月 ひかる

それが男の名前だ。




「見れば分かるだろう──?」




 ノーネームの元メンバー。

《憤怒の罪》と《粛清の罪》の所有者。

《極罪》にも至っている。

ルナさんに匹敵する強さを持った男。

奴の強さはこう、称された。


《冥王》……と。

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