新年と、変わらない距離。

神凪

あけましておめでとう

「カウントダウン、始まったぞ」


 電話越しに楽しげに話す声に、テレビのカウントダウンをそのまま伝える。この家は俺と妹しかいない、静かな空間になっている。そこに彼女の声が入るだけで、途端に愉快になるのだ。


「お兄、お蕎麦の器片付けていい?」

「悪い、頼む」

「いいよ。ほら、カウントダウンもう一桁だから。今年のうちに咲希さんに言うことあるなら言っときなよ」

『お、あるのか、言うこと』

「ねーよ」


 画面越しに不服そうな声を漏らすのは、俺の恋人の早見咲希はやみさき。こちらでせっせとおせち料理を準備しながら洗い物をこなしているのは、妹の優奈ゆうなだ。

 今年はもう、のんびりと話している時間は無いらしい。


『ごー、よん、さん、にー、いーち』

「あけおめ」

『軽っ! おめでと!』

「会えるかどうかはわからないが、今年もよろしくな」

『……帰れなくて、ごめんね』


 咲希は、かれこれ一年ほど帰ってきていない。毎日ではないが定期的にこうしてビデオ通話をして、俺や優奈の近況を報告してはいるものの、会えないのはつらい。

 新型のウイルス。それは瞬く間に日本でも広がり、歯止めがないままに感染者が増え続けた。

 実際、なにをどうするのが正解なのかなんてことは俺にはわからない。SNSではさまざまな意見が飛び交っているが、それも結局はわからない。

 その影響で咲希は帰ってこない。世間では帰省している人も多くいるらしいが、咲希は彼女自身や俺たちの安全のために残ることを選んだ。


「お前のせいじゃない」

『そだね。りくならそう言うと思ってた。でもなんか、申し訳なくてさ。わたしがそっちの大学行ってたらこんなことなんなくて済んだのに』

「それは俺が許さない」


 咲希には夢がある。医者になるという立派な夢。

 昔から病弱な俺の隣にいたからというのが少し恥ずかしい理由だが、嬉しいことでもある。


『わたしに会えなくて、寂しい?』

「なわけ……」

『じゃあこっちに永住しようかな』

「寂しい」

『ぷっ……』

「おいこら」

『だいぶ素直になったね。彼女でもできた?』

「彼女はお前だろーが……」

『あははっ、めちゃくちゃ面白いね』

「そりゃよかったな!」


 生憎こっちはあまり楽しくない。いや、咲希と話しているのは楽しいのだが、こうしてからかわれるのはあまり面白くないということだ。


『優奈ちゃん、元気?』

「優奈、元気か?」

「え、何その質問。元気だけど」

「だそうだ」

『そっかそっかー、颯も元気そうだし、よかったかな。変なとこ遊びに行ったりしてない? 感染元になりそうなとこ行っちゃダメだよ?』

「一人でそんなとこ行ってもなぁ……」

『ぼっちなの?』

「コミュ障なめんなよ」

『通りでいつ電話かけても出るわけだ』


 それは、多分違う。

 全く友達がいない訳では無い。が、咲希よりも大切な友達なんていないだけだ。そして、それは多分これから先も現れない。


「初詣、一緒に行こうな」

『リモート初詣?』

「そうそう。そんな感じで俺と咲希と、ああ、優奈も行くか」

『賑やかな初詣になりそうだね』

「そういえば、小学生のときに『颯のお嫁さんになるー』って言ってたよな。懐かしい」

『そういやそんなことも言ったね。物の見事にその通りになりそうだけど』

「お互い変わらず阿呆ってことだな」

『そだね〜』


 この時間が心地よくて、少し辛い。

 仕事柄、俺たちの両親は国内外問わず飛び回っている。年越しの瞬間に家にいたことなんてなかった。

 別に両親に何かを思うところはない。むしろ、そうやって両親が苦労してくれているお陰で、俺たちはそれなりに裕福な生活ができているのだから、感謝すらしている。

 そして、それが理由で俺たちはよく咲希の家に遊びに行っていたのだ。泊まりでなんて日常茶飯事、元旦まで喋って過ごすなんてことは何度あったかわからない。

 だからこそ、こうして画面越しでしか話せないのが辛い。


『わたしたちって、付き合って何年になるんだろ』

「一度たりとも告白してないからわからん。三年くらいじゃないのか?」

『なあなあの関係というかなんというか。まあいいけどね、わたしは是が非でも颯のお嫁さんになるし』

「医者はいいのか」

『どっちもやるんだよ。幸い、片方は結構ハードル低いしさ?』

「ほー、俺に可愛い彼女が出来たらどうするつもりだ?」

『彼女はわたしでしょーが』

「もういたわ可愛い彼女」

『今更気づいた? おっそいなー、損してるよ』


 そんな茶化し合い。そうやっていつも通りに俺たちは夜が明けるまで話し続けた。

 やがて俺も咲希も眠気がピークに達して、だんだん言葉が意味不明になっていく。


『ねー、もう朝だよ? 初日の出よ?』

「リモート初日の出」

『そんなのいらないから。ほら、寝よ? そろそろわたし通話しながら寝るぞ?』

「咲希は静かに寝て寝顔可愛いから良し」

『色々漏れてる』


 ふわぁ、と大きな欠伸をしながら、咲希は眠そうに目をこする。そう言いながらも俺が通話をやめるまでは付き合うようで、画面の端には缶コーヒーがいくつも映っている。


『さて、と。夜が明けるまで語り明かそっか?』

「切り替えが早いな……いやこっちはそのつもりなんだけど」

『でしょ。ほーら、わたしのいいとこ、何個にしよっかな。とりあえず適当に』

「百ならすぐ言える」

『そんなに聞くのが大変だからいいかな。十個ぐらい』

「顔が可愛い、話してて楽しい、趣味が合う、信頼できる、信頼してくれる、優奈に優しくしてくれる、付き合いが楽、お世辞を言わずに本音で話してくれる、毎日長電話に付き合ってくれる、俺を好きでいてくれる」

『言えたな。びっくりだよ』

「当たり前だ。何年一緒にいるんだよ」

『途中なかなか自分本位だったけどね。まあよし、合格』

「やったぜ」


 普段よりも一回り馬鹿な会話をする。元々会話が馬鹿馬鹿しいのは否定するつもりはないし、そもそも否定できないが、ここまで中身が空っぽな会話をするのは久しぶりだ。

 ただ、やはり眠いから会話が途切れることも多い。頭が上手く働かないから、お互いに返事が遅くなるのだ。


『あー、無理だー。眠い』

「寝るか……」

『そだねー……改めて、今年もよろしくね』

「ああ、よろしく。帰ってこれそうなら帰ってきてくれると、俺も嬉しい」

『……ん。わたしも、颯に会いたいなぁ……』


 会えない時間が心の距離を遠くする。そんな事例が少なくはない。

 それが俺と咲希には全くない。寂しいけれど、辛いわけではないのは別れるという結末が見えないからだ。


『でも、ね。会えなくてもいいんだ。わたしはずっと、颯の傍にいるから』

「そうだな。でも、隣にいないことが寂しいってのもわかった。だから俺は、絶対にお前を手放さない」


 後で素面で聞いたら恥ずかしくて死にたくなるような台詞だ。だから今言わないと多分伝えられない。


「それだけだ。おやすみ」

『うん、おやすみっ!』


 元気な声を最後に、俺はスマホの画面を消した。

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