よるべなきひとつの死

美尾籠ロウ

第1話

 孫の江美えみがパジャマ姿のまま、こわばった面持ちで庭に現れた。

 わずかに震える手で、私に朝刊を突き出している。

 私は、日課の木刀の素振り三百回を終えたところだった。江美の発した声が、疲弊した私の鼓膜をかすかに振動させ、くぐもった音を伝える。ただならぬ気配だけは感じられた。

 足腰が丈夫なのはありがたい。が、その他のあちこちは錆び付き、経年劣化が激しい。よくて現状維持、あとはただ衰えゆき、朽ちてゆくだけのこの体――避けられない現実。さして苦にしていないつもりだった。が、とみに最近、己の弱体化を強く実感するようになった。素振り百五十回を超えたあたりで、すでに腕が重くなる。息が上がる。ついこのあいだまでは、そんなことはなかったはずなのだが……その記憶すら、すでに怪しい。

 そろそろ年貢の納め時、ということか。

 今あらためて振り返らずとも、私が決して褒められた人生を送って来なかったことは痛いほど実感している。妻のきみ江は、三十年近くも苦労ばかり背負い込み、一度も私に繰り言を告げずに微笑みながら逝った。その笑みは、いまだに棘のように私の心臓に近いところへ突き刺さる。

 私は、補聴器のスイッチを入れた。

「ねえおじいちゃん、この人……『どうもおばさん』じゃない? そうでしょ?」

 江美の声に我に返る。補聴器のお陰で、薄っぺらではあるが、夾雑物きょうざつぶつをかき分けるようにして世界が拡がる感覚がある。

 私は手を伸ばして朝刊を受け取った。テーブルの上の老眼鏡をかける。「児童公園に変死体」という、ごく小さな記事が眼に入った。

 昨夜の十一時過ぎ、帰宅途中のサラリーマンが児童公園に女性が倒れているのを発見。119番通報をしたが、すでに死亡していた。背中を鋭利な刃物で数ヶ所刺されたことによる失血死。被害者は市内に住む伊崎いざき菜穂子なほこ、四十一歳。知的障碍ちてきしょうがいがあり、市内A町の自立支援施設に通っていた。警察は、殺人事件と見て捜査を開始――

 そんな内容だった。

「人殺しの事件かね」

 嘆息混じりに私が言うと、部屋の奥から嫁――長男、宏樹ひろきの妻の有里子ゆりこがエプロンで手を拭きながら現れた。

「怖いわねえ。菊井さんたちがゲートボールやってる公園でしょう? 江美、あなたも最近遅いから、お母さん、迎えに行こうか?」

「いいよ、子どもじゃあるまいし」

「子どもでしょ!」

 有里子と江美が言い合う。まるで姉妹のような母と娘の姿――毎朝の光景だ。

 私は、妻を亡くしてしばらく一人で暮らしていた。が、そろそろ八十の声を聞く頃、宏樹から「同居しないか」との申し出があった。厄介者の年寄りが増えるだけだ。私は固辞した。が、宏樹よりもむしろ、有里子が「どうしても」とあまりに強く言うので、住んでいた市営住宅を引き払い、この家で同居を始めた。

 もともと、この家も土地も、私がかつて買ったものだった。が、妻の死を機に、生前贈与という形で、預貯金の大半をはじめ、すべてを宏樹に譲っている。我が子可愛さ、という気持ちがないといったら嘘になる。が、土地も建物もお金も、もはや私には必要のないものだ。

 一人息子の宏樹は、口には出さないが、私へ引け目を感じているのかもしれない。その点を宏樹に直接尋ねたことはない。

 その宏樹は現在、シンガポールへ単身赴任中だ。三年の期限の最後の年だったはずだが、支社で業績を上げたのか、あと一年延期して欲しい、と本社から命じられたらしい。

 江美は、現在大学二年生で二十歳になったばかりだ。専攻は「進化生物学」とやらだそうだが、福祉に関するサークルに入っていた。

 実は、江美の上には兄がいた。名前は航樹こうきといった。宏樹と有里子にとってはじめての子であり、私にとっても初孫だった。この子は、ダウン症だった。歌うことが大好きで、とてつもなく透き通った笑顔を見せてくれる少年だった。彼が十二歳の時、公園からボールを追いかけて道路に跳び出し、タクシーに撥ねられて亡くなった。四歳違いの妹である江美が障碍者福祉に興味を抱くようになった一因には、兄の存在があったのかもしれない。

「どうして『どうもおばさん』だ、と思うんだね?」

 私は江美に尋ねた。

「だって、〈むすびの家〉で『いざきなほこ』って名札付けてたの、見たことあるし……」

 江美は納豆をかき混ぜながら答えた。

「着替えてから食べなさい、って言ってるでしょう!」

 有里子の叱責。ものともしない江美の食欲。毎朝の日常――平和な家族の姿。人の死を語るにふさわしい場とは言えない。

 〈むすびの家〉とは、江美がサークル活動で、ヴォランティアとしてサポートを行なっている民間の障碍者自立支援施設だ。つい最近までは「授産所」と呼ばれていた。

 二十名あまりの知的障碍者の就労支援を行なっている。私も何度か、〈むすびの家〉主催のバザーに顔を出したことがあった。「どうもおばさん」に会ったのは、市の主催で開催された「ふれあいまつり」だった。もう二年近く前になる。

 公民館のホールでは、地元のミュージシャンやブラスバンドが演奏し、「障碍者」と「健常者」の混成グループによる合唱、会議室では手話教室、外の駐車場には模擬店が並んだ。江美たちのサークルのメンバーも、ヴォランティアとして運営に携わっていた。

 私は、江美が手伝っている焼きそばの模擬店に顔を出した。そこで「どうもおばさん」と出会った。

 テントの前に置かれたテーブルに着き、注文した焼きそば――イカ抜き、キャベツ少なめ、マヨネーズなし――を待っていると、

「どうもどうも、ごめんなさいごめんなさい」

 声に振り返った。

 視線を脇に背けるようにしながら、私に焼きそばの載った皿を突き出す女性の姿があった。

 皿を受け取ると、その女性はすぐに私から去ろうとした。私は皿を見て、すぐさま彼女の背中に声をかけた。

「あの、ちょっと」

 女性は、おそるおそる、といった様子で私を振り向いた。やはり、視線を私に向けようとしなかった。

「箸をいただけないかな」

「あ、どうも、ごめんなさいごめんなさいどうもどうも……」

 言いながら、テントに割り箸を取りに戻った。

 それが「どうもおばさん」――伊崎菜穂子との出会いだった。

 それから何度か、江美に誘われるままに〈むすびの家〉主催の「朗読の会」を聴きに行ったり、料理教室に――さすがに作る側ではなかったが――顔を出したり、その活動に少し関わっていた。

 その都度、「どうもおばさん」と顔をあわせた。彼女が私の顔をちゃんと覚えているのかどうか、それは推し量ることはできなかった。焼きそばの屋台での初対面のとき同様、彼女はいつも私に向かって――他の人びとに向かっても――「どうもどうも」と「ごめんなさい」を繰り返した。

 ヴォランティア・サークルの江美たちが、彼女のことを「どうもおばさん」と呼び始めたらしい。が、親しみを込めて彼女たちが呼ぶと、それは侮蔑的には響かなかった。

「ねえおじいちゃん、〈むすびの家〉に行って、詳しい話を訊いてくれない?」

 江美がご飯で口をもぐつかせながら言った。

「食べるかしゃべるか、どっちかになさい!」

 すささず有里子が言う。

「なぜ、私が……」

「だって、わたしは朝イチから講義だし、お母さんは仕事だし。だったら、消去法でおじいちゃんしかいないじゃん」

「いや、私が言うのは……」

「わかってる。どうして関わり合いになるのか、ってことでしょ? もちろん関わる必要なんて、全然ないよ。でも、『どうもおばさん』は他人じゃないから。おじいちゃんだって、あの人のことを『他人』だとは思ってないでしょ?」

 早口にまくしたて、鋭い目線を私に向ける。いったい、誰に似たのか。

「わかった、行ってみよう」

 ちょっとした義理を果たすだけだ。私は軽く答えた。

 義理の重さを知っていたはずなのに。


 〈むすびの家〉まで、徒歩では私の脚で三十分近くかかる。およそ十キロ圏内なら、私はどこへでも歩いていく。有里子は「年寄りの一人歩きは危険だ」と私が出歩くのを好まない。が、私にとっては、体が衰えて歩けなくなることのほうが危険だ。

 この家に厄介になってから、有里子と、出張中の宏樹の強い勧めで、携帯電話という代物を持たされた。年寄りと子どもは同様に扱われる――歳を取ってはじめて実感する事実。

 戦災を逃れた地域に、〈むすびの家〉はあった。私が若い時分の一時期を過ごした土地でもある。平屋の民家が多く、道幅が狭い。住人は、何世代か前からずっとこの街に根を下ろして生きてきた者が多かった。

 旧街道から一本裏に入った住宅地に〈むすびの家〉は建っていた。二階建ての民家を改築して作られている。引き戸の上に手書きの看板が出ていた。丸っこく、達筆ではないが、個性的で面白い文字だ。利用者が書いたものらしい。

 ふと、すぐ隣の家の白壁の異変に気づいた。

 ――むすびの家の改築は許しません!

 ――むすびの家の精神障害者受けいれ絶対反対!

 印刷されたビラが貼られている。真っ赤なゴシック体の文字。よく見ると、向かいの家のブロック塀、角のクリーニング店、あちらこちらに、ちょうど〈むすびの家〉を包囲するかのように貼られている。

 明らかに、漂う空気の質がいつもとは違っていた。

 さらに、すぐ脇に一台のセダン――すぐにそれが警察車輌だと私は確信した。

 インタフォンのボタンを押そうと腕を伸ばすのと同時に、内側から引き戸が開けられた。

 現れた目つきの鋭い二人の男――一人は五十代後半、もう一人はまだ二十代後半か。彼らは「一般人」に溶け込もうと努力をしているのかも知れない。が、いつもそれは徒労に終わる。今も昔も変わらない。

 年嵩の――と言っても私より二十以上若い――男の表情が一変した。

「これは奇遇です。たいへんご無沙汰してます。この街に帰ってらっしゃったことは存じ上げていましたが、ご挨拶が遅れました」

 いけしゃあしゃあと言ってのけた。何のことはない。私の身上調査はずっと続いている、ということだ。

「ずいぶんと矍鑠かくしゃくとしてらっしゃいますな。また何か『お仕事』でも始められるんですか?」

「冗談じゃない。私はただの老いぼれだ。越阪部おさかべさんこそ、じき定年じゃないのかね?」

 越阪部の皺の多い四角い顔が、いっそう皺を増した。

「片づけなきゃならないヤマがいろいろ残ってるので、そう易々やすやすと退職なんかしていられませんよ。ところで、あんたがなんでまたここに?」

「任意の事情聴取なら、応じるつもりはない」

「変わらないな。ま、あんたのような人が、精薄せいはく殺しみたいなチンケなヤマを踏むとは思えないがね」

 口調が変わった。明らかに、刑事の元犯罪者に対するそれだった。

「二つ、訂正しなさい。一つは伊崎さんを『精薄』と呼んだこと。もう一つは『チンケなヤマ』と言ったこと」

 私が言うと、越阪部は鼻で笑った。

「あんたに説教されるほど落ちぶれちゃいない。まさかあんたがこのヤマに関わってるとはね。いずれ改めて話、うかがいに行きますよ」

 越阪部は言い捨て、若い刑事を連れてセダンに乗り込んだ。

 ほぼ同時に、入り口の奥からおずおずと姿を現したのは、一人の若い女性だった。江美よりは少し年上か。〈むすびの家〉利用者の一人だ。何度か会っているので顔は覚えているが、名前はいつまでも頭に入らない。歳を取るとはこういうことだ。名札を見ると「ひがしのまゆ」とある。

「おじいちゃん、刑事さん行っちゃった?」

「ああ、もう帰ってしまったよ」

 不意に、東野ひがしのまゆは泣き出しそうな顔になった。

「江美ちゃんは?」

「ごめん。用事があって来られないんだ」

「怖い刑事さん来て、センセいじめて、あたしたちもいじめて……伊崎さん、もう歌ってくれないのに……。センセもあたしもミツヤ君もアキヨシさんも泣いてるのに、刑事さん、ずっと意地悪して……」

 私はそっと東野繭の肩に手を置いた。

「落ち着きなさい。もう大丈夫だ。二度とあの刑事たちに意地悪はさせないよ。約束する」

 靴を脱ぎ、しゃくりあげる東野繭とともに、室内へ上がった。


 〈むすびの家〉代表の内田うちだみつるは、憔悴しょうすいしきった表情をしていた。「ひまわりの間」と呼んでいる十八畳ほどの洋間は、普段なら施設利用者が自由に談笑するためのスペースだった。しかし、今ではソファにたった一人、肩を落とした内田が座り込んでいる。私と東野繭が入ってきたことにも気づいていない様子だった。

「内田さん、このたびは……」

 陳腐な台詞が口を付いて出た。が、内田の憔悴を目の当たりにすると、それ以上の言葉を発することができなくなった。

「まさか菜穂子さんが……あんなむごいことに……」

 内田は言葉を詰まらせた。その双眸そうぼうから、涙があふれる。

 彼は、還暦を少し過ぎた痩せぎすの男だった。一見、学者風だが、かつては大手家電メーカーの技術者だったらしい。妻が若年性のアルツハイマーに罹ったことをきっかけに、五十になるかならずで退職し、その後は妻の介護にあたっていた。が、その妻が亡くなったあと――その原因は聞いたことがない――この家を購入し、大幅に改築して〈むすびの家〉を作ったという。

「私も驚いています。しかし、新聞に載っていることしか知らないのです。詳しいことを何か、ご存じですか?」

 私の問いに、内田はかぶりを振った。

「病院で……霊安室で……正面から顔を見られませんでした」

「伊崎さんのご家族は? どちらに暮らしているんですか?」

「あの人のご実家は隣の県にあるんですが……ご家族とは疎遠なようでした。菜穂子さんは、私が保証人になって、近くの県営住宅に一人で住んでいたんです。例の……児童公園の近くの。朝から夕までほぼ毎日、ずっと〈むすびの家〉に来ていました」

「それでは、夜は県営住宅に帰宅していたんですね。お一人で?」

「ええ、毎晩、八時には。ここから歩いて十五分もあれば、帰れますから。昨日の夜も、八時過ぎにここを出て……」

 そこで内田は言葉を詰まらせた。

「伊崎さんのお通夜は?」

「それが……」

 内田は口ごもった。

 伊崎菜穂子の通夜と葬儀は親族だけで行なう、と伊崎菜穂子の親から内田のもとへ連絡があったという。言外に〈むすびの家〉の内田や利用者の参列を拒む意味が込められているのは明らかだった。

「おかしなことを訊きますが、伊崎さんが誰かに恨まれていた、あるいは嫌われていた、などということは……?」

 私が尋ねると、はっとして内田が顔を上げた。

「まるで刑事さんのようなことをおっしゃいますね。あるはずがないでしょう。もちろん、大勢の利用者がいる施設です。たまには喧嘩だって起きます。けれど、菜穂子さんがいさかいに関わるようなことはありません。あの人は、特に争いごとが嫌いな方でした。おそらく……想像ですが、子どもの頃、ご家族から優しくされたご経験がなく、つらい思いばかりしていたのではないかと……」

 内田は口をつぐんだ。

 私は思案した。「どうもどうも」と「ごめんなさい」が口癖になってしまう子ども時代を送った女性——私はもっと彼女と会話をしておくべきだったのか、とはじめて痛みとともに感じた。

 内田は、じっと壁のほうを見つめていた。そこには、施設利用者の描いた絵や版画が貼られていた。

 一際ひときわ、目立つ絵が二枚あった。一枚は、公民館で行なわれた「ふれあいまつり」が描かれていると、一目でわかった。きわめて細密に描かれている。

 近づいた。よく見ると「点描」というのだろうか、色とりどりの無数の点によって、立ち並ぶ屋台、並ぶ人びとの姿が描かれている。もう一枚には、どこかの公園が描かれている。夜だ。街灯の下に一人の人物。手に持っている黒く細長いものは、笛だろうか。その背後の闇のなかに、うっすらと赤いロケットのような形のジャングルジムが立っている。その右手奥のほうには、緑色っぽい小山のようなものが見える。

「伊崎さんの絵ですか?」

「そうです。あの方には、不思議な力がありました。〈サヴァン症候群〉をご存じですか?」

 私はかぶりを振った。

 内田の説明は、私には少々難しすぎた。知的障碍がありながら、ある特定の分野に関して、異常なほど天才的な能力を発揮する人がいるという。百年後の何月何日が何曜日か、たちどころにわかる人。何千冊分もの本を丸暗記できる人。とてつもない速度で複雑な暗算ができる人――

「菜穂子さんには、二つの能力がありました。一つは、この絵です。屋外で写生したんじゃないんです。この部屋で、記憶を頼りに描いたんですよ。しかも、このスーラのような点描の技術は、誰にも教わっていないんです」

 私には「スーラ」が何者なのか――あるいは何物であるのか――知らなかったが、伊崎菜穂子という人が授かっていた才能の一端は理解できた気がした。

「もう一つは、音楽です。一度聴いただけで、ほとんど同じメロディをピアノで弾いたり、口ずさんだりできました。それが、〈サヴァン〉の菜穂子さんの素晴らしい才能でした」

 そう言うと、内田はポケットからティッシュを取り出し、目元を拭った。

「菜穂子さんだけじゃないんですよ。みんな、誰にでも、何らかの可能性を持っているんです。それを『才能』と呼ぶなら、『障碍』だって、一つの『才能』じゃないですか? 私はそう思うんです」

 私は、うちひしがれた様子の内田に、伊崎菜穂子の住んでいた県営住宅の住所を訊いた。彼は、メモ用紙に県営住宅と、伊崎菜穂子の実家の住所を記した。それを受け取り、〈むすびの家〉を出た。


「ひとつの死」第2話へつづく

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