第95話 遠く遠く、空より遠く

 レーキが死の王となって、百年の月日が流れた。

 その間にレドとカァラを、そして孫達を死の国に迎えた。

 死の王は一人、百年後の星空を見上げる。

 孫たち、弟子たちは血を繋ぎ、レーキの愛する『家族』はますます増えて行く。

 アガートとカァラは、死の国の土に溶けていくまでの時間に、死の王の片腕となって働いてくれた。

 レドは死後も平穏に、自分の家族と共に在ることを選んだ。



 数百年が過ぎた。

 常にレーキの傍らにいたラエティアは、とうとう死の国の土となった。

 その間に、レーキの『家族』たちは世界中に散らばり、その時その時に、かけがえのない時間を生きる。

 死の王はその全てを、死の国に迎え入れた。

 彼らのために、彼らの家族のために、そして彼らの友人たちのために心を砕いた。

 大勢のレーキの子孫たち、友人たちの子供たちは。


 ある者は王の血筋と交わって、地上の王となった。

 ある者は偉大な天法師となり、人々を導いた。

 ある者は酒に賭け事に溺れて身を持ち崩し、裏路地でひっそりと息絶えた。

 ある者は、家族の愛情をその身に受けることもなく幼くして死んだ。


 その全てが。死の王にとっては愛しい血の筋。

 次第に、地上は愛しい者たちであふれていく。



 今日も死の王は、死に行く定めの者の前に現れる。

 その、もうじき死者になる者は、薄暗い部屋で玉座に座っていた。

 部屋中に漂う血の臭い。死者になる者は胸部に開いた風穴から大量の血を流していた。この傷では命は助かるまい。そんな大きさの傷だった。

 玉座の背後にある大きな窓からは、月光の冴えた光が差し込んで、それだけがその豪奢ごうしやな造りの部屋を照らす。

 部屋の外は騒がしいのに。この部屋は死に行く者をいたむように静寂に包まれていた。

 ここは王の間。城の中にあって、王が謁見えつけんの為に利用していた部屋だった。

 音もなく突然に。死の王は玉座に向かって敷かれた絨毯じゆうたんの上に降り立つ。

 新しい死者に向かって手を広げ、死の王はただ「迎えにきた」とだけ告げた。

「……っ」

 新しい死者は顔を上げる。逆光になって、その顔はよく見えないが、息を飲む音がした。

 ゆっくりと新しい死者は立ち上がった。額にいただいた冠はねじくれ、こめかみから突き出した一対の角の片方は無残に折り取られ、残った片方も先が欠けている。

 ふらふらと死の王に近寄る長身は、どこもかしこも傷だらけで。

「……レーキ……レーキ、なの……?」

 呼びかける声はひどく弱々しかった。

「ああ。そうだ。友よ」

「……なんで、レーキがここに……?」

 躊躇ためらいがちに、新しい死者は腕を伸ばす。その手は乾いた血にまみれていた。

「……俺は……『呪い』を解くために死の王と取り引きしたんだ。新たな死の王になると」

 死の王は静かに告げる。新たな死者は苦痛に喘ぎながら、片足を引きずって死の王の前へとすすむ。

「……ああ、そっか。レーキは死の王さまに、なったんだね……?」

 玉座が落とす影から姿を現したのは。死の淵に立つ幻魔・イリスだった。

「……ああ、ああ……! 会いたかった。ずっとずっと、君に会いたかったよ……!!」

 今すぐ駆け寄りたいのに。イリスは一歩一歩もどかしそうに歩を進める。

「俺は、君に再会する日がこんなに早く来るとは思っても見なかった」

 瀕死の旧友を、死の王は見つめる。その表情は、友の傷を痛ましく思っているように見えた。

「……僕、頑張ったんだ……僕が生きてるってことは君が『呪い』をどうにかしたってことでしょう? だから君や君の大切な人たちに迷惑かけたくなくて、頑張って、頑張って……魔の王さまになったんだ」

 ゆっくりと、青年のそれだったイリスの姿が子供の姿に変わっていく。姿を変えたイリスは死の王に駆け寄った。その身体から痛々しい傷が消えていく。

「僕が魔の王さまになれば、外に出たいって人たちを抑えておける……魔のヒトたちを島の外に出さないで済むって思ったんだ」

 死の王の腕に飛び込んだ瞬間、イリスはうれしそうに微笑んだ。だが、その表情はすぐに曇って行く。

「……でも、それも限界なんだ。魔のヒトも普通のヒトも、みんな島の外に出たがってる。……僕、失敗しちゃった。お前みたいに弱腰な魔の王さまはいらないって言われちゃった……みんなが僕を殺せって言うんだ……シーモスも一生懸命、僕を助けようとしてくれたけど……先に君の国に行ったでしょう?」

「ああ。君の所へ戻らなくてはって、ひどく取り乱していた」

「僕がいないから、島の結界を壊すのはスゴく大変だと思うけど……魔のヒトたちは島の外に出る。そうしたら、外のヒトたちと戦うことになる……ごめん、ごめんね。レーキ……」

「……君が、謝ることじゃない。君は今まで数百年も良くやってくれた。礼を言う。……もう、ゆっくり休んでくれ」

「うん……ありがとう」

 旧友の腕の中で、子供の姿のイリスは眼を閉じる。

 その瞬間に。玉座の上に残されていた魔の王の遺骸いがいは、塵と砕けて闇に消えた。



『呪われた島』の結界が打ち砕かれる。

 幻魔と魔人、その信奉者たちは解き放たれた。

 世界の全てを魔のモノとするために、彼らは次々と人の街を襲撃する。

 彼らの先頭に立つのは、イリスをほふって魔の王を僭称せんしようした幻魔。それは『苛烈公』でも『冷淡公』でもなかった。

 イリスが魔の王であった時代に『苛烈公』は粛清しゆくせいされた。それを恨みに思っていた『苛烈公』の派閥の幻魔が、クーデターを起こした張本人だった。


 死の国に大勢の戦死者たちが増えていく。

 兵士、騎士、戦士、天法士、幻魔、魔人、そして無辜むこの人々。

 両方の陣営のヒトビトが、死の国にやって来た。

 死の王に出来るのは、死んだ者を迎えること。

 そして、この戦いが早く終結することを祈ることだけ。

 魔のモノたちは数の上では劣勢だったが、強力な能力をもっていた。

 各国の天法士団は『禁忌』を解放する。レーキの弟子たちの遠い弟子たちが、何百人と犠牲になった。

 次第に戦いは苛烈さを増した。人の陣営にも魔の陣営にも、甚大な被害が出た。

 魔の陣営は『呪われた島』を海に下ろした。空飛ぶ島は、維持するためにコストがかかりすぎる。

 いよいよ『島』を浮かせていた魔法士たちも戦に駆り出された。

 最後の決戦が始まる。天法と魔法、地形を一変してしまうほどの、強大な術と術とかぶつかり合った。

 見渡す限りの荒れ野となった戦場で、人の先頭に立つのはウルス・レスタベリと言う名の将軍。

 遠い祖先の面影をその横顔に宿した彼の号令の下、人の連合軍は勇敢に戦う。

 死の王は戦場に降り立って、敵味方の彼我ひがなく全ての死者を抱擁する。

 数に劣る魔の陣営は、次第に人海戦術を採る人の連合軍に押されていく。

 魔の陣営が戴く王は偽の王。正式な魔の王ではなかったために、幻魔を新しく任じることが出来ない。魔のヒトは数を減らし、信奉者たちも魔の陣営を密かに離れて行った。

 決着がついたのは、この戦いが始まって五年の月日が流れた後。

 とうとう偽の王は捕らえられ、魔の陣営は瓦解がかいした。

 生き残った魔のヒトはごく少数で。彼らはいずことも無く姿を消した。

 この大きな戦いは人の連合軍の勝利で幕を閉じ、それ以降、表立って人と魔が大きくぶつかり合うことはなくなった。



 数千年が過ぎた。

 魔のヒトビトの残滓ざんしも時間をかけて、死の国の土に還っていく。

 イリスは数千年に亘って、死の王の友であり続けたが、最後は謝罪を残して消えた。

 死の王は変わらず死者を迎え続ける。

 世界は移ろう。

 地上の王の時代が終わり、民が自らの舵を民の代表に預ける時代がやって来た。

 ヴァローナで初めて民の代表になったのは、クラドと言う名のホテル王だった。

 天法はさらに発展を遂げ、天法士ではない市井の人々も気軽にその恩恵に与れるように改良された法具が大量に作られるようになった。

 人々の暮らしは豊かになったが、一方で富める者と持たざる者の差は開いて行く。

 何度か大きな戦が世界をおおった。

 富を資源を土地を。豊かであることが絶対的な価値観のように。

 人々は争い、その度に死者は増えた。

 それでも、死の王は死者の中に、家族の、友の、懐かしい面影を何度も見る。

 レーキの血は限りなく薄まったが、今ではこの世界に生きる全ての人々が彼の子、孫たちと同じだ。生きる者、死んで来る者、全てが愛しい自分の『家族』。

 愛情をもって、死の王は職務を続ける。



 数万年が過ぎた。

 今や人の領域はこの星、フィレミアの外へとおよんでいた。

 沢山のレーキの子孫たちが、人口の増えすぎたこの星から飛び出して、星の船で新たな星、新たな世界を目指して飛んで行く。

 その頃から、竜人たちは地上にいた人々と親しく交わるようになった。

 彼らは天法とも魔法とも違う、『科学』とも呼ばれる不思議な術を操った。その術を得て、人はさらに人の世界を広げて行く。

 新たな星では、その星の天王が新たに選ばれる。それは死の王も例外ではない。

 フィレミアの外、双子月の軌道を越えて死んだ者は、フィレミアの死の国にはやって来ない。

 それでも、フィレミアに残った人々は数多く、死の王の仕事は増すばかりだ。



 数億年が過ぎた。

 学者たちは、五億年後にフィレミアは滅びると主張する。

 この星が仰ぎ見る太陽は、誕生から百億年の後、ガス状の星雲となって死んでしまう。その過程で、赤色巨星となり、フィレミアを含む近隣の星々は太陽に飲み込まれて塵も残さす消えてしまう、と。

 フィレミアに残っていた人々は、新しい星に、新しい世界に、移住を始めた。日ごとにフィレミアの死の国にやってくる死者の数は減っていく。

 五億年も先の事など思い煩わない者たちは、住み慣れたこの世界を離れ無かった。

 ネモフィラと言う名の学者は、星の最期さいごを感じるためにここで生きると言った。

 結局、ネモフィラの子供たちも最後までこの星を離れなかった。



 五億年が過ぎた。

 膨れ上がった太陽の熱が、近くの星々をいた。

 フィレミアも水分と言う水分が干上がった。海が消えたことで海に生きるモノが死んだ。水分を必要とする陸棲りくせいの生き物の姿が消えた。この星に残っていたわずかな人々もみな死に絶えて久しい。

 最後の死者が死の国の土に還って、死の王は思考する事を止めた。

 死の王はただ一人。

 孤独にその時を待っている。

 既に永すぎる時のなかで、心は鈍化し感覚は磨り減り、自我を保つことも難しい。

 それでも彼は待っている。


 この星が太陽に飲まれて、消滅する。

 この星の死の王である自分の責務が消滅する。


 その時を。

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