第84話 十年後の再会

「よー。元気だった?」

 十年ぶりに直接会うアガートは、相変わらず年齢の解らない顔をしていた。

 少しの無精髭ぶしようひげと伸び放題にした黒い髪。学生も教師たちも着る黒いローブ姿で、レーキ一家を出迎えたアガートは、ずり下がっていた眼鏡を指で押し上げ、茫洋ぼうようと微笑んだ。

 まるで時が十年前に戻ってしまったようだ。

 レーキとアガートはヴァローナ風の挨拶をして、抱擁を交わした。

 十年前見習い教師だったアガートは、今では教師用の個室を与えられていた。

 机の周りに張り付けられた無数のメモ、床に散らかったままの書籍や資料。それはまるで規模が大きくなった寮の部屋の再現のようで。そんな所まで、アガートは変わらなかった。

「はい。一家揃って元気でやってました。あなたは本当に変わりませんね」

「そうかなー? 最近は徹夜とかちょっと堪えるようになってねー。無理が利かないって言うのかな。試験期間の前後なんかもう大変」

 教師として、問題作成や採点で忙しいのだろうが、アガートが言うとそうは聞こえない。まるで、試験に追われる学生のようにすら見える。

「手紙、ありがとうございました。教授になられたとか。おめでとうございます」

「ああ、うん。ありがとー。まったく責任ばっかり増えていってね。苦労を背負い込んでるよー。それにしても、おチビちゃん、大きくなったなー。オレも歳をとる訳だ」

 とほほと苦笑するアガートにカァラは、「お久しぶりです。カァラです。アガートさま」と一礼した。

「やあ、久しぶり。カァラちゃん。そちらのご婦人は愛しのラ、ラ……ラエティアちゃんだね! はじめまして。オレはアガート・アルマン。学生時代はレーキと同室だったんだ」

「愛し、の……? はい。アガートさま。はじめまして。わたしがラエティア・アラルガントです」

 ラエティアとアガートは、今日が初対面で。二人はにこやかに挨拶を交わした。

「君からの手紙がくる度に、レーキはそりゃー大喜びしてたからねー。それで、『愛しのラエティアちゃん』、さ」

「あ、それで、愛しの……その、そんな……」

 アガートの言葉に、レーキとラエティアは顔を見合わせて思いがけず赤面する。

 二人の反応を満足げに眺めて、アガートはカァラに向き直った。

「所でカァラちゃんは、今度の入学試験を受けるつもりなんだろ?」

「はい。私、ここで勉強してアガートさまや父のような天法士になりたいんです」

 カァラの真っ直ぐな眼差しを、アガートは目を細めて受け止める。

「うんうん。がんばれよー。でも、君のお父さんみたいに頑張りすぎて体こわすなよー」

「そんなことが、あったの? レーキ……」

「あれは……精神的に少し参っていただけで……」

 ラエティアは気遣わしげに、普段は風邪などもひかぬ丈夫な夫の顔を覗き込む。レーキは困り顔で、心優しい妻を見た。

「でも倒れたのは事実だろー?」

 にやりと人の悪い笑みを浮かべて、アガートは無精髭を撫でている。

「でも、私が体調を崩したらアガートさまが看病してくださるんでしょう?」

「……う。まあ、そうなるだろうなあ。君は親友の大事な娘だからねー!」

 カァラの一言に、アガートは一本取られたとでも言いたげに笑う。

「そう言うことでさ。君たちの大事な娘さんのことはオレが預かろう。女子寮に空きがあるから、試験までそこで過ごすといいよー」

「ありがとうございます。助かります」

「どうぞカァラちゃん……カァラを、よろしくお願いします」

 レーキとラエティア夫婦は、そろって深々と頭を下げた。アガートは面映ゆそうにがりがりと頭をいて、来客用の椅子から本を片付ける。

「ま、まずは積もる話ってヤツをしようぜ。今日、オレの受け持ちは遅い時間のコマだから。それまで時間がある」


 十年分の空白を埋める。アガートとは年に一、二度は手紙のやりとりをしてはいたものの、書面で語りきれなかったことは山ほどあった。

 この十年で、天法院におけるセクールス院長代理の体制は確立され、若いがやる気のある有能な教師が多く重用されていること。

 二年前、ズィルバーは義肢法具ぎしほうぐの研究をさらに発展させるために、職人が多い故郷、ニクスに帰ったこと。

 去年の夏、コッパー前院長代理が八十六歳で亡くなったこと。

 アガート自身は依然として独身で、浮いたうわさの一つもないこと。

 他愛無いことも重要なことも。時にアガートが語り、レーキが語り、互いに相づちを打つ。

「……それで、また『謁見えつけんの法』をやるつもりなんだね?」

 アガートが姿勢を正してレーキに向き直る。

「はい。ちょうど死の王様が告げた十年の節目ですから」

「君の祭壇はちゃんとここにあるよー。今回もオレが手伝う。うーん。ズィルバー君がここにいればなー。彼も手伝ってくれただろうけど……」

 部屋の隅には、祭壇とおぼしき塊が布に包まれて置いてある。アガートは思案顔でそれを一瞥した。

「もう一人の助祭じよさいに誰か心当たりは有りませんか? もちろん報酬は用意してあります」

「うーん。……ごめん、すぐには思いつかないなー。とりあえず日付を決めない? 四日後の『つちの曜日』とかどうかな? その次の週はもう『学究祭』だし」

『学究祭』を前にして、学院中がその準備に追われている。アガートの後輩に当たる教師たちも、セクールス院長代理も今はみな忙しいのだろう。

「はい。俺は次の『土の曜日』で大丈夫です。その……無理を言ってすみません。しかも『学究祭』の準備で忙しいさなかに……」

「ううん。オレたち教授は当日は休みだからね。気楽なもんさー。実習室使えるようにセクールス院長代理に今からかけあってみよう。ついでに助祭のあてがないか聞いてみようよ」

 良いことを思いついたとばかり、アガートは手を叩いた。確かに、セクールス院長代理にも会っておきたい。レーキは賛成する。

 早速、一同は院長代理の部屋へと向かった。

 かつてコッパー前院長代理が使っていた頃は、不思議と和やかで日当たりも良かったその部屋は、新しく本棚を全面に設えられてセクールスの蔵書で埋め尽くされている。

 薄暗いのに、なぜだか居心地の良い部屋の真ん中で、セクールスは何かを一心不乱に書きつづっていた。

 組織の長と言う立場は苦労も多いのだろう。十年前は黒々としていた髪には白いものが混じり、眉間の皺はますます不機嫌そうに深く刻まれていた。

「セクールス院長代理せんせい。『天王との謁見の法』をやるためにレーキが着きました。実習室の使用許可出してください」

「そうか」

 書類から顔を上げて、セクールスは戸口に立っているアガートとレーキ、それからラエティアとカァラを順繰りに見た。

「セクールス院長代理、お久しぶりです」

 ふかぶかと頭を下げるレーキとその横で同じ様に挨拶する、ラエティアとカァラ。セクールス院長代理は静かに女性二人を見つめる。

「その、獣人ベースティアの女性と鳥人アーラ=ペンナの小娘は誰だ?」

「俺の妻と娘です。娘は天法院への入学許可をいただくために試験を受けさせていただきます」

「ほう。娘にはもう王珠おうじゆを持たせたのか?」

「はい。黒色に輝きました。それから俺が教えられることは全て教えました」

 レーキの言葉に、セクールス院長代理はひとみを細めた。それから、カァラに命じる。

「……レーキ・ヴァーミリオンの娘。火球と光球を両手に一つずつ作って見せろ」

「あ、え、はい! ……『火球ファイロ』『光球ルーモ』」

 突然の命令にカァラはわずかに躊躇ためらうが、難なく二つのきゆうを操って見せる。

「片手に二つの光球、もう一方の手に二つの火球を制御出来るか?」

「はい。こう、ですか?」

 セクールス院長代理はつぎつぎとカァラに課題を出した。カァラはそのどれにも的確に対応する。最後に手のひらに小さな雷を呼び出させて、セクールス院長代理は小さく嘆息した。

「……父親より娘の方が、余程出来がいいぞ」

「はい。自慢の娘です」

 レーキは胸を張って、そう言いきった。カァラは覚えが早く、覚えたことを忘れない。柔軟に物事を考え、習い覚えたことを応用することも得意だった。

「入学試験を受けろ、娘。そして合格しろ。優秀な天法士は多いほど良い。……お前、名は?」

「はい。カァラ・ヴァーミリオンと申します。セクールス院長代理さま」

 カァラは緊張も控え目に、優雅に一礼する。

 セクールス院長代理は鷹揚おうように頷いて、かたわらのパイプを手に取ると薬草の葉を詰めた。火種を放り込み、深く一服する。

「良くはげめよ。ヴァーミリオンの娘。いずれ私を楽しませてくれ……それで? 結局この十年で『呪い』は解けなかったのだな?」

「はい。残念ながら」

 セクールス院長代理は眉間の皺を深くして、パイプを口元に運んだ。

「……解った。実習室の使用を許可する。だが助祭の当てはあるのか?」

「はい。一人はアガート教授が勤めてくれます。もう一人はまだ目処が立っていません」

「そうか。いっそのこと、旅人のためのギルドで四ツ組の天法士を雇ったらどうだ? 今の時期はこの街に人が集まる。中には使える者もいるかもしれん」

 ああ、その手もあるのか。旅人のためのギルドには、天法士としての仕事を求める者たちもやってくる。その中には、対価と引き替えに手を貸してくれる四ツ組以上の天法士もいるだろう。

「有り難うございます、セクールス院長代理。『土の曜日』までに助祭を探します」

「ああ。今度こそ『呪い』を解け。そして己の人生を生きろ」

 セクールス院長代理はそれだけ言って、書類に視線を戻した。


「そう言えば……天法士のギルドってありませんよね? 商人や傭兵や旅人なんかはギルドがあるのに」

 院長代理の部屋を辞して、レーキはふと疑問を口にする。アガートはオレの憶測だけどね、と前置きしてその理由を語ってくれた。

「ああ、天法士はどうしても天法院に行かないと王珠を貰えないだろ? だから各学院の影響力が強くなるんだよ。その結果、学院単位で結束したりするのさ。それがギルドの代わりだよ。それに『旅人のためのギルド』って強力なギルドがあるからね。わざわざ天法士ギルドを作らなくてもみんなそっちで事足りちゃうのさ」

「なるほど」

「……さて。ちょっと遅くなっちゃったけど、昼飯にしないか? オレは腹が減ったよ」

 アガートの言葉に誘発されたように。タイミングよく、誰かの腹の虫が切なげにきゅうるる……と鳴く。

 カァラがおずおずと手を挙げて、「あの……私、です……」と申告した。

「うんうん。君は育ち盛りだからなあ。それじゃあみんなで食堂に行こう! 今日はアガート教授の奢りだよ!」

 そう笑って、アガートはレーキ一家と共に食堂に向かった。

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