第81話 長い夜のはじまり

 結局、長い間使用していなかった師匠の家にそのまま泊まることは出来なかった。

 それで、村に到着した晩、レーキたちはアラルガントの家にお世話になることになった。

「……あ?! 嘘だろ! レーキだ!!」

 アラルガント家の扉を開けるなり、レーキが村を出た時五歳だった末息子、ラグエスが飛び出してきた。ラグエスは今年で十歳。すっかり腕白そうな少年に成長していた。

 彼はレーキを見るなり指を向けてくる。

「……なんでだよ! なんで子連れなんだよ! そいつ誰だ?! ティア姉ちゃんってひとがありながらさー!!」

「ラグ、ラグエス! 違う、違うの!」

 ラエティアは慌てて、カァラの事情を説明する。

「……でもさ、レーキがそいつの世話をするっていうなら、そいつの親はレーキじゃん」

「? ちがう。レーキはなかま。カァラに親はいない」

 胸を張って反論するカァラを無視して、ラグエスは唇を尖らせる。

「……ティア姉ちゃんはずっとお前のこと待ってたんだぞ! その間何人姉ちゃんをお嫁さんにしたいってヤツがきても全部断ってさ!!」

「え……」

 レーキがラエティアの顔を見ると、彼女は困ったように眉を寄せた。

「ラ、ラグ! そんなこと、どうでもいいの! レーキはちゃんと帰って来てくれたんだから!」

「良くねえよ!」

「……何を騒いでいるんだ?」

 家の前での騒ぎを聞きつけた、アラルガントの家長が戸口から顔を出した。

「父さん!」

「父さん、レーキが帰ってきたの!」

 アラルガントの父親は昔と変わらない静かな眼をして、レーキを見る。レーキは深く一礼した。

「……良く、帰ってきたな」

「はい。ただいま、帰りました」

「入りなさい。外は寒い」

 父親はそれだけ言って家の中に入ってしまった。ラグエスも毒気を抜かれたようで、「ちぇっ」と舌打ちして家に入った。

「ラグがごめんね、レーキ。……さ、中は温かいよ。入って!」

 ラエティアが開けてくれた扉から、アラルガントの家に入る。

 確かに室内は温かで、夕餉ゆうげの良い匂いが漂っている。

「よ! おかえり、レーキ」

家の中でくつろいでいたアラルガント家の次男が、軽く手を挙げる。

「……ふんっ」

ラグエスは腕を組み、鼻を鳴らした。

 ラエティアの兄弟は全部で四人。上二人と末っ子は男の子で、ラエティアだけが女の子だった。隣町までレーキを見送ってくれた長男は、すでに結婚して独立している。

 この家に残っているのは次男とラエティア、それからラグエスだけだ。

「おかえり、レーキくん」

 料理用の大きな木さじを片手に、ラエティアの母親が、台所から顔を出す。

 ラエティアの両親は二人とも獣人で、髪の色も眼の色も、一家揃ってそっくりだった。

 母親はラエティアより少し背が低くて、少しふっくらとしていたが、顔立ちは娘と瓜二つだ。

 村でも評判の料理上手で、彼女が作る山羊のチーズは隣町でもなかなか良い値で売れた。

 父親は森を開拓した土地で畑を作り、小さな牧場を作り、山羊を飼育していた。チーズを作るための乳も、その家畜たちから取れたものだ。

 だが、それだけでは暮らしが成り立たないので、森先案内としてかり出される事もあった。

 森の国で、一家は慎ましく、そして、たくましく暮らしていた。

「外、寒かったでしょう? ご飯出来てるよ。さあ、食べて行ってちょうだい」

 ラエティアの母親は、遊びに来た娘の友達にでも言うように夕食に誘ってくれる。

 アラルガントの父親も母親も、五年前と少しも変わらない。そのことに、レーキは安心した。

「ありがとうございます。俺より先に、こいつに夕飯を食わせてやってください」

 カァラは見知らぬ人々に囲まれて、いつもより少し大人しい。レーキの影から顔をのぞかせて、じっとアラルガント一家を見つめている。

「ほら、カァラ。挨拶しなさい」

「カァラはただのカァラです。よろしくです」

 レーキに促されて、ペコリ、とカァラは頭を下げる。それがアスールでは一般的な挨拶だった。

「まあー小さいお嬢さんねー! お歳はいくつ?」

「えーと、こんだけ?」

 カァラは指を四つ立てて、ラエティアの母親に見せる。カァラが母親と挨拶をしているうちに、ラエティアが父親と次男にカァラの事情を説明した。

 ラエティアの母親はレーキとカァラに配膳を手伝わせて、夕食を食卓に並べた。


「……それじゃあ、カァラちゃんはレーキくんとは血の繋がりはないのねー」

「はい。鳥人の黒い羽は珍しいので、遠い親類の可能性は捨てきれませんけど……俺自身が捨て子ですし、調べようは無いです」

 夕食に舌鼓を打ちながら、レーキはカァラとの出会いを改めて説明した。

 さすがに評判の料理上手、ラエティアの母親が作ったスープはとても美味かった。スープに添えられたパンは、ラエティアがつとめる店の余りものだ。

「ああ、やっぱり美味いな、アスールの、このパン……」

 しみじみと、レーキはラエティアの作ったパンを味わう。五年前、師匠のためにレーキのためにラエティアが作ってくれた、アスール流のパン。懐かしくて、美味しくて、心が温かくなる。

「おかわり!」

「……お、オレもおかわり!」

 カァラと競い合うように、ラグエスは夕食をおかわりしている。ラグエスは、カァラに敵愾心てきがいしんを燃やしているようだ。

 久々に味わう森の村での団欒だんらん

 レーキはせがまれるまま、天法院の事や『学究の館』の事、ヴァローナでの出来事をアラルガント一家に話して聞かせた。

 船から海に落ち、『呪われた島』にたどり着いた事は話せない。一家には外界と連絡の取れない離島に流れ着いたと説明する。

 始めは不機嫌そうにレーキの話を聞いていたラグエスも、天法院の授業や海での遭難を耳にすると、身を乗り出して話に聞き入っていた。

 夜も更けて。レーキは語れることの全てを話した。アラルガント一家も満足して、それぞれ寝室に向かう。

 明日は師匠の家に戻って、そこで暮らすための準備をする。ラエティアも、仕事を休んで手伝ってくれる。

 今日、カァラはラエティアの部屋で、一緒に眠っているはずだ。

 長男が使っていたベッドを借りて、レーキは眠りについた。


「……おはよう。レーキ。朝、だよ」

 明るい陽の光がまぶたに届く。優しい声がする。

 ゆっくりと眼を開けると、そこには、微笑みを浮かべるラエティアの顔があった。

「……夢じゃ、ないよな?」

「うん。夢じゃ、ないよ……?」

 柔らかなカーブを描く頬に、そっと手のひらで触れる。

 ラエティアはそっと、その手に頬を預けてくる。その感触は想像していたよりもずっと滑らかで、温かい。

「……おはよう。ラエティア」

「おはよう。レーキ」

 こうして言葉を交わすだけで。心が満たされる。その癖、ひどく乾いているような、もっと彼女に触れていたいような、もどかしい思いが募って。

 ああ。やっと。やっと帰ってきた。帰るべき所へ、戻るべき所へ。

 万感の想いをこめて、レーキはラエティアに触れる。ラエティアもそれを望んでくれているようで。

 見つめ合うひとみが互いだけを映して、それがとても幸福で。それなのに。

「……なーに朝からいちゃいちゃしてるんだよ……」

 部屋の戸口から、ラグエスの冷めた声がする。ぷいっと顔を背けたラグエスはほのかに顔を赤くして、腕を組んでいる。

 レーキは慌てて起き上がり、ラエティアは急いでベッドのそばから離れた。

「お、おはよう、ラグ……」

「おはよう、ラグエス……」

「……ふんっ! まあ仲がいいなら良いけどさっ……でも場所ってもんを考えろよな!」

 それだけ言い捨てて、ラグエスは出て行った。

「……あ、のね、朝ご飯っ、食べたらマーロン様のお家に行こう?」

「ああ。そう、しよう」

 今更ながら、気恥ずかしい。二人は揃って顔を真っ赤にしながら、朝の支度を始めた。


「はい。これ!」

 レーキはラエティアに預けていた、師匠の家の鍵を受け取った。朝食の後でアラルガント家を辞すると、レーキはラエティアとカァラを連れて、マーロン師匠の家に向かう。

 師匠の家の外観は、五年前とあまり変わっていないようだった。

 鍵を開けて、家の中に入る。インクと紙とほこりの匂いが、ふわりと鼻に届く。懐かしい。懐かしい師匠の家の匂い。

 テーブルも、チェストも本棚も、この家の中に有るモノの何もかもが変わらない。

 レーキは胸一杯に、師匠の家の空気を吸い込んだ。

 床に眼を転じると、人が暮らしていなかったにしては、埃がつもっていない。ラエティアが定期的に掃除してくれていたのか。

 ラエティアを振り返ると、彼女はにこにこと笑みを浮かべていた。

「掃除、してくれてたのか?」

「うん。いつ、レーキが帰って来ても良いようにね!」

「……ありがとう」

 レーキは今すぐラエティアを抱きしめたくなる衝動をこらえて、笑った。

「うん! でも、ずっと人が住んでなかったから……ちゃんとお掃除して、シーツとかお洗濯しなきゃ。まず、窓開けるね」

 ラエティアはてきぱきと、家中の窓を開けていく。レーキもそれに習って窓を開け、掃除用品を納戸から出してきた。

 家の裏の井戸から手桶に水を汲んで、井戸がまだちゃんと使える事を確かめた。

 よどんでいた空気が、動き出す。師匠の家が息を吹き返す。

 カァラは初めて訪れた場所に興味津々で、ラエティアの後ろにくっついてあちこちと部屋を覗き込んでいた。

 レーキは髪をたばね、口元を布で覆って壁の埃を落としながら、カァラに「今日からここで暮らすんだ」と、告げた。

「ここがレーキのお家?」

「ああ、そうだ。そしてお前のお家にもなる」

「そうかー」

 カァラは嬉しそうに笑って、飛び跳ねる。

「カァラちゃん、まだ床はお掃除してないからぴょんぴょんはダメだよ?」

「ちぇー」

 シーツを両手いっぱいに抱えたラエティアが、部屋を横切っていく。

 掃除をし、洗濯をし、足りているモノと足りないモノを選び取り、師匠の家をヒトが住める状態に戻していく。

 この分なら日が暮れる前に掃除は終わりそうだ。

「……もうすぐお昼だから、わたし一旦家に戻るね。お昼ご飯持って帰ってくるから。レーキたちは少し休憩してて!」

 そう言い残して、ラエティアは家に帰って行った。

 残されたレーキたちは、ラエティアが帰ってくる前に台所の床を水拭きし、テーブルと椅子を磨き上げた。

 かまどすすを落とし、どっさり出た灰と煤は肥料として春までとっておく。

 薪小屋に残っていた薪を見つけた。おのび付いてはいたが、まだ使える。レーキは薪を、竈にくべるのにちょうど良い大きさに割った。それをカァラは興味深そうに眺めている。

「……レーキー!」

 こちらに駆けてくるラエティアの声。彼女は両手に手提げ篭を抱え、大きな荷物を背負って、よろよろと緩やかな坂を上ってくる。

「ラエティア! どうしたんだ? その荷物……!」

 レーキは薪を割る手を止めて、ラエティアの荷物を受取に向かった。

「えっ、とね。これは今日のお昼ご飯で、こっちは夜ご飯の材料。それから塩漬け肉とかソーセージとか、お芋とか保存食いろいろ……と小麦の粉!」

「これ、全部食料か!」

「うん。これだけあれば、少しは困らないでしょ?」

 ラエティアの代わりに背嚢はいのうを背負って驚く。こんなに、沢山の食料を用意してくれるなんて。

「……こんなに、良いのか……?」

「うん。もちろんだよ! その食料はね、広場のお店のみんなからレーキの帰還祝いと、家の母さんからの贈り物なの。だから遠慮しないで」

 ラエティアは重量から解放されて、はーっと息をついて笑った。

「ありがとう。……俺はここに帰って来さえすれば、後はどうにかなるんじゃないかと甘く考えていた。そうだな、生きていくためには本当にいろいろなモノが必要になるんだな」

 ため息をついたレーキに、ラエティアは明るく笑ってみせる。

「うん。でも、大丈夫! 困った時はみんな助けてくれるもの」

「後でみんなにお礼を言いに行かなくちゃな」

「うん!」


 三人で昼食をとって、掃除の続きを再会する。そう広くない家だが、とにかく本が多いおかげで埃も多い。全てが終わる頃には、だいぶ陽がかたむいていた。さいわい今日は冬の晴れ間で、洗濯物はすっかり乾いた。これで、今夜は清潔なベッドで眠ることが出来る。

「ラエティア。今日は手伝ってくれてありがとう。夕飯食ってくか?」

「え、良いの? じゃあ、わたしが作ろうか?」

「いや、俺が作るよ。その間、ラエティアはカァラと遊んでやってくれないか?」

「うん。いいよ」

 夕飯はレーキが手際よく、ネリネたちにも好評だった野菜と塩漬け肉のスープを作った。ラエティアが持ってきてくれたパンを添える。

 食後に、ラエティアへの土産の一つだった紅茶ホンチヤを煮出し、氷砂糖と喫して、三人は満足して夕食を終えた。

「レーキの作ったお料理、とっても美味しかった! まるで料理人の人が作ったみたいだったよ!」

「ありがとう。……なあ、ラエティア。夕食が終わったら君に話したいことがあるんだ」 そう、レーキは切り出した。

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