第82話 春の訪れ

 眠い眼をこするカァラを先に寝かしつけて、レーキとラエティアは台所兼居間に戻った。

 師匠が使っていた、かまどの側の安楽な椅子にラエティアを座らせて、レーキは「これから話すことはとても長い話になると思う」と前置きする。

「もし、その……君さえ良かったら、今日はここに泊まっていって欲しい」

「……うん。それだけ、話したいことがたくさんあるのね? 解った。聞かせて下さい」

 ラエティアは姿勢を正して、レーキの言葉を待つ。

 レーキは事の始まりから、全てをラエティアに話した。

 自分がグラナートで捨てられた孤児だったこと、住んでいた村が盗賊に焼かれたこと、村人に殺されそうになって相手を殺したこと……森の村をでる前に、ラエティアに告げていたことも告げられなかったことも、包み隠さず伝えた。

 ラエティアは時折うなずきながら、全てを聞いてくれた。

「レーキは、殺されたくなくて、その人を……」

その先を訊ねてしまうのが恐ろしい。ラエティアは泣き出しそうに眉根を寄せて、そっとレーキを見つめる。

「……うん。でも、殺したくて殺したんじゃない。それだけは……本当なんだ」

「……うん。わたしはあなたを信じる。だってレーキは今とても辛そうな顔、してるもの……」

 それから、盗賊団に拾われたこと、師匠に救われたこと、この村でしあわせだったこと、師匠が亡くなって『呼び戻し』に失敗して、呪われたことを彼女に告げる。

「……死の王様の呪い?」

「ああ。それは……俺が愛した者は必ず俺より先に死の王様の国に逝くと言う呪い、だ」

「……ああ……! レーキ……そんな……っ! ひどい……」

 絶句したラエティアに、レーキは申し訳なくなって、眼を伏せた。

「……ごめん。ずっと君に言えずにいた。なんだか君の寿命を縮めているような気がして……」

「……ううん。違うの! そうじゃないの。その、大好きな人がみんな先に亡くなるなら、レーキは最後の時にひとりになっちゃう……! そんなのって、そんなのってないよ……」

 ぽろりとラエティアのひとみから大粒の涙がこぼれ落ちる。レーキは立ち上がり、自分の行く末を案じて流された涙を拭ってやった。

「ラエティア……ありがとう。……だから俺はその呪いを解いて貰う。死の王様に」

「解いて、貰えるの?」

 レーキを見上げるラエティアは、不安げに聞いてくる。

「天法には、死の王様に現世にきて貰うための法があるんだ。それで俺は死の王様に会った。死の王様は『今はその時ではない』と言っていた。次に見えるまで十年とも」

「じゃ、あ、その十年の間はあなたは死の王様に会わない……死なないのね?」

「ああ、そうだと、思う」

 良かった……ラエティアは息を吐いて、レーキの胸に額を押し当てる。

「俺はもう、自分の心を偽ることは出来ない。君を、愛している。村の人々を友人を、沢山の人々を愛している。だから、絶対に呪いを解いて貰う。何度だって死の王様に訴える」

「うん!」

 それから、レーキは天法院に行ってからの出来事を話し続けた。

 ラエティアは天法院で出来た友人たちに会ってみたいと言い、見事天法士になったことをよろこんでくれた。

 五つ組の天法士となってもポーターとして働いたことに「どうして?」と訊ね、ネリネの話に少しむっとして、彼女が最終的にウィルと婚約した話をするとにこにこと笑った。そして、遺跡の不思議に眼を丸くして、船に乗ってみたいと言い、恐ろしいラファ=ハバールに身をすくめ、『呪われた島』で羽を切られた話に憤慨ふんがいする。そこで出会った魔のモノたちのこと、『島』から逃れてグラナートにたどり着いたこと、故郷の村に墓を訪ねたこと、カァラと出会ったこと……レーキが全てを語り終えると、すでに空は白み始め、竈にくべた薪は燃え尽きていた。

「五年前にこの村を出発してから、本当に色々なことが、あったのね……」

 ラエティアは肩を抱く。彼女にそうさせたのは朝方の寒さばかりではなかっただろう。

 レーキは竈に薪をくべて、小さな『火球』を放り込んだ。薪はぱちぱちと音を立ててはぜ、竈は直ぐに暖かさを伝えてくる。

 薬缶やかんを竈の上にかけ、温かな薬草茶を煎れると、レーキはラエティアにカップを渡した。

「ありがとう」

 二人、黙ってほんのり甘い薬草茶を飲む。

 優しい、穏やかな、静かな時間。レーキは肩の荷を下ろし、ラエティアは新たな荷を大切に抱えて。やがて、レーキはぽつりと言葉を漏らした。

「……なあ、ラエティア」

「なあに?」

「こんなこと、俺には言う資格はないのかも知れない。言ってはいけないことなのかも知れない。……だから、俺が今から言うことを君は断ってくれて良い」

「? 一体なあに? レーキ」

「……その……全てを聞いて、それでも俺を好きだと思ってくれているなら……俺と……」

 レーキは手にしていたカップをテーブルに置いて立ち上がり、ラエティアの前にひざまずいた。

「……家族になって、くれないか?」

「……!!」

 ラエティアは眸を丸く開いて、無言でまっすぐに自分を見つめるレーキを見つめ返した。

 やがて、金色の眸から涙があふれ、まなじりで弾けて頬をぬらす。

「……わたしで、良いの?」

「ああ。君じゃなきゃ、いやだ」

「わたしは、なんの取り柄もない、この村から出たこともほとんどない……ただの獣人だよ?」

「うん。取り柄なんか無くても良い。ただの獣人のラエティアが、ありのままの君が好きなんだ」

 レーキは頷いて、カップを固く握りしめるラエティアの手にそっと手を重ねた。

「……わたしね、レーキの話を聞いて、少し、怖くなった。レーキはいろんな所に行って、辛いことも素晴らしいことも、いろんなことを経験してきたんだよね?」

「ああ。そうだな」

「じゃあ、じゃあね……もし、わたしと家族になって、この村で暮らして、それが退屈でつまらなくなったら……どうする?」

 天法士の妻として自分は釣り合わないのではないかと、ラエティアは不安げな顔をする。

「……そんなことになったら……君を連れて旅をする。どんなことがあっても、君と一緒に。君はそんな暮らしはいや?」

「ううん。この村みたいな穏やかな場所でずっと暮らせるのも素敵だけど……でも、やっぱりあなたがいなくちゃ、いや。……ああ、わたし、解った。あなたがいてくれれば、どんな場所でも良い」

 すとんと気持ちがに落ちたのか。ラエティアは流れ続ける涙を拭って、唇を笑みの形に変えた。

「……ずっとこんな日がきて欲しいって思ってた。でも、夢が本当になると、もう、何がなんだかわからなくなるの。嬉しくて、嬉しくて、『はい』って一言お返事すればいいのに、レーキに伝えたいことがいっぱいあって……」

「うん。それを、全部聞かせてくれる?」

 跪いたまま、ラエティアの顔をのぞき込む。その顔は、甘酸っぱい果実もかくやと言うくらい真っ赤に染まっていた。

「……あのね、レーキからの手紙が届かなくなって、天法院の人から『レーキは行方不明になった』って手紙が来て、わたし、苦しかった。半分くらい諦めてた。レーキは死んじゃったのかも知れないって……でも、絶対に帰って来るって、もう半分のわたしが言うの。だから、わたし、半分のわたしにすがって、ずっと待ってた。レーキが帰ってくるのをずっと。この家をお掃除するのも多分願掛けだったんだと思う。ここを綺麗きれいにしていれば、レーキが無事に帰ってくる……ああ、うん、もう、わたし、何言ってるんだろう!」

「ラエティア、ごめん。苦しい思いをさせて。連絡できなくて、ごめん」

「ううん。だってそれはレーキのせいじゃない! だからね! その……わたしの返事は……はい。わたしをあなたの家族にしてください。ずっとわたしの側にいてください……!」

 ああ。その言葉を待っていた。ずっと夢見ていた。レーキはラエティアを見上げ、ラエティアはレーキを見つめ、それから二人はおずおずと口づけを交わす。

「……ありがとう。ラエティア」

「うん。ありがとう、レーキ」

 この村で初めて二人が出会ってから、はや十年近く。孤児であった少年と賑やかな家庭で育った少女は、家族になった。



 冬の季節が終わり春の季節が巡って来るのを待って、レーキとラエティアは婚礼を上げた。

 レーキは天法士らしい黒いローブを、ラエティアはアラルガントの家伝統である、濃緑の婚礼衣装を着て、村の広場にある、青龍王のびようへともうでる。

 そこで誓いの言葉を捧げ、最後に口づけを交わし、二人は村長の家に向かった。

 村長の家では、すでに宴の準備が整っている。

 そこへ向かう道すがら、花婿、花嫁の姿を一目見ようと村人たちが二人を取り囲み、なかでも女性たちは森で摘んだ春の花を雨のように降らせて、二人の前途を祝福してくれる。

 森の村にとって、二人の結婚は大きな喜びであると同時に、春を祝う祭りであった。

 今日、ラエティアのはにかんだ表情は、ヴェールに隠れてなかなか見えない。それでも彼女の横顔はとても美しかった。

 隣を歩くレーキは緊張に身を固くしながら、ラエティアをエスコートする。

 その後ろを、青いドレスを着せられたカァラが解っているのかいないのか、楽しそうについて来た。


 冬の間、ラエティアは1日置きに師匠の──今はレーキのモノになった家にやってきてくれた。なにかれとレーキたちの世話を焼いて、たまには泊まっていくこともあった。

 カァラはラエティアの焼くパンのとりこになり、ラエティアもカァラを可愛がった。

 アラルガントの一家はレーキとラエティアの結婚を喜んでくれた。

 特にラエティアの母親、ラセット夫人は「お式はグラナート風とアスール風、どちらがいいかしら?」などと腕まくりして準備をすすめる。

 レーキには、グラナート風の婚礼はよく解らない。義理の母になるラセット夫人にそう告げると、夫人は「それならアスール風ね! うふふ! もう何年も前からティアのための婚礼衣装を用意してたのよー」と、クローゼットの中から刺繍ししゆうも見事な濃緑のドレスを取り出してきた。

「……素晴らしいドレスですね」

 女性の衣類にうといレーキにも、それが手の込んだ刺繍だと言うことは解った。たった一人の娘のために、ラセット夫人は腕によりをかけたのだ。

「でしょ? うふふ! レーキくんはねー天法士さまなんだから、ローブを持っているでしょ? 今から春までにそれに刺繍してあげる。このドレスと並んでも見劣りしないようにね!」

「ありがとうございます!」

 レーキは正装用のローブをラセット夫人に託した。ラセット夫人はとっておきの刺繍糸を大盤振る舞いして、レーキの黒いローブを美しく飾ってくれた。

 ちなみにカァラ用の青いドレスは、ラセット夫人とラエティアの合作だ。

 ラグエスも始めは「こぶ付き」だの「待たせ過ぎなんだよ」だのとぶつくさ文句を言っていたが、しあわせそうな姉を見ているとどうにも心が揺らいだようだ。結局は祝福してくれる。

 父親であるシャモア氏と次男のランズは、元より結婚に賛成で、レーキとラエティアのために新しいベッドを作ってくれた。

 自分の家庭を持って独立している、長男ラヴェルは可愛い妹のためにめすの子山羊を一頭贈ってくれた。

 村人たちからの贈り物の品々で、新生活の準備は次第に整って行く。


 婚礼の宴は、村長の長く退屈な挨拶から始まった。

 宴を村長宅で行うのは、アラルガント家もレーキの家も、これだけの人数を収容しきれる広さが無いからだ。

 乾杯の合図を待ちわびていた人々は大いに飲み、振る舞われる料理を味わう。評判の料理上手たちが、その腕をふるった品の数々は瞬く間に人々の胃袋に収まっていく。

 レーキとラエティアは村人たちの祝福を次々と受け、その全てに丁重に礼を返す。

 ラセット夫人の祝い料理を、じっくり味わう暇もない。

 やがて、宴もたけなわ。人々は婚礼のための歌を合唱し、新郎と新婦は揃って新居へと向かう。今日だけは二人の邪魔をせぬようにと、カァラはアラルガント家に預けられた。

 ラセット夫人にも懐いているカァラに不満は無いようだったが、「けっこんって、なに? ふうふって?」と夫人を質問責めにして、だいぶ困らせたようだ。


 レーキとラエティアは、家への道をゆっくりと二人で歩む。

 森の中の、通い慣れた道。遠く木立の間に見える西の空は、赤とも紫ともつかない素晴らしい夕焼けの名残が微かに。

 夕闇が迫る道をレーキの『光球』が照らす。美しい花嫁が、転んでしまわないように。

 ラエティアはまだヴェールを垂らしたまま、レーキと並んでいる。レーキはラエティアと手をつなぐ。黙って一緒にいることが、とても自然で。ラエティアの温かな手のひらは、とても心地よかった。


 家に、今日から二人とカァラの家になるこの家に、帰ってきた。

 レーキはろうそくに明かりを灯し、ラエティアを家に迎え入れる。

 そこで、ようやくヴェールを跳ね上げて、慣れない化粧をほどこしたラエティアの顔を見た。

 揺らめくろうそくの明かりで見るラエティアは、かつて無いほど美しかった。

「……ラエティア、おかえり」

「うん。ただいま。レーキ。……あの、あのね、レーキ。ティア、って呼んで? 家族、は、みんな、そう呼ぶから……」

「うん。解った。……おかえり、ティア」

「うん。ただいま。レーキ」

 ぎこちなく、二人は幾度も交わしたはずの挨拶をする。

 改めて見つめ合うと、気恥ずかしくて、くすぐったくて、二人は押し黙った。

「あのな……」

「あのね!」

 同じタイミングで、二人は口を開く。レーキが黙っていると、ラエティアが遠慮がちに呟いた。

「……あのね、わたし、尻尾が、あるの……」

「うん。知ってる。夏になるとスカートからはみだす、から……」

「う、うん。……それから、ね、肩にね、黒子が二つ並んでるの……」

「……それは、知らなかった。普段、肩は出さないもんな……」

 二人で、こんなに近くにいると。暴れ出す、互いの鼓動が聞こえてしまいそうな気がする。

「あのね、あの……レーキの秘密も、教えて?」

「え、とその……俺、俺の、秘密?」

「うん。どんなことでも良い。レーキしか、知らない秘密……」

 そう言ってレーキを見上げる、ラエティアの金色のひとみは少し潤んでいる。

「俺、は……足の小指の形がちょっと変わってる。それから、へその脇に大きめの黒子が、ある……」

 二人とも真っ赤になって、他愛のない、他人が聴けば笑い飛ばすような秘密を共有する。

 それが、二人がその夜初めてした、秘密の儀式だった。

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