第68話 旅人

 鬱蒼うっそうとした森の中。人が通ることを止めたなら、すぐに森に返ってしまうだろう道を進む。

 標高の高いこの場所では、秋の気配が色濃い。

 木々の隙間からのぞく、今日の空はどこまでも白く淀んで。

 木立を吹き抜ける風は、夏の名残でまだ暖かく。

 森の大気は湿り気を帯びて、鳴く鳥の気配すらなく。

 旅人は梢の先に紅葉を見つけて、雨が降らないようにと水の王に祈った。

 二十二年前の春先、ここで同じように水の王に祈りを捧げた旅人がいた。新たな旅人が、そのことを知る由もない。その旅人が、赤ん坊だった自分を運んでいたことも。

 旅人は鳥人の男。黒と銀の奇妙な色の羽をその背に負って。右目に眼帯、一つ残った左眼は赤く、その髪も膚もまるで色が抜けたように白かった。

 旅人──レーキ・ヴァーミリオンはただ一人、『山の村』へ向かう道を登っていた。

 この峠を越えれば目指す村まではもうすぐ。夕刻までにはたどり着けるはずだ。



 どこまでも青い空と海の間を、縫うように飛び続けたレーキは、幸運にも力尽きる寸前で一隻の帆船を見つけた。

 シーモスの作った魔装具は壊れることもなく、レーキを船まで導いてくれた。その事に感謝する。

 船に降り立って、そこで倒れ込んだレーキを乗組員は親切に介抱してくれた。

 おまけに、わずかな現金しか持っていなかった彼を、目的地に着くまで雇ってくれた。

 帆船はグラナートに向かう商船だった。

 グラナートの港に到着したレーキは、その足で『山の村』に向かうことにした。

 良い機会だと思った。一度アスールに帰ってしまえば、旅に出ることは容易ではないだろう。

 それに、何よりも『呪われた島』の上で思ったことを実行したかった。

 あの大工に謝罪と贖罪しよくざいを。そのためにも、あの日逃げ出して以来足を踏み入れていない『山の村』へ。

 レーキがたどり着いた港街から、『山の村』のふもとの町まで約一ヶ月。金が尽きたら旅人のギルドの仕事をして、一人旅を続けた。

 グラナートで黒い羽の鳥人は、奇異と蔑視の目で見られる。宿を取ろうとして断られたこともあった。仕方なく、レーキは羽をマントで隠し、王珠おうじゆを身分証明書代わりにした。

 王珠の効果はてきめんで、レーキを強力な天法士と見て畏れる者、敬う者、利用しようとする者、びを売る者すらいた。

 レーキはすぐに疲れ果てて、王珠を濃紅こいべに色のマントの内側に隠すようになった。師匠もグラナートからアスールへの旅の途中、そうしていたっけ。そんな事が思い出された。


 グラナートはヴァローナとは正反対で、乾いた土地が多い。森や林は国の北側にあるテルム山脈に集中していて、その辺りにしか生えていない。その他は、乾いた砂ばかりの砂漠や背の低い草花がまばらに生えた半砂漠、それよりほんの少し雨の多いサバナが国土の大半だ。

 レーキが進む街道は、サバナの中を横断していた。今は雨の時期も終わって、咲き誇っていた小さな花々も枯れていた。不思議な形にねじくれた裸の木々が転々と、街道のそばに立っている。

 レーキは、その街道をただ黙々と歩き続けた。

 時に道沿いの町に立ち寄り、時には野宿して、『山の村』の麓の町までたどり着いた。

 その時には予定の一ヶ月はとうに過ぎ、既に秋が感じられる季節になっていた。


 麓の町は小さな町だが、このあたりでは一番豊かな町だった。

 旅人のための宿があることが、その証拠だ。余所者よそものが訪れることのない町や村では、宿など営んでも商売にならないからだ。

 麓の町についてレーキが一番初めにしたことは、今夜の宿を探すことだった。

 無事に見つかった部屋に荷物を置いて、レーキはマントで羽を隠したまま酒場に向かった。

 この麓の町には、鳥人やその混血が多く住んでいる。羽の色を知られれば、どんな仕打ちを受けるかは想像に難くなかった。

 それでも、レーキが酒場に向かったのには訳がある。少しでも『山の村』の現在の情報が欲しかったのだ。

「何か食うものと水をくれ」

 レーキの注文に、酒場の主人である男は難色を示す。

「うちは酒を売る店だ。飯はおまけみたいなもんだ」

「解った。ではエール酒と水、それから飯を」

 主人はそれで納得して、エール酒と水を出してくれた。レーキは手つかずの酒を手にして、この酒場で一番声の大きい卓に近づいた。

「すまない。この酒を奢るから、誰か最近の『山の村』について教えてくれないか?」

 明らかに旅人であるレーキを、男たちはいぶかしげな眼でみつめる。

 酒の入ったジョッキとレーキを見比べて、男たちは眼を見合わせた。その中でも一番酔いの回っているらしい男がジョッキをとった。

「……なんでそんな事聞きたいんだ?」

「明日、『山の村』へ行きたいからだ」

「あんな所、行ってどうする?」

 どうやら、男は山の村を知っているらしい。レーキは男をじっと見つめた。

「人を探している」

「誰を?」

「十一年前に死んだ大工の縁者を」

「そんな奴探してどうするんだ」

 男はジョッキを手にしたまま、まだ酒を飲まない。周りの男たちも、静かに二人のやりとりを見守っている。

「会って謝罪したい」

「なぜ?」

「探している縁者にしか言えない」

「オレが、その縁者だと言ったら?」

「死んだ大工は鳥人だった。あんたはそうは見えない」

 ふん。と鼻を鳴らして、男はジョッキから酒を呑んだ。

「……酒を呑んだと言うことは、教えてくれると言うことか?」

「あんたがやりたいことはよく解らんが……あんたがマジな眼をしてるのは解る」

 男はもう一口酒を呑んで、レーキの隻眼せきがんを見据える。

「あんたの探し人のことは『山の村』の奴らに聞きな。オレには解らん」

「そうか……」

『山の村』には今でも人が住んでいるのか。それを聞けただけでも良しとする。レーキが礼を言ってその卓を離れかけると、男の声が背中を追ってきた。

「……残念だが、あの村は一度滅びているぞ。盗賊に襲われて、生き残った奴らも散り散りになったらしいぜ。今の村の住人は、大半が新しく入った奴らだ」

「そうか。だが古い村の生き残りも少しはいるんだろう?」

「多分な。……酒、美味かった。あんたの探し人が見つかると良いな」

「……ありがとう」

 ジョッキを掲げて見せる男は、余所者を警戒しているだけで悪い男ではないようだ。

 レーキは一礼して、料理を待つ間に空いている席を探した。最初の男の他にも幾人かの酔客に『山の村』のことを訊ねたが、返ってきた答えはどれも似たようなモノだった。


 久々に故郷の料理を味わう。この辺りでだけ飼育されている、大きなトカゲの切り身に香辛料をまぶして焼いたもの、ぶつ切りにした野菜を煮込んでやはり香辛料を効かせたカレラスープ。小麦粉を練って蒸して乾かした粒状の主食、フフル。

 どれも懐かしい味だ。焼きトカゲとスープはよく辛味が利いている。汗をかきながら料理を楽しむ。一口食べる度に、辛みと旨味が交互にやってくる。それは美味くて懐かしい。

 ──ああ、俺は、帰ってきた。

 確かに、レーキは実感した。


 次の日の早朝。レーキは麓の町を発った。

 川沿いの山道を登って、『山の村』へ向かう。途中、木材を伐り出してきたきこりの一団とすれ違う。

 この辺りは、高い山脈にぶつかる雲のお陰で雨が多く降る。そのために、山の麓にはグラナートでは珍しい森が広がっていた。

 樵たちは山の木を伐り出して、川を使ってそれを麓に運ぶ。麓の町はそれを加工して、川下の街々に運んだ。遠く河口に至るまで様々な名前で呼ばれるその川は、ここではただ『川』と呼ばれていた。

 山道はいったん『川』を離れて、険しくなってくる。レーキはこの半月ほどずっと手にしていた、自分の背丈ほどの長さの木杖を頼りに山道を進んだ。

 一番険しい箇所を登り切ると、急に視界が開けて来た。

 その村には名が無い。

『山奥の行き止まりの村』だとか『山の村』だとか呼ばれていて、村人たちも近隣の住人もそれで困りはしなかった。

 レーキはとうとう、『山の村』に戻ってきた。盗賊の襲撃から、村が燃えたあの日から、十一年の時が経っていた。

 それは、レーキがこの村で過ごしたのと同じだけの歳月だった。


 レーキの姿を見つけると、その辺りで遊んでいた鳥人の子供たちが近寄ってきた。見慣れぬ余所者を、好奇心と警戒心が入り交じった眼で見つめてくる。

 やがて、子供の中でも一番勇敢な女の子が前に進み出た。

「あなたはだあれ? 何のご用?」

 少女の背丈はレーキの腰の高さほど。まだ十歳にもなってはいまい。レーキは身をかがめ、マントについていたフードを跳ね上げて、少女に目線を合わせた。

「この村に古くから住んでいる人はいるか?」

「えーと……ブンニーさんでしょ、アリコさん、スカラートさん……」

 少女が挙げた名前は、どれも聞き覚えの有るモノで。かつてレーキをとして扱っていた村人たちの名だった。

「その内の誰でもいい。家に案内してくれ。これは、そのお駄賃だ」

 レーキは少女に、幼い子供のお小遣いとしてはうれしい分の銅貨を握らせた。

 少女はひとみを輝かせて、レーキと銅貨を見比べると「旅人さん、こっち!」と村の中の道を駆け出して行った。

 一緒に遊んでいた子供たちも期待に満ちた眼でレーキを見つめながら、少女の後を追う。

 その後をレーキはついていった。

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