第58話 『慈愛公』

『呪われた島』の上で過ごした時間が、三カ月を過ぎた。

 その間に、レーキはこの島が半年に一度、海水を汲みに陸に近づくことを知った。

 知ったところで、羽の代わりになる魔装具まそうぐはまだ影も形もない。

 それに、ヒトを外に出さぬと言う結界をどうやって突破して良いのかも解らなかった。

 イリスの屋敷の中で、庭で、厨房で働きながら、レーキは這うような歩みでこの島のこと、魔のモノのこと、この島に住む『普通』の人々のことを学んでいった。

 奴隷屋の地下に押し込められていたヒトたちは一体どうなったのだろう?

 彼らの安否を気にするレーキに、イリスは「大丈夫」だと告げた。

「あの奴隷屋さんは潰れちゃった。あのヒトたちはレーキにも、奴隷のヒトたちにもひどいことしてたから。シーモスがあの時、免許を取り上げたの。それで、地下のヒトたちはみんな別のちゃんとした奴隷屋さんに移ったよ」

「……そうか。それなら、良かった」

 肩の荷が一つ降りた。レーキは安堵する。

 イリスたち魔のモノは、好んで人の食事を口にした。それは生きる糧とはならないが、「おいしさは感じるから」とイリスは言った。

 やがて、レーキはイリスのために嗜好品としての『食事』を作るようになった。

 好評だったのはレーキの故郷、グラナート風のしっかり辛みの効いたもので、いまいち反応が薄かったのはヴァローナ風の薄味であるが野菜の旨味を生かした料理だった。

「レーキが作ってくれるモノはみんなおいしいけど……はっきりと辛いもの、とか、甘いもの、とかそう言うモノが僕は特に好きかな」

 食事を作るために必要な香辛料は、シーモスが魔法で精製してきた。

「貴方の記憶にある味を、擬似的にこの島で取れたモノに付与しているにすぎません。限り無く本物に近いニセモノ、でございますね。……このスパイスを大量に食べると……貴方も魔人となられるかもしれませんね」

 冗談とも本気ともつかない口調で、シーモスが言う。念のため、レーキはシーモスの作ったモノは口にしないようにした。

 馴れてくると、広い屋敷の中は調べ尽くしてしまった。怪しい場所はシーモスの工房くらいなもので、他の部分はいたって快適な屋敷だ。

 書庫の本はまだ半分も読破していないが、部屋に籠もって本を読むばかりでは体が鈍ってくる。

 レーキは市場が有るなら行ってみたい、とイリスに持ちかけた。

「……うーん。そうだね。君も暇を持て余してるみたいだし、いっしょに行ってみようか」

 イリスはあっけなく承諾する。彼自身も、屋敷に居て退屈していたらしい。三カ月もの間、大した事件も起きなかったのだ、問題などはないだろう。

「でも今日はシーモスがいないから……明日にしよう。いいかな?」

「ああ、構わない」

 話を持ちかけたレーキよりも、もっと嬉しそうな表情でイリスは笑った。


 市場に出かける当日。レーキは『呪われた島』で当たり前だと言う形の服を着た。いつもの一張羅では『ソトビト』であるコトを喧伝けんでんするようなものだとシーモスが指摘していたゆえだ。

 その服は襟ぐりが大きく開いていて、奴隷の証しである金属の首輪がはっきりと見えていた。

「市場には奴隷が行くことも多いから、その首輪をしていてもおかしいことはないよ」

「……市場ではもっとへりくだった態度をとったほうが良いのか? その、『奴隷』らしく」

 姿見で首輪を確かめるレーキの後ろで、イリスは椅子にかけてレーキの支度が終わるのを待っていた。シーモスは急な打ち合わせの予定が入ったらしく、同行しないようだ。イリスは仕方ないとそれを受け入れて、一人で市場について来ることにしたらしい。

「そのままでかまわないよ。奴隷と主人の関係はそれぞれだから」

「解った。準備できた」

「うん! さあ、市場へ行こう!」

 レーキよりも、よほどウキウキと楽しそうに、イリスは屋敷を出る。

「魔獣に引かせた車に乗ってもいいけど、市場はそんなに遠くはないから。歩いていくとちょうど良いよ。……ああ、市場で買い物したらまとめてお家に届けて貰うのを忘れないでね」

「解った」

 なるほど、市場はイリスの屋敷から四半刻(約十五分)もかからぬ辺りで賑わっていた。露店が立ち並び、魚を売る店が多く、肉類を扱う店はごくわずか。野菜と果物は見慣れぬ種ばかりでどれも大きく値段が高い。島で有る故に耕作面積は限りがあるのだろう。

 レーキが野菜を買うことを躊躇ためらっていると、イリスは「欲しいものは何でも買っていいんだよ」と笑った。

「この島で食べられている野菜はね、大きく育つように品種改良してあるの。島のみんなが沢山食べられるようにね」

「それもこれも『使徒』様方のおかげ様でございます」

 レーキたちのやりとりを聞いていた、野菜売りの老人が笑みを浮かべてイリスに一礼する。

「……お若い方、こんなにお優しい『使徒』様にお仕え出来るとはなんと羨ましい。『使徒』様方への感謝を忘れてはなりませんぞ」

 レーキは曖昧に微笑んで、答えを濁した。

 野菜売りの老人から幾つか品物を買い、イリスの屋敷に運んでくれるように頼む。

 老人は快諾し、イリスを見つめておお! と声を漏らした。

「あなた様が、かの『慈愛公じあいこう』様……! お目にかかれて光栄の至りでございます!」

 老人は感激した様子で、地面に平伏しそうなほどの勢いで頭を下げる。

「そんなにかしこまらなくていいよ。おじいさん。僕もあなたから野菜が買えてうれしい」

 老人の頭を上げさせながら、イリスは困ったように笑う。

 野菜売りの店を離れてから、レーキはイリスに尋ねた。

「『慈愛公』、と言うのは?」

「うーん。僕たち幻魔のことをあだ名で呼ぶヒトたちがいるんだよ。『慈愛公』とか『冷淡公』とか……面白がって自分からあだ名で名乗る魔のヒトもいるけど、僕のは柄じゃないからちょっと困ってる」

 苦笑混じりにイリスは告白する。

「僕はね、特別優しい訳じゃないの。人間や亜人はみんな脆いし、魔のヒトも大怪我をすれば死んでしまうから……手加減しなきゃいけないし、優しくしなきゃいけない。だって、弱いヒトに優しくするのは当たり前の事でしょう?」

 イリスの言葉はもっともだが、レーキは微かに違和感を覚える。確かに幻魔や魔人と比べてヒトはもろい。イリスにとっては『弱いヒト』であろう。だが、同族である魔のモノまでもが同じくくりとは。彼はこの穏やかな物腰に、どれだけ強大な力を秘めているのだろう。

「……ねえ、ねえ。レーキ。所でお肉とお魚、どっちが食べたい?」

 イリスの問いに、レーキは思考を中断する。

「俺は魚の気分だが……あなたは?」

「そっか! それじゃ、魚にしよう! 魚屋さんはこっちにいっぱいあるよ!」

 子供のようにはしゃいで駆け出して行くイリスは、秘めたる力の欠片も現してはいない。

 レーキがそれに安堵して、イリスを追いかけようとしたその時。

「……?!」

 突然、視界を布のようなものが覆った。

 天幕にでもぶつかったのかと、レーキは慌ててその布を外そうとした。布は袋状になっていて、誰かが故意に被せたものだと解った瞬間、首筋にひやりと冷たいものが突きつけられる。

「声を出すな」

「……な、に……?!」

「逆らえば命はない」

 冷ややかに告げる男の声が、すぐ耳元で聞こえる。

 捕らえられたのだと、悟ったときにはもう遅かった。後頭部をしたたか殴りつけられて、レーキは意識を失った。


「……うっ」

 最初に感じたのは冷たい水。誰かが自分に水をかけたようだ。そのせいで意識が戻った。

 頭が痛い。視界は何かに覆われていて、荒い布目以外は何も見えない。布目の隙間から微かに光を感じる。その布が濡れて鼻や口にまとわり付いて息苦しい。

 布を外そうと腕を上げようとするが、後ろ手に拘束されていてぴくりとも動かない。

 背もたれのついた、椅子のようなものに座らされているようだ。足はその椅子に括り付けられているのか、立ち上がることも出来ない。

「……あーっ! かひっ! あぐっ……!」

 再び水がかけられた。布がさらにぴたりと顔に張り付いて、息が、息が出来ない……!

 闇雲に頭を振ることしか出来ない。レーキは視界が赤く染まって行くのを感じる。

「……目が覚めたようだぞ」

 低く嘲笑うような男の声がする。誰でも良い。この布を取ってくれ。レーキは叫ぶが、声は言葉にならない。

 不意に背後に気配がした。無造作に突然顔の布が取り去られる。

「……はっぐ、……げほっ……はーっ! はーっ!!」

 新鮮な空気を貪るように味わう。息が整ってくると、一段高い場所に設置された椅子に気怠げに腰掛けた人物が見えてきた。

 それは、光の加減で青にも緑にも赤にも見える髪を短く刈りそろえ、一目で高価で有ると解る衣装を着た金眼の男。

 男はその手元でレーキの王珠をもてあそび、もう片方の手で頬杖をついていた。

 この三ヵ月で学んだ。幻魔や魔人は体のどこかに何色でもない、遊色の部分を持っていると。イリスは角、シーモスはひとみ、と言うように、この男は恐らく髪。

 では、この男は魔のモノなのか。

 ──ここはどこだ?

 黒い石で作られた部屋の照明は少なく、大きく、どこまでも果てがないように見えた。

「……イリス・ラ・スルスの奴隷よ。そなたの口から直接名乗ることを許す」

 重々しく、男が告げる。レーキを見下ろすその眸は冷たく、何物にも興味を失っているように見えた。

「『苛烈公かれつこう』のご命令だ! 名乗れ、奴隷!」

「痛ぅ……!」

 後ろから頭を小突かれる。『苛烈公』。ああ、ではやはりこの男は魔のモノ。それも、二つ名を持つ幻魔だ。

 レーキは唇を噛んで、しゃがれた喉から声を絞り出した。

「俺は……けほっ……レーキ、と……いいます」

「そなたはイリス・ラ・スルスの『ソトビト』を知っておるか?」

「……」

 何と答えることが正解なのだろう。素直にそれは自分だと白状するか?

 レーキは混乱して押し黙る。再び頭を小突かれて、レーキはうめいた。

「……う……っ」

「まあ、良い。そなたがあくまでも主に忠節を誓うと言うなら、長く楽しめると言うものだ」

 唇を吊り上げて『苛烈公』は笑う。その眸に喜びの色が過るのをレーキは見た。

「……何を、楽しむと、言うのですか……?」

「……野暮なことを。まずは水責めか? 手足の爪をぐか? それとも……その不揃いな羽を『美しく』整えてやろうか」

『苛烈公』の笑みに、レーキの背筋が冷たく凍る。

 この男は、自分を拷問にかけるつもりだ。それも楽しげに。

 レーキは騎士や兵士ではない。当然、拷問を受けたことも、それに耐える訓練をしたこともない。

 顔から血の気が失せていくのを感じる。自分がどれだけ痛みに耐えられるのか、限界は解らない。いっそ今、自分が『ソトビト』で有ることを明かしてしまった方が良いのか。

 固唾を飲むレーキに、『苛烈公』は微笑みかける。

「……レーキとやら、この私に、何か言いたいことがあるのか?」

「……ございません」

『ソトビト』をヒト扱いしない魔のモノもいると、イリスは言っていた。ならば、ぎりぎりまで自分が『ソトビト』であると告げないほうが、安全であるかもしれない。

 痛みには馴れている。それに、痛みで意識が混濁する前に、いざとなれば天法を使ってしまおう。王珠おうじゆを取り上げられて、天分に負担はかかるが、集中すればこの部屋にいる全員に『金縛り』をかけることも可能だ。

『苛烈公』に天法が通じなかったとしても、拷問を実際行う者には敵うかもしれない。

 覚悟を決めて、レーキは『苛烈公』を見上げた。

「……ほう。眼が、変わったな。良い眼だ。責め甲斐のある」

「『苛烈公』、何から試して参りましょう?」

『苛烈公』の配下らしき男が、レーキの隣でひざまずいて命令を待つ。

「拷問官、水責めから始めよ。直ぐに死んでしまってはつまらん」

「仰せのままに」

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