第59話 『苛烈公』

大きな氷の浮いた水桶に、頭から漬けられる。

 もがいても、もがいても、手足の自由はなく、拷問官は手加減などしてくれない。

 容易に死なぬように、息を『させられる』。

 冷えた水は肺腑はいふに少量ずつ入り込んで、せきが止まらない。

 冷たい。このままでは溺れ死ぬ前に、凍えてしまう。

 次に顔を水から引っ張り出されたときには、拷問官に『金縛り』をかけよう。

 そう、決めているのに。歯の根が合わない。

 ──息をさせてくれ! 息を!

「……げほっ! はっ……はっ……はーっ!! かひゅ……!!」

 水面に顔を近づけられる度、気力が萎えていく。痛みが、頭の中をがんがんと揺らしている。

 ──俺は、このまま、死ぬ、のか?

 そんな恐怖を身近に感じる。手始めでこれだと言うなら、さらなる拷問を受けたら自分はどうなってしまうのだろう。

「……俺、……っ」

「……ほら、奴隷が何かを言いかけておる。拷問官よ」

 髪を掴まれて顔を上げさせられる。レーキは焦点のあわぬ視界を、『苛烈公かれつこう』へと向けた。

「……死にたく、ない……っ」

「ならば、『ソトビト』のことを話せ、奴隷よ」

「……俺、俺は……っ」

 譫言うわごとのように。レーキは死にたくない、と、繰り返した。

 自分が『ソトビト』であると話したところで、拷問は止まないだろう。そもそも、魔法で頭の中をのぞけると言うのに、それをせず拷問を手段とするのは、それが楽しいからだ。

 何も言わず、黙って耐えれば拷問はエスカレートする。義父の暴力と同じだ。

 哀れっぽく泣いて許しを乞うてみよう。そうして時間を稼ぎ、隙をうかがう。まだ頭の中でモノを考えられるうちに……!

「……お許し、ください……! 俺は知らない……何も、知らない……!!」

「……ふん。つまらん嘘をつくな、奴隷よ。まだ水を飲み足りないか?」

『苛烈公』は気怠げに髪をかきあげて、レーキの隻眼せきがんを射るように見下ろしてくる。

「……本当、です……! 俺は……!」

「拷問官、奴隷に好きなだけ水を飲ませて……」

 そう言いかけた『苛烈公』は何かに気づいて、言葉を切った。

 小走りに誰かが近づいてくる音がする。

 拷問官とは別の男が『苛烈公』の隣に走り寄って、そのまま耳打ちする。

『苛烈公』は舌打ちして、「仕方ない。通せ」と知らせを持ってきた男に命じた。

 やがて、石造りの床を大急ぎでこちらにやってくる足音と、「いいから、早く案内して!」と叫ぶ耳慣れた声が聞こえてきた。

「お待ち下さい! 『慈愛公』!」

「待たない! 僕のレーキはどこ?! ラルカくん!!」

 押し止めようとする『苛烈公』の配下たちを振り切って、この場に現れたのは、いつになく取り乱し声を荒らげるイリスだった。

「……これはこれは、『慈愛公』イリス・ラ・スルス。我が屋敷に何のご用かな? そなたの奴隷なら、ほら、そこに」

「……レーキ!!」

 イリスはレーキの姿を認めると、青ざめた顔をして駆け寄ってきた。

「大丈夫?! 生きてる?! ……ああ、どうしよう?! どうしてこんなに冷たいの……?!」

「……イリス……?」

「ああ! 良かった……!! 生きてる……!!」

 水に濡れるのも構わずに、イリスはレーキを抱きしめて、無事を喜んでくれる。

 冷え切った体に温もりを感じる。安堵に、レーキは大きく息を吐いた。

「……ラルカくん。レーキに何をしたの……?!」

「ここに運び込んだ時には気絶しておったからな、水をかけて目を覚まさせただけだ」

『苛烈公』を振り返って、イリスは拳を握って立ち上がった。『苛烈公』は悪びれた様子もなく笑みを浮かべて、怒りに震えるイリスを見ている。

「……レーキにひどいことをするなら、僕は君を許さない……!」

「ほう。『慈愛公』には似つかわしくない台詞だな。よほどその奴隷にご執心しゆうしんと見える」

「……っ! レーキにも、他の奴隷のコたちにも、二度と手を出さないで……!」

 イリスは『苛烈公』を睨み付けて、毅然きぜんと胸を張る。

「それは、そなたが『ソトビト』を独占しておるからだ。『ソトビト』を公開し、我らにも外界の情報を共有して貰えるなら、私は何もせぬ」

「情報はいずれナティエちゃんにも君にも教えてあげる。だから、『ソトビト』のことはほっといて!」

「……『冷淡公』と同じ情報なぞ、価値はない」

『冷淡公』ナティエの名が出たとたん、吐き捨てるように『苛烈公』ラルカは言う。

『ナティエちゃんとラルカくんはね、とても仲が悪いんだ。ずっとケンカしているんだよ』

 以前、イリスが友達か幼い子どものことでも語るように言っていた。

 それが、幻魔を指していると頭では解っていたものの、まさかそれが『冷淡公』『苛烈公』などと物騒な二つ名で呼ばれる人物とは。

「レーキ、ちょっと待っててね。今、かせを外すから」

 レーキの耳元にささやいて、イリスは金属製の手枷を事も無げに引きちぎった。怪力としてもほどがある。

 続けて、椅子と一体になっていた足枷を紙でも裂くように外してしまった。

 レーキはただ呆然と、鉄枷を外して行くイリスを見つめる。この男もまた、異能の幻魔なのだと、思い知らされる。

「帰ろう、レーキ。……歩ける? お家まで運ぼうか?」

「あ、ああ……歩け、る……あ、ま、まって、くれ……王珠おうじゆ……王珠を取られた……!」

 レーキはよろめきながら立ち上がり、胸元に手をやった。

 イリスはレーキが立ち上がれたことに安堵したように息をついてから、『苛烈公』を振り返った。

「……レーキから取り上げたものを返して」

「ん? これか?」

『苛烈公』は弄んでいた王珠を持ち上げて、イリスの足元に投げ出した。

 イリスはそれを拾い上げて、レーキの首にかけてくれる。

「……これ、大事なモノ、だよね? 壊れてない?」

「多分、大丈夫……海に叩きつけられても、壊れたりはしなかった……」

「良かった……!」

 我がことのように、イリスは喜んで顔をほころばせる。

 それから、一度見せた笑顔を厳しい表情に封じ込め、『苛烈公』に告げた。

「じゃあね、ラルカくん。さよなら」

「待たれよ、『慈愛公』」

「何? 僕はもう、レーキと一緒に帰るから」

「そなたの奴隷を無断で連れ出した事はこちらの落ち度だ。謝罪しよう。二度と手出しはせぬ。その上で『慈愛公』、オレに組みしないか?」

『苛烈公』は表面上は優しげな笑みを口元に掃いて、イリスに語りかける。レーキはそんな笑みを知っている。それは、甘言を持って人を騙そうと言う者の笑みだ。

 イリスはいつになく冷たい表情をして、『苛烈公』を見つめた。

「……僕はナティエちゃんにも、君にも味方するつもりはない。君たちのケンカにはつき合っていられない。けど、君が僕の大切なコたちにひどいことをするつもりなら、もう一つの僕が君を踏み潰して焼き尽くす」

 紛れもない、殺気がイリスの茶色のひとみを燃え上がらせる。

 踏み潰して焼き尽くす。その宣言がどのような行為を指すのか。レーキには解らなかったが、イリスが本気で腹を立てているのだと言うことははっきりと理解できた。

「……半竜人め」

『苛烈公』は忌ま忌ましげに低く呟く。

 イリスはそれに答えることなく、レーキに腕を貸して『苛烈公』の黒い謁見室を出て行った。


 謁見室を出た途端、レーキは咳き込んで片膝をついた。

 寒い。一度下がった体温がまだ元に戻らない。レーキはうずくまって、自分の肩を抱いた。

「大丈夫……?! 寒いんだね?! このお家を出たところにシーモスが待ってる! ちょっと我慢してね?」

 イリスはレーキの体を楽々と抱き上げて、装飾の少ない寒々しい廊下を走り出した。

『苛烈公』の屋敷はどこも石造りで、温かみと言うモノが感じられない。

 イリスは長い廊下を全速力で走る。その腕に抱えられているレーキは、まるで空を飛んでいるような速さだ、と思った。

「……イリス……」

「ど、どうしたの……レーキ?!」

「ありがとう……助けて、くれて……」

 今、出来ること。それは、ただ感謝を伝えることくらいで。レーキの呟きに、イリスはぱっと顔色を明るくして頷いた。

「うん……うん!」


『苛烈公』の屋敷の前では、馬くらいの大きさの魔獣に引かせた車が用意されていた。その中にはシーモスが待機していた。

 イリスとレーキが車内に乗ったことを確認すると、シーモスは御者に出発するように命じる。

「おやおや。これはひどい。手荒い歓迎を受けられましたね、レーキ様」

 寒さに震えるレーキの手足には、金属の枷に擦れて出来た真新しい傷がある。

「『苛烈公』は次代の魔の王候補のお一人で、大きな派閥を作っておいでです。そのご趣味は……身を持ってお知りになられましたね?」

 シーモスはそんなことを話す片手間に、手早くレーキに治癒の魔法をかける。傷は見る間に塞がっていった。

「シーモス、レーキがすごく寒そうなの! どうにか出来ない?!」

「残念でございますが、たった今、私に出来ることはここまででございます。屋敷で風呂を用意させております。その『寒さ』は風呂で癒やすことと致しましょう」


 イリスの屋敷に戻ると、レーキは服を着たまま直ぐに熱い風呂へ放り込まれた。

『呪われた島』では真水は貴重品で、それは船と同じだ。

 ここにはもともと入浴の習慣は無かったが、レーキの話を聞いたイリスが興味津々で湯船を作らせたのだ。

「早速お風呂が役に立つことになっちゃった……」

 しょんぼりと肩を落とすイリスの隣で、湯船に入ったレーキは冷え切って固まっていた体を熱い湯にほどいていく。

 血流の滞っていた手足に急に血液が流れて、びりびりと痺れるように痛む。その痛みも湯の熱さも今は心地よい。

「……ああ……あたたかい……」

「良かった! 痛むところとか、苦しいところは有る?」

 レーキの顔を覗き込んで、イリスは心配そうに眉根を寄せる。レーキはゆっくりと指を曲げ延ばして、傷があった手足を確かめる。

「……いや。もう痛みもないし、咳も出ない」

「はーっ……本当に……本当に、良かった……」

 イリスはようやく安堵したように、湯船のへりにすがってへたり込んだ

「……ごめんね、レーキ。僕が油断したせいで……君をひどい目にあわせちゃった……」

 茶色い眸を潤ませて、イリスはレーキの顔を覗き込んでくる。心なしか両方のこめかみから生えた角まで力無い。

「いや、あなたのせいじゃない。俺も、久しぶりの外出で少し浮かれていた」

「……でも……」

「本当に、あなたのせいじゃない。それに……あなたは、いや、君は。二度も俺を助けてくれた。命の恩人だ」

 親愛の情を込めてレーキは言う。

 いくら、誰よりも力を持つ者だと言う自負が有ったとしても。たった一人で『苛烈公』の配下たちが大勢控える屋敷に乗り込んで行くことは、勇気の要ったことだろう。そのことにだけでも、感謝したい。

「……その、一人で『苛烈公』の屋敷に乗り込んで、怖くはなかったのか?」

「あ……ううん。夢中だったし、お外でシーモスも待ってたから……大丈夫、だった。心配してくれてありがとう」

 イリスは湯船のへりから顔を出して、レーキを見上げる。その顔が喜びの光に照らされて、明るく輝く。

「それより、レーキが市場でいなくなって……その時の方がずっと、怖かったよ……」

 思い出しただけで身がすくむのか、イリスは眼を伏せて、湯船のへりに額を預けた。

 レーキを見失って、イリスは慌てて屋敷に戻り、シーモスを探し出したようだ。

 シーモスは首輪からレーキの居場所を特定し、一刻(約一時間)後にはすでに『苛烈公』の屋敷にたどり着いていたらしい。

「……でも、良かった。君が無事で。ラルカくんのお家でね、君がずぶ濡れで座ってるのを見たときも、怖かった。もう間に合わなかったのかって、思った」

「大丈夫、俺は生きてる。ずぶ濡れなのは変わってないが」

 まだ身にまとったままの服を引っ張って、レーキは苦笑する。つられて、イリスも微笑んだ。

「ふふふ。冗談が言えるなら、安心だね! ……ん? あれ? でも、シーモスはどうして『お風呂かしておいて』なんて、言ったのかな?」

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