第55話 定めるべきモノ

「鏡と剃刀かみそりを貸してほしい」

 翌日の朝、食事を運んできた使用人の少女に、レーキはそう依頼した。

 朝食をすませると顔を洗い、借りた剃刀でヒゲをあたる。レーキは毛深い質ではなかったが、幾日もまともに身支度していないと、さすがに居心地が悪かった。

 さっぱりした所で、身に帯びていたポーチに入れていたモノを検分する。

 割れた『治癒水』のびんと鏡、海水に浸かったメモ帳とペン、湿気た少量の携帯食、飴、財布、石になった師匠の王珠おうじゆ、それからズィルバーが作ってくれた魔獣除けのベル。

 剃刀もあったが、海水に浸かったせいか刃にはすっかりさびが浮いていた。割れた壜と鏡のかけらを丁寧に取り除き、残りはポーチに戻した。

 ここで、今すぐに役立ちそうなモノは何もない。ただ、何かをしていないと落ち着かないだけだ。

 ここは『呪われた島』。気を緩めればどんな事が起こるかは解らない。

 着せられていた寝間着から、もともと着ていた一張羅に着替える。他に用意されていた服に袖を通すつもりはなかった。出来るだけ、魔のモノに借りを作りたくはない。

 筋力が落ち切らぬように、ゆっくりと部屋の中を歩き回る。

 イリスは、部屋の外に出ても良いと言っていた。だが、体力の戻らぬ今、屋敷の中をうろつく気にはなれなかった。

 左の羽の先が痒いような気がする。それは、すでに切り落とされているというのに。その奇妙な感覚に、レーキはただ独り唇を噛んだ。


 昼食を運んできた使用人が、昼過ぎからご主人様がいらっしゃるので部屋を出ないようにと告げた。

「解った、と伝えてくれ」

 食事をすませて、レーキはイリスを待ち受ける。イリスの物腰は一見柔らかで、こちらに害意は無いように見える。だが、表面上の態度を信じて良いのかは解らない。相手は魔のモノ、人の天敵なのだ。

 思い悩むうちに、ノックの音がした。来意を告げる声はイリスのもの。

「……どうぞ」と、レーキが答えると、扉を開けたのはイリスと一緒にいた男、シーモスだった。

 シーモスは相変わらず、黒い大きな犬を連れて部屋に入ってきた。

「お邪魔いたしますよ」

「ごめんね。シーモスも君のお話を聞きたいって」

 イリスは苦笑しながら、シーモスの後から部屋に入ってくる。

「……構いません」

「レーキくん。改めて紹介するね。こちらはシーモス。魔法士だよ。それからこっちの黒いコはアルダーくん」

 イリスはしゃがみこんで、シーモスが連れている黒い犬の頭を撫でまわしながらそう言った。

「アルダー様はわたくしの用心棒でございます。私、荒事は苦手でございまして。私共々、以後お見知り置きを」

 シーモスは、慇懃いんぎんな調子で一礼して見せる。それがどうにも芝居がかって胡散臭くて、レーキは戸惑う。

「……あの、シーモス、さん、も『幻魔』なのですか?」

 レーキの問いにシーモスは微笑みながら答えた。

「いいえ。ソトビトのレーキ様。私はしがない『魔人』でございます。私は人として生まれ、魔法をたしなみ、魔人となりました者でございます。それ故に魔の王様以外の主を持たぬ身の上でございますよ」

 魔人には、幻魔によって力を与えられた者と自力で魔人なった者がいると、イリスが語っていた。それにセクールスは言っていた。魔法を使う者は、魔に浸蝕され魔のモノになると。

 ──なるほど、この男は魔法を使うことで魔のモノになったのか。

 では、レーキが彼らの言葉を理解できるようになったのも、『魔法』と言う訳か。その事に思い至ってレーキは顔色を青くした。

 魔法を使う者は魔のモノとなる。では使われた者は?

「……魔法を使う者が魔人になることは解りました。では魔法を使われた者は?」

「ああ、それを心配なさって居られるのですね? 貴方には『翻訳』と『治癒』の魔法をおかけしましたが、どちらも貴方の魂を魔に染め上げる程の力はございませんよ。ご安心下さいませ」

 シーモスは眼鏡の位置を直しながら、くすりと笑った。人の気持ちを逆撫でするような、嫌な笑みだとレーキは思う。

「……さて。それじゃあ、早速『ソト』の話を聞かせて? レーキくん」

 ひとしきり、黒い犬を撫でて満足したのか、イリスは立ち上がって椅子を示した。

「何を、聞きたいのですか?」

「そうだなあ。まずは君がどこから来たのか、とか、聞かせて欲しいな」

「解りました」

 レーキは、うながされるまま椅子にかけた。それから、自分がヴァローナで仕事のために船に乗ったこと、ポーターや料理人として働いていること、海に落ちる前にラファ=ハバールと遭遇したことなどを手短に説明した。

「……ここまで、大変だったんだね」

「なるほど、ラファ=ハバールに船を襲われたのでございますね? 人の身で……よくぞご無事でございましたね」

「運良く嵐が来ていて、雷がラファに落ちました。それでヤツは海に沈んで行きました」

 自分が天法を使ったことは、出来るだけ隠しておきたかった。いざという時に、それが不意打ちに使えるかもしれない。そう考えてのことだ。

「……貴方は何もなさらなかった、のでございますか?」

 眼鏡の奥からこちらを見つめるシーモスの不思議な色のひとみが、なにもかもを見透かしているような気がする。レーキは平静を装って、告げる。

「俺も少しばかり天法を使えますが……あんなに大きな相手に対しては無力でした」

 実際、ラファ=ババールには苦戦した。

 嘘には真実を混ぜ、隠したいモノ以外のことは誠実に。レーキはオウロを思い出して、ボロを出さぬように言葉を選んで返答する。

「左様でございますか。……『天法』を嗜まれる『ソトビト』の来訪は私が記憶いたします限り初めてでございます。これから、お話を伺いますのが楽しみでございますね」

 シーモスの含み笑いが、レーキの背をひやりと撫でる。奴隷屋に『金縛り』をかけようとしたレーキを止めたのはシーモスだったが、彼は何をどこまで知っているのだろう。気を許してはならない相手だ。

「レーキくんは、魔法士なの? シーモス」

「魔法士ではいらっしゃいませんが、『術』をお使いになられるようでございますよ。イリス様」

「僕は魔法のことはよく解らないな。それより、君が暮らしていた国の話を聞かせてよ」

 イリスはにこにこと笑って続きを促す。レーキはヴァローナが学問と湖沼の国であること、自分も学生であったことなどを説明した。

「俺はもともとグラナートに暮らしていました。船の仕事が終わればグラナートに帰るつもりでした」

 アスールのこと、特にラエティアのことは彼らに知られたくなかった。この『呪われた島』が空を飛んでいると言うなら、アスールの上空を飛ぶことも出来るかもしれない。空飛ぶ島が人々に危害を加えたと言う噂は聞いたことはないが、念のためだ。

 イリスたちに『島』の航路を決める権限が有るのかどうかは解らないが、慎重に伏せておいた方が良いとレーキは判断する。

「グラナートって言う所は君の故郷なの?」

「はい。俺はそこで生まれ育ちました」

「そっか。僕は、この島で生まれたんだ。この島がまだ空を飛ぶ前のことだけど」

 それはどれほど前のことなのだろう。魔のモノは、長い時を生きるとは聞いていたが。

「まあ、僕のことはまた後で。君からは何か聞きたいことは有る?」

「……では、『使徒』と『方舟はこぶね』について教えてください」

「うん。解った。僕たちはね、この島のことを『方舟』と呼んでいるんだけど、それには理由が有るんだ」

 イリスはくつろいだ表情で、切り出した。それは、恐るべき内容だった。

 魔のモノが『呪われた島』に封印された時、島には大勢の普通の人たちがいた。彼らは魔の軍勢が戦争に勝利すると信じてついてきた者たちだった。

 魔のモノは、彼ら普通の人たちを文字通りの食い物とするために、魔のモノを閉じ込めるための結界とは別の結界を張った。

 そして、普通の人たちを閉じ込めた。それから、長い年月をかけて、魔と人との戦いによって世界は荒廃し、この空に浮かぶ島以外に、人が生きられる場所は皆無だと教えたと言うのだ。

「……この島に住んでいらっしゃる人びとは、ご自分たちのことを『選ばれた民』、なんて呼んでいらっしゃいますよ」

 言外に皮肉をたっぷりかせて、シーモスが言う。

「僕たちはね、その『選ばれた民』を導く王の『使徒』なんだって」

 そう、笑顔で告げたイリスの顔を直視できない。この島は何かがおかしい。歪んでいる。

「『使徒』の血肉となることは、この島では大変名誉なことなのでございます。それ故に人びとは私たちに敬意を示すのでございます」

「この島の人はみんな、魔人や幻魔に成りたいみたい。まあ、誰だって食べられるより食べる側に成りたいって思うよね。僕や友達に直接『魔人にして欲しい』って言って来る人もいるよ。大抵はお断りするんだけど、中には本当に選ばれちゃう人もいるね」

 事も無げに、イリスは言う。優しげな物腰でありながら、この男もまた、どこかが狂っている。

「……レーキ様。もし、『ソト』のお話を私たち『使徒』以外の者にされますと、残念でございますが私たちは貴方を『処分』せざるをえません。ゆめゆめお忘れ無きようになさいませ」

 微笑みながら、シーモスはレーキに釘を刺してくる。レーキは、粘り着いてくる恐怖に息を飲んだ。

「……はい」

 今は脅迫に屈するほか無い。ここで彼らに逆らって、真実を人びとに伝えた所でなんになるだろう。自分が『ソト』からやってきた者で有ると言う証拠など、見せることは出来ないのだから。

「……貴方は賢いお方でございますね。そんな貴方にご褒美を差し上げましょうか。貴方のその羽。美しい羽でございますのにもったいない。ですから、私が再び空を飛べるようにして差し上げましょう」

「……え?」

 ──一体、どうやって?

 喉元まででかかった問いを飲み込んで、レーキはシーモスを見た。

「貴方の切り落とされた羽、残念でございますがすっかり痛んでおりました。それを貴方に繋ぎ直すことは出来ません。ですから、時間はかかりますが完全に元の形を取り戻すことの出来ます方法と、それより時間はかかりませんがただ飛べるようになる方法、どちらかお選びいただけますか?」

 空を飛ぶことが出来れば。この空飛ぶ悪夢の島から、逃れることも出来るかもしれない。

 レーキは逡巡する。この男の言がどれほど信用出来るものなのか、その代償に何を要求されるのか。解らない。

 即答をさけたレーキに、シーモスはにこやかに微笑みかける。

「ふふふ。今、ここでお答え下さらなくても結構でございますよ。大いにお悩み下さいませ。ですが、どちらの方法をお選びになっても、貴方が再び飛べるようになることは保証いたしますよ」

「……考えて、みます」

「シーモスの魔法はすごいよ。きっと君も元通りになる。……さあ、君はまだ本調子じゃないだろうから、今日はここまでにしておこうか。僕らはそろそろお暇しよう」

 そう言って、イリスとシーモスは部屋を出て行った。

 一人取り残された部屋で、レーキは無残な姿になった左羽を見上げる。

 目標は定まった。こんな恐ろしい島は出来るだけ早く脱出して、アスールへと帰る。そのために使える手段はどんな事でも使う。

 再び飛べるようにしてくれると言うなら、それに賭けてみても良いのかもしれない。

 大きな問題はこの島に張ってあると言う結界と、この島が空を飛んでいると言うこと。

 それらをどう攻略するか。一つひとつ解決して行かなくては。

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