第48話 『海の女王号』

「……と、言うわけで。これがアンタたちに乗ってもらう船よ!」

 港町。多くの船が停泊する港に、一際大きな帆船が入港している。マストは三本、白い帆はきちんと畳まれ、マストの先端にはこの船がグラナート船籍であることを表す赤い旗が据え付けられている。

 その帆船を指差して、何故だかネリネが胸を張った。

『海の女王号』。船の脇に打ち付けられた銘板の文字と女王らしき横顔が、その船の名を表していた。

「……!」

「おーおー! でっけーな!」

 マストを三本も持つ大きな船を目の前にして、興奮に飲まれて押し黙るレーキと、はしゃぐウィルの対照的な二人は並んで立っている。

「はあ……結局このメンバー? レーキはあたしが誘ったから当たり前として……なんでアンタがここにいるのよ!」

 溜め息をついたネリネが鋭く指摘する先には、のほほんと笑うウィルの姿があった。

「ンあ? オレか? オレはこの船を護衛してグラナートに行くんだよ。元々グラナートに行く旅の途中だしな。丁度良かったんだ」

「あ、そう! そりゃ、ずいぶん清々するわね!」

 毒づいたネリネはふんっと唇を尖らせる。

「ん? あんたらもグラナートに行くんじゃないのか?」

「行かない。あたしたちはヴァローナ最後の港で降りるの」

「そこまでの契約なんだ」

「はー。それじゃあ、あんたらとはもうじきお別れか。寂しくなるぜ」

 そういって笑ったウィルの表情は、いつもより確かに寂しげに見えた。


「こちらは船長さん。船主さんからこの船を任されてる人よ」

「よお。よろしくたの……」

 埠頭で、荷物の積み込み作業を監督していた船長に、ネリネは声を掛けた。船長と呼ばれた男は振り返り、気さくに手を挙げかけて言葉を飲んだ。

 船長は、筋骨隆々な体格の良い鳥人ちようじんで、年の頃は三十半ば、立派な焦げ茶色の羽を背に持っていた。

 船長の鋭い視線が、ネリネのすぐ後ろに居たレーキに注がれる。

「……よろしく、お願いします」

 レーキは丁寧に頭を下げた。鳥人と面と向かって話すのは、今でも緊張する。手酷く拒絶されてしまったら、自分にはどうして良いのか解らない。

「……ああ。よろしく頼むぜ。お前さんは護衛か?」

 船長は驚きから自分を取り戻したようで、口から顎にかけて生やした髭を撫でると、真っ直ぐにレーキの隻眼を見つめてくる。船長の視線は重く鋭く、レーキは自分の心底までを見透かされているように感じた。

「いいえ、料理人です」

「そうか。グラナートの料理は作れるか?」

「はい。あまり高級な料理は知りませんが、家庭料理なら」

 レーキの返答に、船長は我が意を得たりとばかりに破顔する。

「それでいい。船員どもは故郷の味に飢えてやがるからなあ。家庭料理、歓迎するぜ」

 船長は右手を差し出す。レーキはその手を握り返した。船長の手のひらは力強く、大きくて、暖かかった。

「あ、と。お前さんは……ネリネちゃんだろ? 話は船主から聞いてるぜ。ネリネちゃんが推薦したのがお前さんか。お前さん、名は?」

「レーキです」

「そっちの色男は?」

「オレはウィリディス。ウィルでいいぜ!」

 ネリネとウィル、二人とも挨拶を交わして、船長は三人をそれぞれの持ち場に案内する。ネリネとウィルは護衛として甲板かんぱんに残り、レーキは厨房へ。

 厨房は火を扱う都合上、耐火煉瓦れんがで覆われている。かなりの重さがあるので、バラストと共に船底に設置されていた。

 厨房に向かう、薄暗い船内の狭い通路を船長は先立って歩きながら、レーキに声を掛けた。

「……なあ、お前さん、歳はいくつだ?」

「……あ、その、俺は二十一です」

 唐突な船長の問いにレーキは足を止めて、慌てて答えた。船長はレーキを振り返って、腕を組む。

「そうか……お前さんは運がいい。鳥人にとって、『黒』はみ色だ。それはお前さんも解るな?」

「……はい」

 その事は嫌と言うほど思い知っている。レーキは身を固くして、船長の言葉を待った。

「黒い羽を待った鳥人が長く生きることは珍しい。幼い頃に捨てられたり、存在を隠されて虐待されたりするからだ」

「……はい。俺も、捨て子です」

 レーキの告白に、長身の船長はレーキを見下ろして、表情を曇らせる。

「……そうか。お前さんは良く生き残ったな。……船員どもの中には鳥人も多い。お前さんに対して失礼な態度を取る者もいるかもしれねえ。そんな時はワシの名前を出せ。ワシはカナフ。お前さんがこの船に乗っている間、お前さんを庇護するぜ」

「……え……? あ、その……有り難うございます……!」

 船長の突然の申し出に、レーキは面食らう。

 鳥人である船長にとって、黒い羽は忌むべき色のはずなのに。レーキは恐る恐る「でも、どうして?」と船長に訊ねた。

「海で生きる者にとっては『黒』は尊い色なんだ。水の王の色だからな。海で生きる者は火の王を敬愛しつつもおそれ、水の王を慕いつつもおそれる。ワシは鳥人だが海に生きる者だぜ。それに……」

 そこまで言って、船長はどこか悲しげに言葉を切った。

「……ワシの弟もお前さんと同じ黒羽だった。赤ん坊の頃に捨てられたんだ。……生きていれば、お前さんとそう変わらない歳だろうぜ」

「……!」

 そんな偶然が有るだろうか。兄弟。そんな存在がいるかもしれないと、レーキは今まで考えて見たこともなかった。

 驚愕に見開いた隻眼を、じっと船長に向ける。船長は笑って顎髭あごひげを撫でた。

「まあ、お前さんと違って、弟は髪も眼も真っ黒だったがな」

「……あ、そ、その……そう、ですか……」

 一瞬、期待してしまった。この男が自分の兄だったとしたら、そんな風に考えてしまった。それを見ぬいたように、船長はレーキの頭をくしゃりと撫でてくれた。

「この先が厨房だぜ。頑張れよ、青年」

「……はい。頑張ります!」

 船長の指し示した扉には、『厨房』とかかれたプレートが取り付けられていた。レーキは船長に一礼して、その扉を開ける。

「……あの……すみませ……」

「……遅い! グズグズすんな!」

「アイアイ、サー!」

 扉を開けて一番に聞こえてきたのは、威勢のいい男の声とそれに答える二人の男女の声だった。その声に混じって、野菜を刻む音、沸騰する鍋の音、什器じゆうきがふれあう音、様々な音がいっぺんにレーキの耳に襲いかかる。その大きさに、レーキの声はかき消されてしまう。

「あー違う違う違う! その芋は角切り! そっちのカロートニンジンも同じ大きさで! それにしても船長おそいわネ! 新人連れてくるって言ってたけど、どうなったのかしら!」

 厨房の音にかき消されないよう、矢継ぎ早に大声で部下らしき人々に指示しているこの男が、恐らく厨房の責任者なのであろう。彼は船長と同じくらいの年頃で、濃いブラウンの髪を白い布で覆って、同じく白いエプロンを腰に巻いていた。料理人らしく、髭はていねいに剃り上げている。

「……よお。ルーク、新人連れてきたぜ!」

 レーキを厨房に押し込むようにして、船長は責任者らしき男に声を掛ける。

 ルークと呼ばれた男はくるりと振り返って船長の姿を認めると、満面の笑みを浮かべた。

「あらあら~船長! いつも言ってるでしョ! ルークって呼ば・な・い・で。ルーちゃんって呼んでヨ! そのコが新人ちゃん? あらやだ、貧相な坊やネ」

 船長に話しかける時、ルークの声は急に高くなった。ちらりとレーキを一瞥し、その瞬間に興味が失せたように船長に向き直る。

「お前にかかると大抵の男は『貧相な坊や』だなぁ」

 船長は呆れたように苦笑した。ルーク、いや、彼の希望によれば、ルーちゃんはレーキを無視して船長に近寄ると、「……で、このコ使えるの?」と小声で船長の耳元にささやいた。

「解らん。お前が見極めてやってくれ」

 ルーの背丈はレーキより少し大きい。レーキはルーの側で出来る限り大きく声を張った。

「すみません! 新人の、レーキです! よろしく、お願いします!」

「あら。挨拶はちゃんとできるのネ。でも料理の腕の方はどうかしら? 早速だけどその芋の皮むいて。それが終わったらそれを角切りに。大きさはそっちのコに聞きなさいネ」

 大きな船の厨房らしく、そこで皮むきを待つ芋の量もたいしたものだ。レーキは自前のエプロンを身につけ、背中の羽を邪魔にならぬよう背中にくくり付けると「はい!」と返事をして、芋の山へと向かう。

「うふふ。良いお返事だけど、船の上ではこう、ヨ。……野郎ども! 気合い入れろ!」

「アイアイ、サー!」

 ドスの利いたルーのかけ声に、部下たちは一斉に答えを返す。

 レーキも慌てて「アイアイ、サー!」と叫んだ。ルーはそんなレーキを見て初めて満足そうに頷いた。

「よろしい。……さあ、野郎ども。夜ご飯までは後四刻(約四時間)しか無いのヨ! 急いだ急いだ!」

「アイアイ、サー!」

 パンパンと手をたたいて、ルーは全員に発破をかける。レーキは早速、芋の皮むきに取りかかった。


 出航は、レーキが厨房に放り込まれてから約一刻(約一時間)後のことだった。

 レーキは命じられるまま、大量の芋の皮をむき、刻んだ。その次はやはり大量のセヴォタマネギの皮をむき、刻み、飴色になるまで鍋で炒める。その間に船は港を出ていた。

 ヴァローナの沿岸部を左舷に見ながら、『海の女王号』は快調に風を掴んでたくさんの帆を膨らませる。やがて、陸地は遠ざかり、風と海流が船を南へと運んでいく。

 次に寄港するのは翌昼だ。そこはレーキが訪れたことのない、そこそこ大きな港町。その港で、ヴァローナの特産品であるウバブドウの果実酒を大量に積み込む予定だ。

 船の厨房は狭い。おまけに換気も十分でないようで、湯気も煮炊きの煙も充満している。

 レーキは汗だくになりながら、大量のスパイスを油に通す。刺激的なスパイスの香りが鼻腔を刺激する。立て続けに出るくしゃみを押し殺し、程よく炒めたスパイスを野菜が煮える鍋に投入した。

「スパイス、終わりました!」

「次はパンを焼くわヨ! 新人ちゃん、そこに小麦粉の袋有るでしョ」

 ルーが指し示した先には、麻袋がいくつか積まれている。レーキはその一つを持ち上げた。

「これですね?」

「そうヨ! 百八十人分のピタパンを作るのヨ! 一人の割り当ては三枚! 分量は解ってるわネ? 発酵は一度。新人ちゃんは生地を作りなさい。焼くのはこっちでやるワ」

「アイアイ、サー!」

 小さな調理台では、生地をいっぺんにこねることは出来ない。レーキは出来る限り大きな生地を作り、次々かまどのそばで寝かせておく。

 作業をこなしても、こなしても、また次の作業がやってくる。厨房は狭いが船は大きく、乗組員は多い。レーキは必死に料理を作り続けた。


 初日の夕食が終わった。

 今日のメニューはグラナート風のスパイスを利かせたカレラスープとピタパン三枚。

 船員の大半は腹を空かせた男たちで、レーキたち料理人が苦労して作ったスープとパンは、瞬く間に彼らの腹に収まっていった。呆然とする間もない。大鍋はお代わりの声と共に空になった。レーキは味付けが好評だったことに安堵する。

 今回は、大陸の沿岸を転々と寄港しながら陸続きの隣国へ向かう航路で、港ごとに新鮮な食料が手に入る。貯蔵室の中身も腐り果ててしまう前に使い切れることだろう。

「さあ! アタシたちもご飯にしましョ!」

 戦場のようだった厨房に平穏が訪れる。食事時間は、給仕としても働いていた料理人たちはやれやれと息をついた。

「改めて名乗るわネ。アタシはルーク。だけどそう呼んだら返事しないから。ルーちゃん、もしくはルーさんとお呼びなさいネ。それからこっちの男のコはトマソちゃん、女のコはフレーズちゃんヨ」

「よろしくねー!」

「よろしくー」

 トマソと呼ばれた青年は、小太りでいかにも料理上手といった柔らかな雰囲気をかもし出している。フレーズと呼ばれた女性はトマソとは対照的に、細身で勝ち気そうな顔をしていた。

「で、新人ちゃん、アンタは?」

「よろしくお願いします。俺はレーキと言います」

「解ったわ。レーキちゃんネ。とりあえず、初日の働きは合格ヨ。味付けの方はこれから確かめるとしましョ」

 調理台を食卓にして、四人は立ったままパンとスープの食事を始めた。

 根菜と鶏肉をたっぷり入れたカレラスープは、炒めた数種類のスパイスの香りが複雑に絡み合い、具となっている肉と野菜の臭みを見事に消している。辛みの強いフィルフィルを多めに入れるのがグラナート風で、刺激的な風味が食欲を増進させてくれる。

「あら。なかなか本格的じゃない。キライじゃ無いワ。ただネ、フィルフィルは苦手なコもいるから、もっと量を減らしてもいいわヨ」

「解りました。気をつけます」

 スープを飲む手を止めて、レーキは頷いた。

「さあ、明日は港に着くわヨ。お昼はみんな町で食べるから作らなくても良いワ。その代わり買い出しに行くわヨ! トマソちゃんとレーキちゃんはついてらっしゃい」

 ルーはそれだけ言うと、食事を再開した。

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