第37話 初仕事・前

 黙々と歩く。背に負った荷物は重く、負紐は歩みを進めるほどに、肩を締め付ける。地下に潜ってから、すでに四刻(約四時間)ほどは歩き続けている。……と、思う。陽の射さぬ地下の坑道では、時間の感覚もおかしくなっている。

「……おい。ポーター。水!」

 松明を手に前を歩いていた男が、後ろを振り返って横柄に叫んでいる。レーキは黙って、皮袋に入った飲み水を差し出した。

 男は喉を鳴らして大量に水を飲んでから、皮袋を突っ返して来た。

「……あまり飲みすぎ無いほうが良い。本当に必要な時に足りなくなる」

「あぁ! ポーター風情がこのオレに意見するのか?!」

 レーキの忠告に腹を立てた横柄な男は、腰に帯びた長剣に手をかけてこちらを脅してくる。レーキは閉口し内心で独りごちる。

 ──この依頼は『ハズレ』だったな……と。



 卒業式を終えて、レーキは多くの人々に祝福された。一年前にレーキがアガートに向かってそうしたように、今日はズィルバーがレーキに向かって『光球』を降らせて見せてくれた。

「おめでとうございマス!」

「……ありがとう! ズィルバー!」

「すげーよ! レーキ! 五ツ組いつくみだって?!」

「……クラン! おめでとう!」

 背後から突然抱きついて来たクランの重さによろめきながら、レーキは笑って応える。

「レーキ! おめでとう!」

「グーミエ! 君もおめでとう! 素晴らしい総代挨拶だった!」

 結局、学年首席となったのはグーミエだった。レーキは最高位の五ツ組であったが、卒業試験の成績でグーミエには及ばなかったのだ。首席を逃したシアンはさぞかし悔しがったことだろう。

「おめでとう! レーキ!」

「君も! おめでとうエカルラート!」

 友人たちと喜びを分かち合い、天法士となったレーキは、明後日にとうとう『天王との謁見の法』を行うことになっていた。


 機会は寮を引き払うまでの数日間。おそらくは一度きり。学院の備品である祭壇を使って、実習室で『天王とのえつけんの法』の儀式を始める。

「……それではよろしくお願いします。セクールス先生、アガート先生」

 レーキは、協力してくれる二人の教師を振り返り一礼する。二人は黙って頷いた。儀式のために、三人は『土』を表す『黄色』のローブを着て、金細工の祭壇の前にひざまずいている。祭壇の造りは小振りで、人一人で抱えられるほどの大きさだった。

 祭壇の前で、レーキを頂点とした三角形を作り、三人は一礼する。

「始めます。……『地の母、地の父、全ての生きとし生ける者を統べる定めの王、すべての死せる者を束ねる死人の王。地の母の眷属にして刈り取る者……』」

 死の王のための『謁見の法』、口訣の始めは『呼び戻しの法』のモノに少し似ていた。いにしえの言葉と今の言葉が混じり合った、長い呪文。学びを重ねた今は、その意味が全て理解できる。

 主祭であるレーキに続いて、助祭役の二人が輪唱するように口訣こうけつをなぞる。

 身の裡から天分が抜け出て、それが祭壇に注がれる。初めての感覚ではない。『呼び戻しの法』を使った時と同じ、言葉に力が融けて行く。同時に、首から提げていた五つの王珠おうじゅが力強く美しい光を放った。それが体から抜けて出て行く天分の量を抑えて制御してくれているのか、『呼び戻し』を行った時のような骨身の全てを持って行かれる苦しみは無い。

 ──これが王珠の力か……!

 もっと長い呪文でも、いつまででも唱えて居られるような錯覚。三人が呪文を唱和する内に、祭壇がまばゆい光を帯びだした。

 体の芯から沸き上がってくる高揚感。確かな手応えを感じる。

「『……我が呼びかけに応えられよ! 至り来たれ! 死を司りし天王!』」

 一瞬の静寂。

 次の瞬間に、光の奔流が祭壇の上に立ち上り、実習室に風が吹き荒れる。

 ああ、あれは。あの光に浮かび上がるあの人影は。暴風がおさまると、見覚えのある長い髪が見えた。あの時と違うのは、光の中に浮かぶ死の王の顔がはっきりと視認できるということ。死の王は思っていたよりも年若い、男の顔をしていた。

『……我を呼ぶは汝か』

 三年前に聞いたあの声よりも、はっきりと耳に届く低く滑らかな男声。威厳に満ちたその声に打たれて、レーキは一礼した。

 後ろに控える二人の教師たちも、揃って身を屈める。

「……はい。わたくしでございます。地の父、全ての生きとし生ける者を統べる定めの王、すべての死せる者を束ねる死人の王、地の母の眷属にして刈り取る者、死の王様。私の呼びかけに応じて下さいました事、心よりの感謝を捧げたてまつります」

『……汝は一度我が領土をおかした。それが何故に我を呼ぶか』

 死の王の声は抑揚も無く、怒りの感情は見られない。それでも、レーキは深く首を垂れて平伏した。

「……その儀、深くお詫びを申し奉ります。あの時の私は未熟で御座いました。生死の理も理解出来ず闇雲に師を求めて『呼び戻しの法』を行使致しました。そのために死の王様のご領土を汚しました事、重ねてお詫び申し奉ります」

 死の王の怒りを畏れるように縮こまって、レーキは言葉を紡ぐ。粘ついた、冷たい汗が背を這っていく。死の王の存在感は強烈で。レーキは言葉を発する度、過ち犯して居るような、深い底なし沼に落ちていくようなそんな気がした。

『面を上げよ。不遜なる者』

 その言葉でレーキはようやく顔を上げて、死の王を見上げた。

「……はい。王のかんばせを仰ぎ見る栄誉をお許しくださって有り難きしあわせで御座います。その上で不躾ながらお願いが御座います! 死の王様が私に賜った呪いをお解き願いたいのです! どうか! どうか! 伏してお願い申し奉ります!!」

 必死の様相で這いつくばるレーキを見下ろして、死の王は沈黙した。

 教師二人も、死の王が発する威圧感に飲まれて身動きが取れないでいる。

『……未だその時にあらず』

「……!? お待ちください! 死の王様! その時とはいったい?! お待ち下さい……!!」

 その一言。たったそれだけ。死の王はその一言だけを発して、取り縋るレーキを残し、ゆっくりと大気に溶けるように光の粒となって消えていった。

 その日、何度『謁見の法』を試みても死の王が再び呼びかけに応えることはなかった。『謁見の法』は成功だった。だが、『呪い』が解かれることはなかったのだ。



 失意を抱えたまま、レーキが寮を出て行く日がやってきた。

「レーキサンも先生になればいいノニ……」

 寂しげに俯くズィルバーの肩を抱擁して、レーキは苦笑する。

「……ありがとう。でも俺はそんな器じゃないよ」

 それは本心で。生徒たちを教え導く重責を担えるほど、自分はできた人間ではない。それに、たとえ教師になりたくても、『呪い』と言う重荷が、その道を選ばせてはくれなかった。

「これからどうするのデスか? レーキサン……」

「一度、アスールの村に帰ろうと思ってるんだ。待っていてくれる人もいるからな」

 ラエティアの、その家族たちの、村人たちの顔が脳裏に浮かぶ。卒業出来たこと、一度アスールに帰ることは手紙にしたためて、いましがた送ったばかりだ。

 三年ぶりに会うラエティアは、いったいどんな表情で自分を迎えてくれるだろう。楽しみで有ると同時に、自分など忘れられてしまったのではないかと言う不安もある。

「そう、デスか……小生は寂しい、デス……」

「……ズィルバー。なにもこれが今生の別れじゃない。俺はアスールへの路銀を稼ぐためにまだ『学究の館』に留まるつもりだ」

「……! ホントデスか?!」

「ああ、街の宿屋に部屋も借りた。祭壇を買ってしまったから……安宿しか借りられなかったが」

 儀式を助けてくれたセクールスとアガートにそれぞれ謝礼を支払って、再度『天王との謁見の法』を試みるために祭壇を手に入れた。

 それで、レーキの貯金は大半が消えてしまった。

 アスールに帰りたいが、すぐさまと言う訳には行かない。金を稼ぐ必要がある。

「……そ、それジャア! 遊びに行っても良いデスか?!」

「ああ、仕事に行っている間は留守にしているだろうが……いつでも遊びに来ると良い」

 そんな台詞を残して、レーキは学生寮を出て行った。


 生きるために、仕事をせねばならない。それも、出来れば報酬の良い仕事に就きたい。

 五ツ組を取ったということで、レーキの元には亜人に対して排他的な政策を採っている黄成こうせい以外の四大国から、天法士団への誘いが有った。だがレーキはその全てを断った。確かに天法士団へ入団する事は名誉であったし、国立の機関であれば賃金も申し分ないだろう。

 だが、結局『呪い』が解けなかった今、アガートが言うように天法士が短命でないとしても、天法士として日常的に天分を使う職業に就くことに躊躇ためらいがある。


「……え、あ、天法士団の誘いを全部断ったぁ?! 正気か……?!」

「……あまり大きな声を出さないでくれ。壁が薄いんだ……それに俺は正気だ」

 レーキが部屋を取った安宿に、集まってくれたクランとオウロに今後のことを相談する。幼馴染三人組の内、グラーヴォはニクスの騎士団に就職が決まり、旅立ちの準備に追われていた。

「はあ……五ツ組なら天法士の働き口なんてどこでもよりどりみどりなのに……」

 溜め息をつくクランを後目に、レーキは首を振った。

「……その……俺は天法士としては働きたくないんだ。だからそれ以外の仕事を探している」

「……やっぱり、天分を使いたく無いっスか?」

 かつて天分が生命力で有ることを説明されていたオウロは、納得したように頷いてくれる。

「……ああ。その通りだ」

「……まあおれだって天分をばかばか使うような職場に行きたくは無いけどさー」

 クランは天法士として看板を掲げつつ、家業である宿屋を継ぐために実家で働くことになっている。

「うーん。オレっちの実家は今人手が足りてるんスよ……レーキはアスールに帰るつもりなんスよね~? それなら長期にがっつり働く職場より、短期でちょいちょいと儲かるような職業が良いかもしれないっスね~」

 オウロは晴れて『商究院』を卒業し、この春からは貴金属を扱う商人の見習いとして働く事が決まっていた。

「……でもさーそんなウマい職場知ってるか?」

「うーん。アスールに向かって旅立つ準備をするなら……いっそのこと旅すること自体が仕事になる職業はどうっスか~? 例えば『旅人のためのギルド』に入るとか~」

「『旅人のためのギルド』?」

 耳慣れない言葉にレーキは首を傾げる。

「ああ、レーキは知らないっスか? 『旅人のためのギルド』は旅ぐらしの人の身許を保証して仕事も斡旋してくれる組合っス~『学究の館』にも支部が有ったハズっス~」

「……ああ、そう言えば師匠が昔そんなギルドに入っていたと言っていたな」

 師匠は『ギルド』の仕事で、想定外に魔人と出くわしたと言っていた。

「でもさー『旅人のためのギルド』は払いも良いけど危険な仕事も多いって話だぜ?」

 クランが懸念を口にする。オウロは「大丈夫っス!」と親指を立てた。

「そこは仕事を選ぶっス~荷運びの人足ポーターとか届け物の請負とか、戦闘とかに参加しない依頼を選べば、街中で仕事するより『旅人のためのギルド』で請け負った仕事の方が賃金が高いっス~」

「なるほど。まずはその『旅人のためのギルド』に行ってどんな仕事が有るのか聞いてみてから決めることにする」

 オウロに『ギルド』の場所を聞いておく。話題が一段落して、クランは大きく延びをして、呟いた。

「……ああー旅かー! おれも旅とか行ってみたいなー! おれ、この国からでたこと無いし」

「……そうだな、いつかアスールに遊びに来るか? その時は歓迎するぞ」

「お! いいねー! アスールは何が名物なんだっけ?」

「オレっちも宝石の買い付けとかでアスールにも寄るかも知れないっス~」

 結局、クランとオウロとの会話は気の置けない友人との楽しい雑談に変わってしまい、それは夕飯時まで続いた。

 今日はもう遅い。レーキは翌日『ギルド』に行ってみることにした。


「いいっスか~? 『ギルド』に行く時は天法士だってバレないように王珠は隠して行くっス~天法士は高い賃金で雇って貰えると思うっスけど、その分危険も多くなるっスから……」

 オウロの忠告に従って、レーキは身につけていた王珠の飾り板を外して、肌着の下に隠した。王珠がなければ、レーキはただの鳥人の青年だ。これで『ギルド』に向かえる。

『ギルド』は『学究の館』の中でも、宿屋や飯屋が並ぶ賑やかな通りに面して建っていた。レーキが借りた安宿からもほど近い。

 建物の正面には、旅人の杖を図案化した看板と『旅人のためのギルド』と書かれた額が掛かっていた。

 戸口に扉は無く、誰でも気軽に入っていけるようだ。

 レーキは一呼吸して気持ちを落ち着けると、『ギルド』の中に足を踏み入れた。

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