第11話 旅の途中で
早速次の日から、ヴァローナ天法院に向かうための準備を始めた。
旅をするための装備を調えるために、村へ向かう。
マーロン師匠が遺してくれた現金はそう多くは無い。交通費と宿代でやっと。仕度のために必要な分は、鶏を売って
肉屋の店主は、相場よりも高い値段で鶏を買い取ってくれた。
干し肉や保存食を少し、旅先で必要になりそうな薬と、ブーツ。防寒用のマントも新調したかったが、金がない。思案していると、雑貨屋の女将さんが余っていた在庫を安く譲ってくれた。少し野暮ったいデザインであるが、軽くて温かい質の良い品だ。
旅の間に必要になる身分証明書は、村長が書いてくれた。そこには確かにレーキがこの村に住んでいること、マーロン師匠の弟子であること、一七歳であることが書かれていた。
護身用のショートソードはラエティアの父である、アラルガント氏が譲っても良いと申し出てくれた。
有り難く受け取りに良くと、アラルガントの末息子、五歳のラグエスがどこに行くのかと舌足らずにレーキに尋ねた。
「ヴァローナに行ってくるよ」
「それどこ? となりまち?」
「ううん。ずっと遠い。森を抜けて街道を通ってずっとずっと遠い、よその国だ」
よその国、という概念がまだ理解できないのだろう。ラグエスは、じゃあこんだけくらい寝たら戻ってくる? と、小さくて短い指を十本立てて聞いた。
「うーん。十日じゃ無理かな。一ヶ月か、もっとかかるかもしれない」
「……そしたら帰ってくる? 兄ちゃんがいないと姉ちゃん寂しがるよ」
お姉ちゃん思いなんだな。ちびすけの頭を優しく撫でて、レーキは頷いた。
「うん。なるべく早く帰ってくる。立派なお土産は無理かもしれないけど、ヴァローナがどんなとこだったか話してやるよ」
「うんっ!」
盛大に頷いたちびすけに、レーキは微笑んだ。
一週間かけて、小屋の中の掃除や装備の準備を整え、レーキはついに旅立った。
すっかり陽がぬるんで、街の周囲の森では春の草が花を咲かせ始めている。
一年を通じて雨の多いこの国の街道は、馬車や人の足が泥に
古代から変わらぬ姿を保ち、未だ知られていない危険な生物も潜むアスールの深い森林は、街道と言えども危険が多い。
徒歩で青い道を行く旅人は皆無。人々は大抵、二十人から三十人、多い時では五十人単位の隊列を組み、乗合馬車で移動する。
その馬車の運行を担っているのが、森での生活に長けた獣人で、かれらは『森先案内』もしくは『森の民』と呼ばれる。
レーキの村は、アスールの東西南北を貫く幹街道から、徒歩で二日ほど離れた場所にあった。
幹街道に出るためには、近隣の村々が共同で管理している支道に出なければならない。支道には乗合馬車の定期便がある。その駅がある隣町までは徒歩で半日ほど。
隣町に行く時は、危険に備えて用のある者何人かで連れ立って向かう。レーキと一緒に隣町まで行っても良いと名乗り出たのは、アラルガント氏と、その息子と甥っ子の三人だった。
旅立ちのその日。レーキは慣らしておいたブーツを履いて、形見の石と法術の本を懐に入れた。譲って貰ったショートソードは
マーロン師匠と暮らした思い出深いこの家とも、しばしのお別れだ。
「……行ってきます。師匠」
師匠が健在であった頃のように、レーキはその言葉を口にした。だが、家の中はがらんと広く答えは無い。
それが、ひどく悲しかった。
一足先に、村のはずれでアラルガント家の三人を待つ。まだ
村の恩人である、マーロン師匠の最後の弟子であるばかりではない。この四年間、この村で暮らしてきた少年が、遠い見知らぬ異国へ向けて旅立つのだ。
「道中気をつけてな」
「悪いもの食ったときはこれ飲みな」
「どんな時でもあたし達が応援してるからね。負けるんじゃないよ」
握手を求める者、自家製の下痢止めを渡してくれる者、目頭に涙を浮かべて手をふる者。四年前、サンキニの町を出たときとは大違いだ。
「レーキっレーキっ!」
大勢の村人を掻き分けるようにして、ラエティアが近づいて来た。
もみくちゃにされて、髪はぼさぼさ、呼吸も少し速い。手には何やら紙包みを抱えている。
「これ……っ! 持って行ってっ」
手に取るとほんのりと温かい。ちょうど手のひら二つ分くらいの大きさの丸い包み。
「お弁当。堅パンだから日持ちすると思う」
「……ありがとう」
焼き立てなんだ。こんなに朝早いのに。俺のために。抱き寄せた包みは温かい。胸にこみ上げてくる愛しさと罪悪感。
俺はなんて事をしてしまったのだろうか。どうしてマーロン師匠を呼び戻そうとしたんだろう。師匠は前を向いて歩きなさいと、言ってくれたのに。
こんなにも自分を想ってれる人がいて、こんなにも自分を案じてくれる人たちがいて、どうして全てを無くしてしまったと思ったのだろう。
「……ありがとうっ!」
心から悔やんだ。そして祈った。
──どうか、どうか。死の王様。この人たちを生かして上げて下さい。
この人たちの寿命を刈り取らないで下さい。みんなをしかるべき時まで生き長らえさせて下さい。俺なぞは八つ裂きにされても野たれ死んでもかまいませんからっ!
「……行ってきますっ!」
遠ざかる村の入り口を、振り返り、振り返り、レーキは旅立つ。大勢の人々が手を振っている。鼻の奥がつんと涙の気配に痛んだ。泣き出したいのをこらえ、レーキは大きく手を振り返して、前を向いた。
駅馬車の出る隣町で、アラルガント一家と別れた。アラルガント氏は、レーキを抱擁して、「しっかりな」と一言だけ言って離す。寡黙な男らしい、静かで心のこもった一言だった。
レーキは大きく頷いて馬車に乗り込んだ。
「さっさと帰ってきてティアを安心させてやってくれ」
「あいつは泣き虫だからさ」
二人の従兄弟たちはラエティアと耳の形がそっくりで、どちらも可愛らしい妹を案じている。レーキは黙って頷いた。
「ラエティアに本当にありがとうって伝えてください……行ってきます!」
馬車に乗るのは初めてではなかったし、旅に出る事も初めてではなかった。
ただ、一人旅というのは生まれて初めてで。馬車が走り出してすぐは体ががちがちにこわばるほど緊張した。途中で
悪い妄想ばかりが
俺は死ねない。使命がある。何より呪いが消えない限り、俺は長く生きなければならないんだ。村の皆が十分に生きられるほど。
手紙とラエティアのパンが入った背嚢を、レーキはしっかりと胸に抱いた。
途中で一泊して、幹街道沿いの街に付いたのは次の日の早朝だった。
そこから、ヴァローナ行きの街道馬車を探すと、それに乗り込む。
青い道を抜けてしまえば、魔獣に襲われる危険性は低くなる。路銀節約のために野宿することも出来る。しかし、森の中にいる間は確実に宿に泊まらざるを得ない。
空を飛ぼうかとも思った。だが長距離の飛行にレーキの羽は向いていない。ちょうどいい風を捕まえられなければ、あっという間にへたばってしまうだろう。
仕方なしに馬車を使い、なるだけランクの低い宿を選んで泊まった。
それでも、往きの路銀の半分がアスールで消えた。
一週間かけて青い道を抜けた。
突然森が開けると、その先には
水豊かなる国ヴァローナ。湖沼と川と学問の国だ。
ヴァローナに入って初めての街は、ぐるりと城壁に囲まれていた。
城壁の入り口には、アスールからヴァローナに入国するための関門がある。
アスールとヴァローナ、両国の関係は現在良好で、人も物も往来は盛んだった。そのため、関門の街は大勢の人で賑わって、入国審査を待つ馬車は列をなしていた。
関門には数人の役人が立っていて。乗合馬車はここで一度止められ、乗客と荷物が改められる。
レーキも身分証明書を求められ、どこへ行って何をするつもりかと尋ねられた。
「『学究の館』に。届け物をするためにきました」
『学究の館』に辿り着くまでは、ここから二週間ほどかかる。徒歩ならその倍だな。と、役人が教えてくれる。
目立ったトラブルもなく、順調に旅は続く。
魔獣に襲われることも、盗賊に行く手を阻まれることもなかった。何かが起きることを期待していた訳ではないけれど。何事もなく過ぎてゆく日々は退屈だ。
始めは物珍しかった異国の風俗も、慣れてしまえば日常。
一週間分の距離を、乗合馬車で稼ぐことにした。残りは徒歩だ。
一週間かけてこの街と、『学究の館』の中間まで向かう。それから徒歩で二週間かけて、目的地にたどり着く。
期日を決められた旅じゃない。のんびり行くさ。
既に春も盛りを過ぎて、そろそろ日差しも
ヴァローナには四季がある。
アスールにも四季はあったが、一年を通じて雨が多く、
『王都、ロス・ラ・ミュールの犬は太陽を見て吠える』とは、よく言ったものだ。アスールの空はめったに快晴になる事は無い。
反対に、ヴァローナの空は穏やかで、めったに掻き曇ることが無い。かと言って苛烈な日差しに
天候までもが穏やかで優しいヴァローナ人の気風を表しているようだった。むしろ、その気候こそがヴァローナ人の気性を作るのか。
ヴァローナの人々は
アスールでは、
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