第8話 師匠の思い出

 あたしはその頃コッパーとヘリウス、それからメッドという三人と一緒に旅をしていた。

 それぞれが、天法士と剣士と戦士だった。

 あたしには特別に目的もなくてね。ただ、世の中を見て回りたいと思ってた。

 コッパーは天法の技を磨きたいと思ってたみたいだったし、ヘリウスは剣の修行中だって言ってた。メッドはよくわからない奴だった。あまり自分のことは話したがらないタイプでね。

 でも四人はなぜだか気があってね。出会ったその日に一緒に旅をすることになってた。

 良い仲間だったよ。

 あたしたちは旅の途中で厄介ごとを解決したり、遺跡に潜ったりして日銭を稼いでた。

 ちょうどメギンス侯爵領ってところを通りかかったときだった。

 あたしたちはギルドで──そうやってあちこち旅をして回る者たちのために、組合があるのさ。自分たちがただのならず者じゃないってことを証明してもらうために、旅人はみんなギルドに入るんだよ──近くの街で殺人事件があったって耳にした。

 もう何人もやられてて、犯人の首には懸賞金がかかってた。

 法を犯したものを捕まえるのは、当然執行官のお役目さ。でも、犯人が執行官の手に余るような奴だったり、人手が足りないときには旅の者を雇う。

 ギルドはそういう仕事の斡旋あっせんもしてくれるんだ。人は選ぶがね。

 あたしたちは、その仕事をうけることにした。賞金はまあよかったし、手に余るようなヤマじゃないだろうと踏んでいた。田舎だったしね。

 五件目の殺人が起こったとき、あたしたちはとうとう犯人のねぐらを突き止めた。


 そいつは、町外れの古い屋敷に住み着いていてね。住むものも居なくなって久しいような、荒れ果てた屋敷だった。後で聞いたら、昔は富豪の家だったんだってね。

 迷わずに踏み込んだよ。そこで待っているものが何だかちっとも知らずに。

 あたしたちが想像してたのは、血に狂った魔獣か、血に飢えた獣のような人間だった。どっちにせよ、この面子ならどうにか出来るって、そう思ってた。

 でも違った。食い殺したばかりの犠牲者の腕をくわえて、屋敷のエントランスにうずくまっていたのは、血色に染まったエプロンドレスを着た女の子だった。ちょうど十になるか、ならないかくらいの。

 驚いて立ちすくんでるあたしたちに、そいつは言った。血だらけの唇が笑ったよ。

『愚かなりしや、人共。汝ら我らがにえなるに』

 とても少女の声じゃなかった。地面の下から響いてくるみたいな、陰気な音。

 なりはちっちゃいのに、物凄い威圧感があった。あたしは教科書で習ったこと思い出してた。

 人型で、人を食らう、魔物。

「……魔人だ」

 あたしとコッパーは、ほとんど同時につぶやいてた。メッドは斧を構えた。ヘリウスは剣を抜いた。

『……ほほう。我を魔人と見破るか。ならば冥土の土産に聞け。我は、ガーネット。汝らを喰らう者!』

 女の子が、魔人が飛び上がった。恐ろしいジャンプ力だった。二階の手すりくらいまで軽々飛んでね。そいつのスカートの裾から、ありえないものが飛び出した。

 足。触ったら掌に穴が開きそうな刺のみっしり生えた足。人間とか獣の足じゃない。例えて言ったらそう、虫だね。節のある虫みたいな足が、十本以上生えて、女の子の部分を支えてた。その間からは、緑と紫が入り交じった気持ちの悪い色の触手が、それこそ沢山生えてきて。その先端から、ぐじゅぐじゅした嫌な色の汁が滴っていた。

 女の子の部分は、それはそれはかわいらしくて、血のついた服さえ着てなかったら、ほんとにお人形さんみたいだったのに。

 あたしは眩暈めまいがして、そのまま倒れ込みそうだった。こっちをひるませようとして、そんな姿をするんだって頭で分かっても、体がついてかないんだ。

 その後は正直あんまり覚えてない。

 必死で戦ったってことはわかる。あんなおぞましいモノの、餌になんかなりたくなかったからね。気がついたら、あいつは床に倒れて動かなくなってた。

 メッドが止めを刺すと悲鳴を上げたよ。頭に直接ナイフを突き立てられるような、そんな鋭い悲鳴を。

 魔人の死体は一瞬で、ミイラになった。あれは多分、死んだ瞬間に、今まで止まっていた時が動きだしたんだろう。それも一気に。

 あたしはもうぼろぼろで傷だらけだった。でも、四人の中じゃ一番ましなほうさ。

 コッパーは足をやられて杖なしじゃ歩けないようになったし、メッドは耳をちぎられた。

 ヘリウスは……だめだった。呼び戻せなかった。かわいそうに。

 頑張ったけど、あたしもコッパーもへとへとだったし、その辺りに『呼び戻し』が出来るような高位の天法士はいなかったのさ。

 ああ、呼び戻しって言うのはね、魂をこの世に繋ぎ止めて肉体に戻す法さ。

 当然肉体を再生しなきゃ、戻ってきても死の王様の国に逆もどり。でも、魂が抜けた体はどんどん腐っていっちまう。時間が経てば経つほど困難になる。本当に力のある天法士が束になってやっても、なかなか成功しない、至難の法さ。

 あたしたちは分かれたよ。ヘリウスのお墓を作って、その晩にね。

 メッドは、魔人を捜して退治するって言ってた。肩が震えてた。そのために修行するって。

 コッパーは、天法院に戻って研究員になるって。今でも天法院に居るよ。

 あたしは、放浪を続けた。もっと強くなりたいって、思ってた。もう、二度とあんなおぞましい思いも、苦しい思いもしなくて済むようにって。



 語り終えて、顔から冷や汗を拭ったマーロン師匠は、五才も十才も一気に年を取ったように見えた。

 普段は七十近い年齢を感じさせないほど、矍鑠かくしゃくとしているだけに、レーキは不安にかられる。

 見上げた案じ顔の弟子に、マーロン師匠は苦笑して見せた。

「昔々の話さ。墓場まで持っていこうと思ってた古い古い昔話。……ほら、今日の読書はおしまいかい? それなら寝るとしようかね」

 マーロン師匠はゆっくりと立ち上がる。軽く膝を払った手が微かに震えていたことに、レーキは気づかなかった。


「今日からこれを読んでもらうよ」

 次の日の夕食の後、マーロン師匠が言った。昨日の続きを読もうと、『魔物大全』を用意していたレーキは、きょとんとした表情で師匠を見上げる。

 差し出されたのは、『法術』とだけ表紙にかかれた黒い革張りの本。サイズは手のひらより少し大きい。

 年代物らしくページは黄ばみ、表紙の端っこもすり切れて、修繕しゅうぜんの跡がある。

 長い間、大切に扱われてきた物だということは分かって。レーキはそれを受け取るとそっとページをめくった。

「『天法は天分を以て全てと成す。口訣こうけつはただそれを助く物なり』」

 はじめにかかげられていたのは、その一文。レーキは声に出して読んでみた。

「これは……天法の本……?」

 そうだ。マーロン師匠は黙ってうなずく。

「そろそろ始めてもいいかと思ってね。あたしが使った教科書だよ。古い本だけど、基礎は変わりはしないからね。今でもちゃんと使える」

 これが、天法士になるための本。レーキは何度も読み返されて、黒ずんでしまったページをそっとめくる。そもそも法術とは、に始まって、天法士に必要な心構え、法の種類と口訣の唱え方、禁忌、偉大な先達……ぱらぱらとめくっただけでも、天法術について必要な事が記されているのが分かった。

「そうだ。お前に上げるよ。もうあたしには必要ない本だ」

「俺に?」

 いいの? 大事な物じゃないの?

 良い事を思いついたとばかり手を叩くマーロン師匠に、レーキは躊躇ためらう。修繕してまで大切に取ってある本を貰うほど、俺に価値があるのだろうか。

「遠慮せずに貰っときな。あたしが持って腐らせてるよりお前の役に立ったほうが、その本も喜ぶよ」

 師匠の思い出が詰まった本。じっと、本と微笑を浮かべたマーロン師匠の顔を見比べて。

「……ありがとう! 大事にします」

 レーキは勢いよく頭を下げた。感謝と決意が、心にみなぎる。

「俺、天法士になります。夢とか希望じゃなくて。そう決めた。だから、頑張ります」

 法術の本を胸に抱いて、ひとみを輝かせる弟子。

 マーロン師匠は孫の成長を喜ぶ祖母と、生徒の成長を見守る教師の、二つが入り混じった視線で見つめる。その顔は、誇らしげで、嬉しくて、ほんの少し案じているようなそんな表情だった。

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