世にも奇妙な階段を登る

やすだ かんじろう

第1話

 ふと気づくと僕は小高い丘の上にいた。

 目線を前方にやると、雲の上まで真っ直ぐ伸びる長い階段が見える。


 僕はあの階段を登りたい。

 その衝動は異常なまでに強烈だった。


 昔何かのアニメであんな階段を見たことがある気がする。

 その階段は天国へと続く階段だった。

 あの階段はどこに続いているんだろう。


 アニメで見た階段は吹きっさらしで、登るのは危険極まりなかった。

 しかしあの階段は段の側面から円筒状のガラスが伸びていて、上方が覆われている。

 雲の上は風が強いだろうが、あの階段ならきっと安心して登れるだろう。


 まあ、仮に安心じゃなくても、きっとあの階段を登るのだけれど……


 僕は一心不乱に階段の方へ向かった。


 階段への入り口の前には、人が1人立っていた。

 全身を黒い布で覆い隠すような不可解な服を着ており、顔すら全く見えない。

 見るからに怪しいが、とりあえずは話しかけてみる。


「すみません、階段を登りたいのですが」


 僕は極めて平静を装ってそう言った。


「あなたには資格がない。階段には立ち入れない」


 低い男の声だった。

 そうか、そう言われたら入ることができない。


 でも僕はこの階段を登りたい、困ったな。


 そんなときに柔軟なひらめきがどこからともなくやってくる。

 階段に下からしがみついて登っていけばいい。

 そしたら階段に立ち入らずに登ることができる。

 階段を下から覗いてみると良い感じの窪みがあって、ちゃんと手をかけて登っていけそうな形状になっていた。

 これなら資格がなくても大丈夫なはずだ。

 僕はさっそく窪みに手をかける。


「おい、やめろ」


 先ほどの男の声がする。

 いい加減うるさいな、僕は登らなきゃいけないんだ。

 

 手段を選んでいる場合ではないので、男の首に素早く手刀をふるった。


「不正解だ」


 男はそう呟いて動かなくなった。気絶したのだろう。

 僕はどうやら手刀で人を気絶させるのが得意らしい。

 男が動かない間に、早くひらめきを実行しよう。

 窪みに手をかけて、ボルダリングと同じ要領で少しずつ階段をよじ登り始めた。



 どれだけの時が経過しただろう。

 当たり前だが、階段を普通に登るよりも遥かに厳しいことを続けている。

 階段を登る足音は一度も聞こえてこない。

 ひたすら耳に入るのは風の音だけ。

 風は冷たいし、空気も少しずつ薄くなってきた。

 でも登り続けるしかない。

 無心でひたすらに手足へ神経を集中させるしかない。


 そんなときにふと足音が聞こえてきた。

 階段を正規ルートで登る足音だ。

 その登るペースは、僕の3倍以上のペースに感じる。

 下方から聞こえていたはずの足音はあっという間に僕を追い抜いていった。

 追い抜いてからはさらにペースが上がったようだった。


 ふと僕は、とんでもないことに気づく。


 僕も正規ルートで登れたんじゃないか?


 あいつを気絶させた時点で、正規ルートに入ることを咎める人間はもういなかったんだ。

 資格がないとはそもそもどういうことだったのか。

 僕はなんでこんなに苦しい思いをしているんだ。


 でもここから元の場所に戻るなんて無理だ……

 どれだけの時を費やしてここまでやってきたと思っている。

 心が絶望的な後悔の渦に飲み込まれる。

 どれだけ、ここにくるまでどれだけ苦労したかわかるか……


 それでも諦める気持ちにはなれなかった。

 僕は凄いやつだ、このルートでこんなところまで来れるやつは他にいないだろう。

 そう思うほかない。

 僕は凄い、僕は凄い……


 極限状態の自己洗脳は凄まじかった。

 心が鼓舞され、登るペースが早まる。

 きっともう少し、きっともう少しだ。





 雲を抜けた。

 階段はまだまだ続いている。

 空気が薄い、呼吸が苦しい。

 段々と意識が遠くなってきた。

 そもそも僕はどこに向かっているんだっけ、なんで階段を登っていたんだっけ。

 まともに回らなくなった頭で必死に階段を登る。

 でも登れば登るほど空気は薄くなり、意識が遠のく。


 死にたくない…


 どうやらここは無限地獄だったらしい。

 この先を力の限り進んだって無理だ、死しか待っていない。

 心のどこかに、ずっとそんな懸念はあった。

 ふつふつと湧き上がり始めていたそれが、とうとう表に顔を出してしまう。


「もうダメだ」


 僕は来た道を戻ることにした。

 しかしそう決めた途端に、自分の費やしてきた時間の重みに絶望する。


 なんでこんなに登ってしまった。


 なんでこんなに頑張ってしまった。


 道を引き返そうとしてすぐに、僕は手を滑らせた。

 限界なんてとっくの昔に超えていた。

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