第80話 ホワイトデー




 時は来た。

 3月14日、天気は晴れ。


 これまで以上に意味を成すホワイトデーを迎え、俺はベッドに腰掛け全神経を集中していた。


 テーブルに目を向けると、2つの紙袋。

 1つは3人で品物を割り当て、購入したキャンディ。宮原さんのサプライズチョコと同じミルク&カスタードというスイーツショップでゲットしたものだ。色とりどりなキャンディギフトは見た目も味も保証済み。

 その場で味見させてくれるなんて、なんと気前のいい店なんだ。


 そしてもう1つは、サプライズプレゼント。真也ちゃんからの情報で手に入れた香水≪Je t'aime≫。

 そのフルーティーかつ爽やかな香りは、まさに宮原さんに似合うだろう。

 気を利かせてくれた店員さんによる、可愛らしくもどこか大人っぽいラッピングは自分にとっての大きな武器。

 値段は……いや、それでも宮原さんのくれたサプライズチョコより少し高いだけ。そんなのどうってことは無い。


 よし。準備は良いな。

 あれからホワイトデーについてもそれなりに勉強した。どうやら、渡す物によって意味合いが違うらしい。

 キャラメルなら安心する。

 マドレーヌならあなたと仲良くしたい。


 そういう意味合いらしいが、

 チョコなら気持ちは受け取れない。

 マシュマロならあなたが嫌い。


 全部が全部良い意味合いになるとは限らないらしい。

 ちなみに、マカロンはあなたは特別な人。

 キャンディはあなたが好き。

 そしてクッキーは……あなたとは友達のままで。


 正直、宮原さんがお返しの意味を知っているかと言われれば、可能性は低い。

 そんな意味さえ関係なく……手作りの威力は強大なのか。

 もしくは、現在の2人の関係をそのまま表しているのか。

 正直分からない。


 ちなみに、香水にも意味があるそうだ。それは……


 ピロン


 そんな時、スマホから聞こえる通知音。時間的にその送信者の見当は大体つく。

 俺はそのまま手に持つと、画面をタップする。


【日南さん、おはようございます! 今、千那姉の車で学校向かってます。千兄の家は通り過ぎました】


 ……おはよう。


【おはよう、真也ちゃん。色々頑張ってくれてありがとう】

【全然です! あと、帰りも乗せて帰ってくれるそうなので、帰りの道中もお任せください】


【了解。じゃあ、その間は……俺が頑張るよ】

【はい! よろしくお願いします】


 ついに始まったか、今日という日が。

 じゃあ俺も、ちょっと早めに大学へ行こうかな。


 そうだ。話は途中だったけど、ホワイトデーに香水を渡す意味。それは……



 あなたともっと親密になりたい。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 いつもより早く着いた教室。1コマ目って事もあって、バレンタインデーの時よりも人の気配は少ない。

 ただ、今すべき事は変わらない。とりあえず、皆が来るのを待つだけ。


「おはよー」


 それから暫くして、最初に耳に入った見知った声。まさにそれはバレンタインの日と同じ人物だ。


「よう。おはよう天女目」

「今日早いねーどうしたの?」

「なんか目冴えちゃってさ?」


 全く一緒の光景に一緒の会話。ただ、今日は少し違う。


「そうなんだー。そういえば……はいっ!」


 隣に座ったかと思うと、紙袋からオレンジの箱を取り出した天女目。そしてそれを笑顔で差し出してきた。


「ん? これって……」

「マカロンだよ? 友チョコとかあるでしょー? だから日南くんにも」


 マッ、マジか。


「いいのか?」

「もちろんだよー」


 なんてこった。俺おまえの分なんて考えてなかったぞ? そして天女目。お前その顔もそうだけど、女の子だったら宮原さんの次に好きになりそうだ。


「さっ、さんきゅー。けど悪い、俺準備してないわ。だから昼の学食おごらせてくれ」

「全然良いのにー」


「良くない。俺が良くないんだよ」

「もー。でも、ありがとー」


 なんてやり取りと、他愛もない雑談を繰り返す俺と天女目。そうして時間が刻々と過ぎ去っていった時だった、またしても見覚えのある人影が近付いてくる。

 そうそれは、渦中の人物。


「おっはよー」

「おはよー宮原さん」

「おはよう」


「ありゃ? 日南君今日早いねっ」

「目が冴えちゃってさ」

「あっ、宮原さんどうぞー。バレンタインデーのお返しだよ」


 なんてスムーズな渡し方なんだ天女目。会話の中でさりげなく……これは見習わなければ。


「うわぁ! ありがとう!」

「あっ、宮原さん。俺からも……」

「日南君も? ありがとうー!」


 こうして、第1の目標であるお返しを渡す事には成功した。

 後は、千太がいつ渡すか。そこだな。


 気合入れるか……



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 なんて考えていた朝の俺。教えてやるぞ? ハッキリ言って動きは全くないと。


「お疲れ―」

「お疲れ様でした」


 まるであの日の様に挨拶をすると、俺は澄み切った夜空を見上げた。


 結局あの後、算用子さんが来て……俺と天女目はお返しを渡した。

 そしていつも通り、最後に千太が来て……普通に2人お返しを渡す。

 それからは、まるでいつも通りの1日だった。


 宮原さんと千太が2人きりになる事もなければ、追加で何かをあげた様子も見られない。目立った行動も、言動も全くない。

 まぁ、外の箱だけ同じで中身が特別って可能性もあるけど……それにしてはいつも通り過ぎる。


 とりあえず、今のところ動きは無しか。となると残るは……


「あっ、日南君? バイバーイ」


 ここから駐車場までの道中か。


「あっ、お疲れ宮原さん」


 後ろから聞こえた、渦中の人物からの挨拶。それに対していつも通りに返答出来た自分を褒めたい。

 ただ、問題はこの後。


 車までの道中。

 そして、いつ真也ちゃんが駐車場に来るか分からないけど……それまでの時間。

 動きがあるとするなら、そこしかありえない。


 じゃあ、行くか。

 俺は覚悟を決め、宮原さんが見えなくなった瞬間……その1歩を踏みしめた。


 体育館から駐車場までは、それなりに距離がある。

 まず体育館から裏門まで。そしてそこから少し下るような道の先に、宮原さんが止めている第2駐車場がある。


 とりあえず、何事もなく裏門通ったな。真也ちゃんが来るとすればこの裏門沿いの道だけど、姿はない。

 じゃあ俺は……


 すたすたと歩き続ける宮原さん。それを追いかける俺。第三者から見たら完全にストーカーの動きだろう。けど、そんなの気にしていられない。ただ気付かれず付いていくだけ。


 こうして、俺のストーキング技術をいかんなく発揮した所で、宮原さんが1台車の前で止まった。それは紛れもなく、宮原さんの車で間違いはない。


 その瞬間、仕掛けるのは今しかない。そう思った俺は、散々脳内でシミュレーションしてきたことを思い出す。

 ちょっと急いだ感じで……行く! そしてすかさず渡す。以上! じゃあ……行こうっ!


「みっ、宮原さーん」

「えっ? ひっ、日南君?」

「ちょっと……うおっ!」 


 その瞬間だった。いつもなら地面を掴んで離さない靴底が……滑るようにどこかへ行ってしまう。途端に反転する視界。そして、衝撃とジンジンした痛みに襲われるお尻から腰。一瞬何が起こったのか分からなかった。

 ただ、俺を見下ろす宮原さんの姿を見て……悟った。そして後悔した。冬の黒前だという事を忘れていた事に。


「ひっ、日南君! 大丈夫!?」


 ぐおっ……舐めてた! 雪舐めてた、凍てつく道路舐めてた! 格好よく登場するつもりが目の前で転ぶとか……


「だっ、大丈夫……」


 顔が赤面するくらい恥ずかしいんですけど!


「もう、びっくりしたよぉ! ほら手掴んで?」

「あっ、うん……ごめん」


 そんな俺の心情を知ってか知らずか、目の前の宮原さんは心配そうに俺を見つめ手を差し出した。

 もちろん普段の……というか、自分の気持ちに気付いた俺なら、宮原さんの手なんて恥ずかしくて触れられなかっただろう。

 ただ、今の俺は……目の前で盛大に転んだという恥ずかしさに気が動転していた。


「よいしょっとぉ」


 宮原さんの両手を握ると、その勢いのまま立ち上がる。外の空気とは違い、ほんのり温かく柔らかい手の感触。


「あっ、ありがとう」


 そんな状況に気が付いた瞬間、またもや顔が熱くなる。

 っ!! って俺、普通に手握ってんじゃん。目の前でこけて、手まで握って……あぁもう、シミュレーションどころじゃないよっ!


「お尻とか大丈夫? 痛くない?」

「うっ、うん。何とか」


 いっ、いや。諦めるな太陽。ここからだ……ここから挽回できるはず。冷静に……練習通り。


「良かったぁ。それで? どうしてあんなに急いでたの?」

「あっ、いやその……宮原さんに用事があってさ?」


「私に? 何かな?」

「えっとさ……これ!」


 その一言を告げると、俺は鞄の中から小さめで厚手の紙袋を取り出した。そして、勢いそのままに宮原さんの前に差し出す。


「バレンタインの時、2個貰っただろ? 俺だって宮原さんに色々良くしてもらったし、色々迷惑もかけた。それに沢山楽しい思いもさせて貰ったからさ……これもホワイトデーのお返し」

「えっ……えぇ!?」


 宮原さんの驚いた表情は、1つ俺を安心させる材料だった。少なくとも、嫌な顔をされるよりは数倍マシ。


「だから……受け取ってくれるかな?」


 そして俺はもう1度、宮原さんへとその紙袋を差し出す。するとどうだろう、次の瞬間……待ち望んでいた表情が現れた。


「うっ、嬉しい……もっ、もちろんだよぉ」


 とびきりの笑顔を見せると、宮原さんはゆっくりと紙袋を手に取った。すると、


「って、この紙袋……駅前のピーピルアロマのじゃない!?」


 今度はうって変わって興奮した様子。さすがに紙袋で店の名前分かるとは……本当に行きつけなんだな。


「えっと、そうだよ」

「ねっ、ねぇ日南君! 開けても良い? 良いかな!?」

「うん。良いよ」


 そこまでテンション上がってるのか? そんなの見せられたら俺……はっ!!

 興奮した様子で、紙袋から箱を取り出し……開けようとしている宮原さん。その時、俺の頭に嫌な予感が過る。

 待てよ? 俺さっき転んだよな? それも派手に転んだよな? その時この香水も鞄の中に……そして箱に入っていたとはいえっ、もしかしてもしかして……


「これって……」


 ヤバいっ!

 俺は心底祈った。さっき転んだ衝撃で、香水が割れていない事を。

 心の底から祈った。けど……


「嘘……」


 そんな宮原さんの言葉。そして、左目から静かに流れる涙を見た途端……そんな俺の願いは無情にも消し飛んだ。


 やってしまった。割れてるだ。

 どうしてこうも俺は運が悪いんだ。


 自分の情けなさが悔しい。何とも言い難い虚無感が襲い掛かる。けど、今大事なのは自分じゃない。宮原さんへのケアだ。


 正直、見るのはつらかった。心を込めてプレゼントしたはずの、あの可愛い球体のガラスが割れているのは嫌だった。けど、見るしかなかった。


「もっ、もしかして……」


 そして宮原さんの手に持つ箱の中を覗き込むように、視線を向けた時……


「うれ……しい……」


 微かに零れた宮原さんの言葉。そして箱の中には……


 嬉しいって言った? えっと……あっ!


 店頭で見た可愛らしい姿のままの香水があった。


 よっ、良かった……けど……

 確かに香水は無事だった。けど、目の前の宮原さんはハッキリ言って大丈夫じゃない。


 うっすらと涙を浮かべながら、香水をずっと眺めている。


「うれしいよ……」


 ただその表情とは裏腹に、口にする言葉は嬉しさを表している。

 どどっ、どっちなんだ?


 流石に焦りながら、どう対応して良いか迷っていると……宮原さんの視線がまっすぐ俺に向けられた。


 それは涙のせいでどこか悲しそうだけど、嬉しくも感じられる。

 優しい表情に、何かを伝えようとしているかのような。


 そして次第に、その口元が笑みを浮かべる。



「ありがとう……日南君……」



 その言葉と、見上げるような表情。

 全てが相まって、その唇は艶やかに見え……その瞳は吸い込まれるかの様に綺麗だった。


 ゆっくりと降り始めた雪。

 俺達を照らす、少し薄暗い街灯の光。

 誰もいない駐車場。


 状況も、条件も、雰囲気も……バッチリだ。

 心も体もお祭り状態。もはや、この流れを……止める事は出来なかった。


 これって……良いよな? この雰囲気良いよな? じゃあ……

 高ぶる気持ちを胸に、自分の欲望のままに体を動かそうとした時だった、


「千那姉ーお待た……えっ!?」


 聞こえてきたのは……またもや見知った声だった。


「えっ?」

「はっ!」


 目が合っていた視線が、同時に横へと向かう。するとそこに居たのは……


「まっ、真也ちゃん!?」


 真也ちゃんだった。


「ちょっ、ちょっと日南さん! 何、千那姉泣かせてるんですかっ!!」


 えっ? いや。ちょっと真也ちゃん? 表情が……


「いっ、いやこれは……」

「私言いましたよね? 千那姉を傷付けるなら、容赦はしないって! 信用してたのに……」


「えっ、あの真也ちゃん? これは……」

「千那姉は黙ってて? 良いですか日南さん? 私が納得する説明してくれますよね?」

「だから、ちょっと落ち着い……」



「いいですよねっ!? ひーなーみーさーんー!?」



 この時の真也ちゃんの鬼のような表情を見たのは……


 後にも先にもこの時だけだった。




 ごっ、誤解だってぇ!!



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