小さな宇宙

 まだ見ぬ敵の襲来を頭の隅で警戒しつつも、目の前の気のいい老人の歓待に水を差すのも野暮だと思って、私はヤーラ君とともにプロコーピー博士の講義を受けていた。


「さて、今我々が何をしているかわかるかね?」


 忙しく作業に打ち込んでいる他の錬金術師たちを示しながら、博士は問いかけた。鍋を火にかけて何かを煮込んでいる人や、粉のようなものを調合している人の姿が見える。


「薬品の精製、ですか?」


「何の薬か当ててごらん」


 ヤーラ君はじっと完成品らしき瓶の中の液体を見つめている。真剣みを帯びた目は次第に細くなって、眉根がじりじりと寄っていく。


「…………わかりません」


 長考した末にヤーラ君は申し訳なさそうに結論付けたが、博士は満足そうに頷いた。


「わからないことを素直にわからないと言うのは大切なことだ。お嬢さんはどうかね」


「え!?」


 急にパスを回されて、私は変な声を上げてしまった。ヤーラ君にわからないものが、私にわかるわけないんですけど……。


「私もわからないんですけど……こう、不老不死の霊薬とか……」


「ははは!」


 思いっ切り笑われてしまって、ちょっと恥ずかしくなってくる。


「これはね、風邪薬だよ」


 きょとん、と私たちは拍子抜けさせられてしまった。博士はいたずらっ子みたいに笑って、完成品の瓶をひとつ手に取る。


「最近特に冷え込むからね。街のほうに売りに行くのだよ」


 ……そういえば、博士はときどき薬やなんかを仕入れに来ると街で聞いた覚えがある。「不老不死の霊薬」なんて大げさな答えを出した自分がますます恥ずかしくなってきた。


 きまりの悪い思いをしている私に、博士はまた穏やかに微笑んで、ピンと人差し指を天井に突き立てた。


「風邪薬だからって馬鹿にしてはいけないよ。これは要するに、風邪をこじらせて死んでしまうことを防ぐ薬でもある。そう考えれば、不老不死の霊薬に近しいものだとも言えるじゃないか」


 そう……なのかな? 私にはあまりピンとこなかったけれど、ヤーラ君はどこか納得したふうだった。


「ところで、この薬は飲めば熱が下がるという効果がある。いったいどういう仕組みでそうなるのか、わかるかい?」


 博士に瓶を手渡されて、ヤーラ君はまた真摯な眼差しでそれを観察した。


「……わからない、です。すみません」


「謝ることはない。私にもわからないからね」


 え、と当惑しながら私もヤーラ君も博士を見つめた。


「どういう絡繰りかわからんが、高熱を出した人間がこれを飲むとなぜか熱が下がるのだ。だから薬として使われている。もう何十年と錬金術やそれに関わる学問を研究しているが、風邪薬の仕組みひとつわからんのだ」


 自嘲のような言葉だったが、博士の口調はむしろ爽やかだった。畳まれていた人差し指が再び真っすぐ天を示す。


「だが、もしかすると風邪薬の解明が、不老不死の霊薬を作る秘術に繋がるかもしれない。なんだっていい、何かわからないものを研究してみる。それが真理に繋がるのだ。なぜなら、すべてのものは同じ根源から成り立っているからだ」


 錬金術師らしい、壮大なスケールのお話だ。でも、今度は私にもわかるような気がした。


「君も作ってみるかね」


「……僕では、時間がかかってしまいますよ」


「それは素晴らしい。ぜひ見たいものだ」


 博士に促されるまま、ヤーラ君は作業机のほうに誘われて、薬の作り方の説明を受けた。ヤーラ君は一言一句漏らさずメモを取り、博士も心なしか嬉しそうに丁寧にレクチャーしていた。


 一通りの説明を終えて、いよいよ実践の段になる。ヤーラ君はいつも通り、材料の分量をミリもずらさず正確に計量し、まぜたり砕いたりするときには一切ムラがなく均等に、火にかけるときは秒単位で時間を計った。


 徹底して几帳面、それゆえ時間のかかる作業を、博士は目も離さず見守っていた。ようやく仕上がった小さな完成品を見て、満足そうに頷く。


「……すみません、お待たせして」


 ヤーラ君は申し訳なさそうに背を丸めているが、博士は白い眉を柔らかく垂れさせ、完成したばかりの小瓶をそっとつまみ上げた。


「錬金術師は、作業の工程ひとつひとつで彼らと対話をするのだ。じっくり話さなければ、彼らのことを理解することはできない。時間をかけるのはむしろ良いことだよ」


 博士は研究者なのに、詩人みたいな物言いをする。それが錬金術師という人種なのだろうか。

 ひとごとみたいに感心していると、博士はおもむろに私に目を合わせた。


「お嬢さんもやってみるかね?」


「ええ!?」


 二度目の不意打ちを食らって、またしても動揺してしまう。


「わ、私なんかが薬品なんて触ったら、この部屋が爆発しちゃうかもしれませんよ……?」


 今度は博士ばかりでなく、弟子の人たちまで笑い声を上げた。またしても私の頬に熱が上っていく……。


「爆発するようなものは取り扱わんよ。そもそも私が言いたいのは、彼らとの『対話』をしてみないかという話だ。君は見ているだけでもいい」


「そ、そうですか?」


 博士はさっそく黄色い液体の入った試験管にいくつかの金属の粒を入れた。そこに別の透明な液体をスポイトで注入すると、中の粒がシュワシュワと泡立っていく。それを加熱したりまた別の液体と混ぜたりと操作を加えるたびに姿かたちが変わっていって、博士がその都度説明を加えてくれた。


「何か感じたかね」


「えーと……」


 正直、どう答えればいいか迷ったのだけど、ありのまま感じたことを素直に言うことにした。


「液体の様子が変わっていくのも面白かったんですけど、その操作とか説明をしてる博士がすごく楽しそうだなぁって……」


「ほう」


 博士は少し意外そうに目を開くが、瞳は興味津々に輝いている。


「私のほうに注目するとは……なるほど。お嬢さんはどちらかといえば、人間との対話のほうが上手なのだろうね」


「それは間違いないです」


 思わぬところでヤーラ君の援護があり、博士も頷いて納得を深めている。そう……なのかな?


「この宇宙の構造と、人間の構造は対応関係にある。たとえば右目が太陽、左目が月、というようにね。つまり、宇宙を知ることは人を知ることであり、人を知ることは宇宙を知ることだ」


 話は試験管の中から、細い人差し指の指し示す宇宙へと飛び立っていく。錬金術師の語り口。


「人はみな錬金術師だ。多くは気づいていないだけでね」



 ヤーラ君はそのまま博士にいろいろ教わりながら薬作りのお手伝いを続行して、気がつけばいつかのように大量の薬品でテーブルを埋めつくしていた。博士は満足そうに笑っていたが、弟子の1人が「もう来年まで作らなくて済むんじゃないか」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。


 同じ錬金術師だからかヤーラ君は博士と波長が合うみたいで、すっかりこの場に馴染んでいるように見える。博士と話していると、お爺さんと孫みたい。


 そういえば、プロコーピー博士には本物の孫というか、ご家族はいないのだろうか。ここにはお弟子さんや使用人さんの姿しか見えないし、来る途中もそれらしき人はいなかった。研究一筋でやってきた人なのかな。


「君は一通りのことはきちんと習得できているようだね。その歳で見事なものだ」


「いえ、そんな……」


 博士は心から賞賛しているような口ぶりだったけれど、ヤーラ君は素直にそれを受け入れられない様子だった。何か言いにくそうに逡巡する素振りを見せて、上目がちに博士の顔を仰ぐ。


「……博士は……ホムンクルス研究の権威と伺っています」


 ぴく、と博士の白い眉が揺れた。


「あれは、人間が手を出してはいけない領域だ」


 穏やかだった声が一転して低く厳しいものになる。


「人間が神の真似事をして人間をつくろうとしたところで、出来上がるのはまがいものの生命体だけだ。権威と呼ばれる私ですら、完璧な人間などつくれたためしがない。絶対に手を出してはいけないよ」


 諭すように言葉を並べる博士に、ヤーラ君は素直に頷くことはなかった。かわりに、振り絞るように一つの告白をした。


「……僕は、死んだ弟をホムンクルスにしました」

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